2022年09月01日

愛国心の正体

「裁かれた戦争」 アラン 白井成雄訳 小沢書店 1986年

愛国心 p9〜

 「我々は正確に詳しく検討しなければならない。遠慮は全く無用である。といって、戦争という大事件において種々の感情が果たす役割をいたずらに否定すればよいのではなく、これを正しく見定めることが大切なのだ。私は今他人の生命をあずかっているのだ。彼らが私の考えのために死ぬのを、どんな理由があれば、どんな状況なら、やむをえず認めるのか、あるいは認めないのか、この点をはっきりさせなければならない。だから細心の注意を払い、軽々しくは考えないようにしよう。さて私は、誰しも自然に抱く愛国心の感情だけでは、戦争の辛酸に耐えることはできないと思う。

 なぜそう思うか、以下がその理由である。戦時下の国家は金も人も必要とする。ところで国民がいる限り、命をささげる者にはこと欠かない。これは事実だ。だが金は思うにまかせない。これもまた事実だ。ことが金になると、強制するかあるいは甘い話を持ち出さねばならない。国は借金をする際、「国債には利子は全くつきませんよ。元金さえ保証されませんよ」とはおくびにもだそうとしない。

 ここで不愉快な事実をいくらか述べなければならない。戦時中、軍人は妻君ともども質素な生活を余儀なくされるから、ある階級以上の軍人は、四年間も戦争が続けば、なにがしかの財を蓄えることになる。これは衆知の事実だ。ところで身命を捧げる彼ら軍人の内に、自分たちの支出を計算し、「祖国が破産に瀕している以上金持になろうとは思わない」と言って余分に国庫に返す人物が一人でもいるだろうか。国民が金よりも命を喜んで差し出すという事実はかなりショッキングな逆説である。

 あるいは、身命を危険にさらす者は、それだけで十分出し前は出したと思うのかもしれない。では、身命を危険にさらさない者はどうだろう。彼らの多くは軍需物資を生産したり、あるいはまた、値段かまわず皆が買い求めた多くの生活必需品を仕入れ、転売し、成金となった。彼らが時価に従うことは認めよう。それはそれで結構だ。だが財をなしたあとで、次のようにいう善良な市民がいないものだろうか。「この金は自分のものとは思えない。私は生き延びただけでも十分だ。私の蓄えたものはすべて祖国のものだ。祖国が自由に使えば良い。」だがこんなふうにいった市民は一人もいなかった。もし本当に自分の命より祖国を愛しているなら、この種のヒロイズムがあっても良かろう。

 こうしてみると、戦闘に際して発揮される愛国心は、明らかに他のさまざまな感情によって支えられているように思われる。もちろんそれらの感情も確かに人間に自然なものではあるが、しかし、あらゆる技術の内で最も古く、最も巧妙な操兵術によってはぐくまれた感情なのである。」

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posted by Fukutake at 08:41| 日記

火野葦平

「井伏鱒二全集 第十二巻」 筑摩書房 昭和四十年

博多で逢つた葦平さん p43〜

 「敗戦後、三年ぐらゐ經った頃ではなかつたかと思う。まだ物資不足をつげてゐた。雑誌モダン日本社の催しごとで、私は今日出海君や清水崑君などと博多へ行き、そのころ若松にゐた火野葦平君と合流した。目的は讀賣週間に因んで文藝講演をすることなどであつた。私は講演が下手だから葦平さんが氣をきかせてくれ、私だけは自作朗讀で間に合せるやうに前もつて主催者に掛合つてくれた。よく氣がつく人だと思はざる得なかつた。

 朗讀なら讀みさへすればいい。そこで私は、街の本屋で自分の作品集を探したが、一冊も棚に見つからなかつた。井伏鱒二といふ人の作品集は何かないかと聞くと、そんな人の本はないと云つた。博多の街でこの調子なら他の町なら尚さらのことだろう。しかし何くわぬ顔で旅館に歸つて行くと、葦平さんが私の初期の短篇集を見せて云つた。
「旅さきのことですから、本を持つてをられんだらうと思つて、さつき若いものに探させてきました。本屋へ行くと、すぐに見つかつたと云ふことでした。」

 本屋にあつたといふのは、私を客人あつかひにするためのつくりごとであつたろう。葦平さんはそこまで氣をきかせてくれたのである。
 講演がすんでから旅館で宴会があつた。葦平さんが豐後浄瑠璃を演つて、みんなを抱腹絶倒させ、私は笑ひすぎて腹の皮が暫時のあひだ痛かつた。翌朝、私と今君と同じ部屋で朝寝をしてゐると、十時ごろ宿の主人が起こしに来た。
「今朝はビールの配給が、一ダースしかございません。火野先生はもうお目ざめになつて、原稿を二十枚お書きになりまして、ビールを八本お飲みになりました。皆さんもお早くなさらないと、あと四本しかございません。」

 私は前夜の飲みすぎで、ビールと聞くだけでも起きあがりたくなかつた。
 その日、葦平さんは原稿料前借の件で、新聞社の支局へ二度も三度も電話をかけた。話の模様では、葦平さんの兵隊のときの戰友が何かおおきな縮尻をして、辨償しなければ罪に問はれることになつてゐたらしい。入用なのは相當の額にのぼるお金である。それを葦平さんは、自發的に工面してやらうとしてゐるやうであつた。
「私が、どうにかしてやらないと、その男は裁判にかけられなくてはいけないんです。困った男です」と云つてゐた。
 後年、葦平さんは「酒」といふ雑誌に扉繪に、河童のサンタクロースを描いた。それがユーモラスなに良く描けてゐた。あの人は、サンタクロースのやうなところがあつた人ではないかと思ふ。」

(昭和三十五年二月、「週刊朝日」)

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気持ちのいい文章。

posted by Fukutake at 08:36| 日記