2022年09月11日

商業道徳と神

「イスラーム文化」ーその根底にあるものー 井筒俊彦著 岩波文庫

コーラン p26〜

 「元来、ムハンマドが生れ、そして預言者として立ち上がった場所、メッカという町は、海上貿易で古来有名な南アラビアをはじめ、ビザンチン帝国支配下のシリア、それにイラン系のササン王朝支配下のイラクと緊密な商業関係にある国際貿易の中心地であり、特に南アラビアのイエメンとシリアとの間にあって東西貿易の中心地として重要な働きをしていたところであります。

 聖典『コーラン』が商人言葉、商業専門語の表現に満ちているという事実もこの点できわめて示唆的であります。 人間がこの世で行う善なり悪なりの行為を「稼(かせ)ぎ」と考えることなどその典型的な一例です。

   「宗教を遊びごとか冗談ぐらいに心得て、この世にうつつをぬかしてる人々など構わず放っておくがよい。 己れの稼ぎがもとで人間一人が破滅することもあるということをみんなに思い知らせてやるがよい。 …結局そんな人々は己れの稼ぎで抜きさしならぬ破滅の道に深入りしてしまうだけのこと。 己れの背信行為の罰として、(地獄に投げこまれ、)ぐらぐら煮えたぎる熱湯を飲まされて、苦しい懲戒を蒙るだけのこと。」(六章、六九節)
 
 見られるとおり、ここでは人の背信行為の繰り返しが、不正な商売で稼ぎためる悪銭に譬えられております。要するに『コーラン』では、宗教も神を相手方とする取引関係、商売なのです。

   「まことに神は(天上の)楽園という値段で、信徒たちから彼ら自身の身柄と財産とをそっくり買い取りなさったのだ。 …これこそ律法(トーラー)と福音とコーランに(明記された)神の御約定。 約定を神よりもっと忠実に履行する者がどこにあろう。 さればお前たち、そのようなお方を相手方として結んだこの商業取引を有難いと思わねばならぬ。 まったくこの上もない身の幸いではないか。」(九章、一一一説)

 だから神の命令をかしこんで、身命を賭して善行に励むことを、『コーラン』は人間が神に金を貸すこととして表象するのです。

    「誰か神に素晴らしい貸付けをする者はおらぬか。 後で何倍にもしてそれを返却していただけるのだぞ。 神はその掌をつぼめるも、ひろげるも、思いのまま。」(二章、二四六節)
 「掌をつぼめる」とは、財布のひもを締めて金を出し惜しむこと。 「掌をひろげる」とは、反対に気前よく金を出すこと。 いわゆる神の恩寵が金銭的に表象されていることが面白いところです。」

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posted by Fukutake at 07:54| 日記

交易の重要性

「宮ア市定全集 2」ー東洋史ー 岩波書店 1992年

交通による文化の促進 p150〜

 「ある地域の文化の度は、その交通量に正比例するというのは過言かも知れないが、交通から除外されて封鎖された社会の文化は必ず停滞して、世界の落伍者となるのを免れぬことは明言出来る。 徳川時代における日本の鎖国政策が、如何にわが国の文化を停滞せしめたかを考えれば、思い半ばに過ぐるものがあろう。 更に今次の太平洋戦争間、僅か数年間の孤立状態は、徳川三百年の鎖国にも匹敵するほどの後退をわが国に負わしめたと言われているではないか。

 交通がある地域の文化を促進するためには、単に物資が通過しただけでは効果が少い。 古来世界交通の要衝に当った地域に、必ずしも文化が栄えないのは、そこを文化は素通りしてしまって蓄積されなかったためである。 文化の発達にはやはり基地が必要である。
 草原砂漠地帯の遊牧民は、従来考えられていたよりも多く、文化の媒介者、交通の担当者であることが近頃次第に明らかにされて来た。 しかも彼等の間に文化が栄えなかったのは、蓄積が行われなかったためである。 彼等の生活の移動性は、物の蓄積と相容れない。 文化の蓄積は定着する農業民族を待って初めて実現される。

 文化の蓄積は物と離れることが出来ない。 物の蓄積の上に立って始めて文化の蓄積が行われる。 そしてこの蓄積は分散して行われては効果が薄いので、大きな威力を発揮するためには集中されることが必要である。 この点よりいえば分散的な農村では文化の蓄積に不十分であって、商業的密集都市こそ、恰好な地盤を提供する。文化の母胎は何といっても都市である。

 物資も文化も甚だ臆病なものであって、不安な土地から逃避して、最も安全な場所を求めて定着する。 かくして最初に選ばれるのは政権の所在地たる政治都市である。 たとえ自然の地形が元来交通には不便な土地であっても、物資は次第に政権の庇護を求めてここに集中し、交通路も已を得ずにこの地点に引きよせられる。 大道長安に通ず、というのが東洋古代中世を通じての一般的現象であった。

 然るに交通の頻繁度がある点に達すると、交通自身の便宜から、交通路線上の要点に大なる商業都市が発生する。 そしてその地の経済的需要性が加わって来ると、政権はこれに対して特別の保護の措置を講ぜざる得なくなる。 最も便宜なる方法は、かかる商業都市をそのまま政治都市とすることである。 五代宋以後になって中国国都が、交通に不便なる長安・洛陽を棄てて、交通都市・商業都市たる開封に移転したのは這般の消息を物語るものであり、同時に宋代社会の近世的性格を端的に表現しているのである。」

(『東洋における素朴主義の民族と文明主義に社会』)

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posted by Fukutake at 07:49| 日記