「柳田國男全集 13」 柳田國男 ちくま文庫
生まれ替わり p198〜
「顕幽二つの世界が日本では互いに近く親しかったことを説くために、最後になお一つ、言い落としてはならぬのは生まれ代わり、すなわちときどきの訪問招待とは別に、魂がこの世へ復帰するという信仰である。これは漢土にも夙(はや)くから濃く行われている民間の言い伝えであり、仏教はもとより転生をその特色の一つとしているのだが、そういう経典の支援があるということは、必ずしも古くあるものの保持には役立たず、かえって斯邦だけに限られているものを、不明にした嫌いがないでもない。書物を読んでいるといずれかの国の事か判らず、そっくり持って来ても通用しそうな話ばかり多いが、なお眼の前の社会事象の中には、差別を立て得る資料が、少々伝わっていそうに思われる。一つの要点は六道輪廻、前生の功過によって鬼にも畜生にも、堕ちて行くという思想は日本にはなく、支那があるいは輸入国ではなかったかと見られる。わが邦では人の霊が木に依り、巌を座とするのは祭の時のみで、物にもそれぞれのタマはあると見ていたが、それが人間の方から移って行ったということを、考えている者は今でもそう増加していない。それから修行の累積をもって、だんだんと高い世界に進み得るということ、これは私のいうみたまの清まわり、すなわち現世の汚濁から遠ざかるにつれて、神と呼ばれてよい地位に登るという考え方とは、同じものではないと思うわけは、前者はいかなる世界へでもなお個人格を携えてあるくのに、こちらはある期間が過ぎてしまうと、いつになく大きな霊体の中に融合して行くように感じられる。この点は私の力では保障することができぬが、ともかくも神と祭られるようになってからは、もはや生まれ替りの機会はないらしいのである。
これらは消極的な否認に過ぎぬから、証拠が出て来ればまた言い方を更(か)えなければなるまいが、一方にはもっと具体的に、今なお国民の間にほぼ認められている諸点は、いずれもよその国とかなりちがっている。その一つは生きている間でも、身と魂とは別もので、従ってしばしば遊離する。それが一種の能力のようなもので、成長してからも魂がひとり遠くへ行き、用を足して来るという人が折々はあり、ことに死に先だって逢いたいと思う人を訪れるという話は多い。夢に飛びあるくと見ることのできる人を、仙北では飛びだましいといい、死前に人を訪うものを津軽ではあま人と呼んでいて、いずれも一方にはそれを見る力をもった者が、職業の徒以外にもあった。東北以外でもこの話はよく聴くが、今では皆これを死後の霊に限るごとく考えているのは、一つの変化であろう。
しかしだいたいにおいて魂の生身を離れやすいのは小児であり、それを防ごうとする呪法も数々あったのみならず、小児にはさらに魂のまだ入り込まぬ時期があるとさえ考えられていた。中国の各地では宮参りの日に、魂を産土神に入れてもらうといい、またその日の御神楽の太鼓の音によって、赤子に性根が入るとも、魂を授かるとも信じている村々は多い。すなわち魂は土地の神の管理したまうものであって、体はそのために始めて大切なものになることは、ちょうど仏像の入眼と同じく、現にまた船でも家でもまた祭の日の神輿でも、すべてウブを入れるウッツを入れるなどと、宮参りの小児の場合と同じ言葉を用いているのである。人を神に祀るという信仰のもとは、もうこの時から備わっているので、順次に進級して行くのではなかったようにも考えられるが、この点はまだ明らかに言い切ることが私にはできない。」
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如意岳の大文字
「吉井勇歌集」 吉井勇自選 岩波文庫
洛北雑詠より p210〜
「流離の境涯に、風騷の身を置くこと幾十年、漸く茅廬を比叡山下に結ぶを得てより、何時しか七年の歳月は過ぎぬ。半生の事思へば茫として夢の如く、洛北閑居の日々もまた幻に住するが如し。
白川の秋
落魄の歌つくるべく来(こ)しならね京に住みてより幾たびの秋
如意嶽(にょいだけ)の山腹にある大の字も幾秋見つつ親しきろかも
このごろはまた憤ることもなし比叡に雷(らい)鳴る時もはや過ぎ
秋のおもひ堪へえぬ時は朽縁(くちえん)に出でて狭庭の石にもの云う
鹽からく蒟蒻を煮てそそくさと夕餉(ゆふげ)すましぬ秋を寒がり
芭蕉忌(ばせをき)も昨日と過ぎぬ落ちつかぬ今年は寂びをさまで思はず
芭蕉を思ふ
庭隅の石にうす日のあたるにも芭蕉の句境おもひ見るべし
今日もまた奥の細道讀みかへしこれも悲願の旅とおもひぬ
夜ふかく芭蕉の一生(ひとよ)かへりみて枯野の夢の激しさを思ふ
死にちかき師の姿をば書き残す支考の日記(にき)はあはれなるかな
讀むほどに身もち澄み来ぬ猿蓑の深さしづけさ極まりもなく
滋賀あがた近しと思へど懶(らん)われや幻住庵も未だ訪はざる
寂び軽み不易流行などいへること思ひゐぬ今日のひと日を
猿蓑にあるそのひとの句を思ひ時雨を待てど遂にきたらず
芭蕉忌の夕餉の膳にまづ置きぬ味噌蒟蒻のわびし一皿
雨か否落葉かあらず芭蕉忌のゆふべしづかに降るものや何
寂しさに堪へざる夜半はしめやかに野ざらし紀行讀みてかも寝む」
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洛北雑詠より p210〜
「流離の境涯に、風騷の身を置くこと幾十年、漸く茅廬を比叡山下に結ぶを得てより、何時しか七年の歳月は過ぎぬ。半生の事思へば茫として夢の如く、洛北閑居の日々もまた幻に住するが如し。
白川の秋
落魄の歌つくるべく来(こ)しならね京に住みてより幾たびの秋
如意嶽(にょいだけ)の山腹にある大の字も幾秋見つつ親しきろかも
このごろはまた憤ることもなし比叡に雷(らい)鳴る時もはや過ぎ
秋のおもひ堪へえぬ時は朽縁(くちえん)に出でて狭庭の石にもの云う
鹽からく蒟蒻を煮てそそくさと夕餉(ゆふげ)すましぬ秋を寒がり
芭蕉忌(ばせをき)も昨日と過ぎぬ落ちつかぬ今年は寂びをさまで思はず
芭蕉を思ふ
庭隅の石にうす日のあたるにも芭蕉の句境おもひ見るべし
今日もまた奥の細道讀みかへしこれも悲願の旅とおもひぬ
夜ふかく芭蕉の一生(ひとよ)かへりみて枯野の夢の激しさを思ふ
死にちかき師の姿をば書き残す支考の日記(にき)はあはれなるかな
讀むほどに身もち澄み来ぬ猿蓑の深さしづけさ極まりもなく
滋賀あがた近しと思へど懶(らん)われや幻住庵も未だ訪はざる
寂び軽み不易流行などいへること思ひゐぬ今日のひと日を
猿蓑にあるそのひとの句を思ひ時雨を待てど遂にきたらず
芭蕉忌の夕餉の膳にまづ置きぬ味噌蒟蒻のわびし一皿
雨か否落葉かあらず芭蕉忌のゆふべしづかに降るものや何
寂しさに堪へざる夜半はしめやかに野ざらし紀行讀みてかも寝む」
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posted by Fukutake at 08:06| 日記