「パイドン」ー魂の不死についてー プラトン著 岩田靖夫訳 岩波文庫
死後の世界とあの世 p153〜
「もしも魂が不死であるならば、われわれが生と呼んでいるこの時間のためばかりではなく、未来永劫のために、魂の世話をしなければならないのである。そして、もしもわれわれが魂をないがしろにするならば、その危険が恐るべき物であることに、いまや思いいたるであろう。なぜなら、もし死がすべてのものからの解放であったならば、悪人たちにとっては、死ねば肉体から解放されると同時に、魂ももとろもに自分自身の悪からも解放されるのだから、それは幸運な儲けものでであっただろう。しかし、いまや、魂が不死であることが明らかな以上、魂にとっては、できるだけ善くまた賢くなる以外には、悪からの他のいかなる逃亡の道も、また、自分自身の救済もありえないだろう。というのは、魂がハデスに赴くにあたってたずさえて行くものは、ただ教養と自分で養った性格だけであり、これらのものこそが、死出の旅路の始めからすぐに死者をもっとも益しあるいは害すると言われているものなのである。
その言い伝えとは、こういうものだ。人が死ぬと、生きている間から各人の運命を司るべく割り当てられていたダイモンが各人をある場所へ連れてゆこうとする。そこに集められた者たちは裁きを受けてから、かれらをこの世からあの世へ連れて行くべき使命を与えられたかの導き手とともに、ハデスへと旅しなければならない。かれらはハデスで蒙るべきことを蒙り、定められた期間留まると、別の導き手が再びかれらをこの世へ連れもどすのだ。その期間は何度も繰り返される永い周期をなしている。
さて、その旅路は単純な道ではないように思われる。なぜなら、もしそうであったなら、導き手を必要とはしなかっただろうからだ。道が一つなら、誰もどこへも迷いはしないだろう。実際は、そこには分岐や三叉路がたくさんあるらしい。
さて、端正な賢い魂は、この導き手に進んで従うが、肉体への執着で一杯な魂は、先にも言ったことだが、長いあいだ肉体とこの目に見える世界のまわりを興奮してうろつきまわり、さんざん反抗し、たくさん痛い目にあって、無理やりに、やっとのことで、その任に定められたダイモンによって連れ去られてゆくのである。そして、他の魂たちが集まっているところに到着すると、浄められていない魂、なにか不浄な行いを犯した魂、すなわち、不正な殺人に関わったり、なにか他のそれと同類の仕業とか、あるいは同類の魂がなすような仕業をしでかした魂は、すべての人にとって逃げられ避けられて、誰もかれの同行者とも導き手ともなろうとしない。そのような魂は、ある一定の時が来るまで、まったく途方にくれてさ迷うのだ。その時が来ると、その魂にふさわしい住処へ否応なしに連れてゆかれるのである。これに対し、浄らかにまた端正にその生を送り終えた魂は、神々が同行者ともなり導き手ともなって、それぞれが己にふさわしい場所に住むのである。」
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あの世へ持っていけるものは、教養と自ら養った性格のみ。
2022年09月06日
あの世へ持っていけるもの
posted by Fukutake at 07:59| 日記
人生のヒント
「「今日一日」のヒント」心を癒す365日 へーデルデン編 町沢静夫訳 知的いきかた文庫 三笠書房
1 「急げ、急げ」は祝福なし(スワヒリ語のことわざ)
「毎日の生活の中ではやらねばならないことがたくさんある。仕事や学校、課外活動、宿題、打ち合わせ、特別な行事に自分が拘束されているような気がする時もある。すべてを片づけようという中で平静を失ってしまうのは、急がなければならないと思うからである。食べるのを急ぎ、働くのを急ぎ、時間どおりに着こうと急ぐ。それらの多くは人に手伝ってもらえないことである。しかし、ことわざにあるとおり、急ぐことに祝福はない。短気になるし、あまり急ごう急ごうとすると、欲求不満がたまる。
ものごとをゆっくり行なうために時間を十分取ると、自分がやっていることに楽しみを感じ、力を発揮することができる。心が落ち着くかどうかは、自分がすることすべてに釣り合いが取れているかどうかで決まる。ものごとを順調にこなす時間が十分に取れているために喜びを感じたり、焦っていない時に感じる心の落ち着きを保てるのは、この釣り合いが取れている時だけである。
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今日はどのように時間を使って、自分自身を楽しませることができるだろうか?」
1 「急げ、急げ」は祝福なし(スワヒリ語のことわざ)
「毎日の生活の中ではやらねばならないことがたくさんある。仕事や学校、課外活動、宿題、打ち合わせ、特別な行事に自分が拘束されているような気がする時もある。すべてを片づけようという中で平静を失ってしまうのは、急がなければならないと思うからである。食べるのを急ぎ、働くのを急ぎ、時間どおりに着こうと急ぐ。それらの多くは人に手伝ってもらえないことである。しかし、ことわざにあるとおり、急ぐことに祝福はない。短気になるし、あまり急ごう急ごうとすると、欲求不満がたまる。
ものごとをゆっくり行なうために時間を十分取ると、自分がやっていることに楽しみを感じ、力を発揮することができる。心が落ち着くかどうかは、自分がすることすべてに釣り合いが取れているかどうかで決まる。ものごとを順調にこなす時間が十分に取れているために喜びを感じたり、焦っていない時に感じる心の落ち着きを保てるのは、この釣り合いが取れている時だけである。
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今日はどのように時間を使って、自分自身を楽しませることができるだろうか?」
posted by Fukutake at 07:56| 日記