「炉辺夜話」 日本人のくらしと文化 宮本常一 河出書房新社 2005年
大津の重要性:穴太衆 p202〜
「大津のあたりは、北国と京都をつなぐいちばんだいじな接点じゃなかったかと思います。 問題になってくるのは、やっぱり坂本のすぐ南の穴太衆と馬借でしょうね。 中世の終わりにはもう馬借一揆が何回も行われている。 つまり、馬がひとつの交通手段としてちゃんと組織化されておって、いろんな運搬業が発達しておったということ。 その拠点が坂本だったわけです。 それからもうひとつ、穴太衆の石垣組も見落とすことができないだろうと思います。 それはたんに石垣を摘んだだけでなく、おそらく古い庭なんかー京都の庭なんかー 京都の庭は、まあ散所のものが積んだのが多いと言われておりますけれどもー 石をだれがどうして持っていったんだろうということになりますと、そこにやはり馬借集団を考えざるをえないという感じがするんです。両方が結びついていたと見ていい。
そして石垣を積む技術、これは見のがすことのできないほど大きな問題を持っておったんではなかったか。 安土城の石垣をはじめ、大阪城から何から当時のめぼしい城の石垣はほとんど穴太衆が積んだものだった。 大阪城の石垣が最初に穴太衆によって築かれたことがわかったのは、ご承知のように戦争のとき、大阪城の石垣の一角へ、”五百キロ爆弾”が落ちたからですね。 修理しなきゃならんから、外側の石垣をはがしたら、なかにもう一つ石垣があって、その石垣が対岸の石垣から、堀の底を通ってずっと続いておったんです。 つまり穴太衆独特の積み方、それだったた絶対に崩れない。 その上へ寛永年間に築かれた石垣がへばりついている。 それは夏の陣のときにずいぶん大砲を打ちこまれてかなり傷んだので、その上へ重ねて石垣を築いたのではなかろうか。
そうすると穴太衆の持っていた技術は、石はかなりあらいつき方をしているけれども、たいへん丈夫なものをつくることができたわけです。 各大名の形成初期にできた石垣ってのは、ほとんど穴太衆の手によりもので、石垣を築いた石工衆はみなそれぞれの城下町へ落ちついていますね。
この連中がやった大きな仕事というのは、それだけではなくて田んぼのあぜの石垣だろうと思うんです。 石の積み方にはいろいろあるんです。 近江を中心とした積み方、広島を中心に大きな石垣を積んで歩いた仲間、そして山陰に大きなグループ、これは鉄を採った連中があとに石垣を積んで歩いたと思われます。 しかし、それらのなかでも穴太衆の活躍ってのは、評価しなけりゃいけない。 なぜなら、三河から東に石垣を積んだ田んぼのあぜはほとんどないでしょう。東に行けば行くほど少なくなるんです。
石垣というのはひじょうに大きな意味をもっているんで、それは穴太衆を抜きに考えられないのじゃないか。」
(「宮本常一先生聞き書き」より『季刊人類学』一九七八年九月/十二月)
散所もの* 貴族や社寺に隷属し、労務を提供する代わりに年貢を免除された人々、土地
----
赦し
「チェーホフ・ユモレスカ」 傑作短編集1 チェーホフ 松下裕訳 新潮文庫
平成二十年
赦し p293〜
「赦罪の日にわたしは、キリスト教の習わしと自分の善良さとによって、すべてのものを赦すことにしている…。
得意満面の豚をわたしは、この動物が… 身中に旋毛虫(せんもうちゅう)を寄生させていることによって赦す。
総じてわたしは、生きとし生けるものを、圧迫し、抑圧し、窒息させるものを赦す… たとえば、窮屈な靴、コルセット、靴下どめの類(たぐい)。
薬剤師たちを、彼らが赤インクを製造することによって赦す。
袖の下を、これを役人たちが取ることによって赦す。
笞刑(ちけい)と古語を、それらが若者たちを養い、老人たちに喜びを与えることによって、その逆でないことによって赦す。
新聞『声』を、それが閉鎖されたことによって赦す。
五等官を、彼らが健啖家であることによって。
百姓たちを、彼らが美食家でないことによって。
兌換ルーブル紙幣をわたしは赦す… 。 ついでながらー ある主教監督局秘書が、手に入れたばかりのルーブル紙幣を片手に持って輔祭(ほさい)に言ったことがあるー 「ひとつ君、輔祭神父、わしといっしょに来てくれんか! わしには自分の性質がつかめんのだよ! たとえばまあ、このルーブル札を取ってみよう……。 これは何だね。 なにしろ価値が下落して、卑しめられ、辱しめられ、まっ黒に汚され、あらゆる良い評判を失っているが、それでもわしはこいつが好きなんだ! まあ兄弟、わしの善良な性分はどうにもならんかなあ!」。 わたしもまた、このとおりだ…。
わたし自身を、自分が貴族でなく、また父祖の領地を抵当に入れたことのないことによって赦す。
文学者たちを、彼らがいまだに、またこれまで存在していることによって赦す。
週刊新聞『光』の編集人オクレイツを、彼の新聞が要求されているほど軟弱でないことによって赦す。
スヴォーリンを、惑星を、彗星を、クラス担任女教師を、彼女を赦し、そうして最後に、わたしが際限なく赦すことを妨げるピリオドを赦す。」
(『破片』 一八八四年二月十八日ごう)
---
平成二十年
赦し p293〜
「赦罪の日にわたしは、キリスト教の習わしと自分の善良さとによって、すべてのものを赦すことにしている…。
得意満面の豚をわたしは、この動物が… 身中に旋毛虫(せんもうちゅう)を寄生させていることによって赦す。
総じてわたしは、生きとし生けるものを、圧迫し、抑圧し、窒息させるものを赦す… たとえば、窮屈な靴、コルセット、靴下どめの類(たぐい)。
薬剤師たちを、彼らが赤インクを製造することによって赦す。
袖の下を、これを役人たちが取ることによって赦す。
笞刑(ちけい)と古語を、それらが若者たちを養い、老人たちに喜びを与えることによって、その逆でないことによって赦す。
新聞『声』を、それが閉鎖されたことによって赦す。
五等官を、彼らが健啖家であることによって。
百姓たちを、彼らが美食家でないことによって。
兌換ルーブル紙幣をわたしは赦す… 。 ついでながらー ある主教監督局秘書が、手に入れたばかりのルーブル紙幣を片手に持って輔祭(ほさい)に言ったことがあるー 「ひとつ君、輔祭神父、わしといっしょに来てくれんか! わしには自分の性質がつかめんのだよ! たとえばまあ、このルーブル札を取ってみよう……。 これは何だね。 なにしろ価値が下落して、卑しめられ、辱しめられ、まっ黒に汚され、あらゆる良い評判を失っているが、それでもわしはこいつが好きなんだ! まあ兄弟、わしの善良な性分はどうにもならんかなあ!」。 わたしもまた、このとおりだ…。
わたし自身を、自分が貴族でなく、また父祖の領地を抵当に入れたことのないことによって赦す。
文学者たちを、彼らがいまだに、またこれまで存在していることによって赦す。
週刊新聞『光』の編集人オクレイツを、彼の新聞が要求されているほど軟弱でないことによって赦す。
スヴォーリンを、惑星を、彗星を、クラス担任女教師を、彼女を赦し、そうして最後に、わたしが際限なく赦すことを妨げるピリオドを赦す。」
(『破片』 一八八四年二月十八日ごう)
---
posted by Fukutake at 05:49| 日記