2022年09月10日

身近な疑問

「また、つかぬことをうかがいますが…」 ニュー・サイエンティスト編集部編 金子浩 訳 ハヤカワ文庫

 「不死身のアリ
 問い 電子レンジを使ったあと、アリが、たいていはコーヒーカップにくっついていてるんですが、一見したところ平気な様子で出てきてびっくりすることがあります。 電子レンジが作動しているあいだも、アリは元気いっぱいでなかを歩きまわっていたとしか思えません。 どうしてアリはあの苛酷な状況を生きのびることができるのでしょう?

 答え 理由は単純明快です。 通常の電子レンジでは、食物を適切に調理するのにはそれで充分なので、マイクロ波とマイクロ波のあいだの間隔があるんです。 アリはちっぽけなのでマイクロ波にあたらなくてすみ、そのおかげで窮地を脱することができたわけです。」(アリの大きさは、数ミリだが、電子レンジのマイクロ波は25cm)


 「ヘリウム
 ヘリウムガスを吸ってからしゃべると、聞き手には最終的に空気を通して伝わっているはずなのに、どうして話し声の周波数が高くなるのでしょう。

 答え ヘリウム原子(原子質量四)は窒素と酸素の分子(分子質量はそれぞれ一四と一六)よりも軽いので、ヘリウムのなかでは空気よりも速く音が伝わります。 あらゆる管楽器と同様に、声を出すときも、音は気体(普通は空気)の柱のなかで定常波として発せられます。 そして音波の周波数と波長の積は音速に等しく、波長は唇や鼻や喉などの形によって決まっているので、音速が増せば周波数も高くなるのです。 いったん口から発せられてしまえば周波数は変わらないため、音は話し手が発したときと同じ高さで相手の耳に届きます。 ジェットコースターに乗ったときのことを思いだしてください。 軌道に沿って進むにつれ、車両はスピードを上げたり落としたりしますが、ほかのすべての車両も、まったく同じパターンをなぞっています。車両が三〇秒ごとに出発するとしたら、その中間でなにがあろうと、同じ間隔で終点に到着しますよね?
 弦楽器では弦の長さと太さと張り具合によって音の高さが変わるため、空気の組成は楽器に影響を与えません。 そういうわけだから、オーケストラの真ん中でヘリウムガスをまき散らしたら大混乱が起きるでしょう。 管楽器や金管楽器は音が上がってしまうのに、弦楽器や打楽器はほとんど同じ高さのままだからです。」

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posted by Fukutake at 08:04| 日記

洋行帰り

「オーイ どこ行くの」ー夏彦の写真コラム 山本夏彦 新潮文庫 平成十四年

我ら皆ニセ日本人 p377〜

 「私は子供のころ父の友に連れられてパリに行ったが、凱旋門をみてもシャン・ゼリゼを歩いてもちっとも驚かなかった。 チョコレートの箱や絵はがきでかねてなじみだったからである。
 そのころの東京の知識人が行きもしないパリに通じていること信じられないほどで、これでは本物を見たものの出る幕はない。 それにもかかわらず少年の私は心に生涯癒えないいた手をうけたのである。

 明治三十三年夏目漱石はロンドンではげしい文化ショックをうけ、一時は発狂説まで伝えられた。 漱石は西洋人をまた西洋の風俗を日本人の目で見ること、旧幕のころの遣米使節、遣欧使節に似ていた。
 たまたま私は文藝春秋本誌に「社交界」と題する連載を書いて、いま旧幕の遣米、遣欧使節のくだりにさしかかったところである。 使節はいくら頭にちょん髷を頂いていても正式な使節である。 欧米諸国の文武百官も威儀を正して迎えている。

 使節は社交界の婦人が問わずもろ肌をぬいで歓待してくれるのを見て、礼もなければ儀もない夷狄の蛮風だから是非もないとその日記中に記している。 漱石は西洋を日本人の目で見た最後の人である。
 明治大正時代は西洋に行くのを「洋行」といった。 いま言えば笑われるが、その事実はなくなったわけではない。 海外へ遊ぶ男女は毎年何百万人いるそうだが、知識も学問もないものが旅しても得るところはない。 団体で行くのは日本がそのまま移動しただけで旅したことにはならない。 当然受けるはずの文化ショックをうけない。

 昭和戦前に海外に留学した人は例外なく漱石の受けたショックをうけたはずなのに、漱石のように正直に書いた人はない。 まず学校で習った外国語が通じない、これほどとは思わなかったのに通じない。 それを魚が水を得たように語りあったように
書いている。 西洋人と恋し恋されたようなことまで書くものがあるが、あれは多く眉つばである。 およそ三十年あるいは四十年彼らは西洋人のように振舞ったと留守中の我々を欺いたのである。

 いま千万人が遊んでも帰朝談をきこうともしないし語ろうともしないのは互にそれを知っているせいで、以前は知識人だけが早く日本人でなくなったが、今は全員日本人でなくなっているからではないかと私は思っている。」
(平成六年十一月十七日号)
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洋行帰りの欧米知らず

posted by Fukutake at 07:56| 日記