「唐詩選 下」 前野直彬注解 岩波文庫
ー酒ー
勧酒 于武陵
勧君金屈巵 君に勧む 金屈巵
満酌不須辞 満酌 辞するを須(もち)いず
花發多風雨 花発(ひら)けば風雨多く
人生足別離 人生 別離足(おお)し
君に勧める黄金のさかずき(金屈巵(きんくつし)柄がついた高価な酒器)、なみなみとついだこの酒を、辞退などするものではないよ。この世の中は、花が咲けば、とにかく雨風が多いもの、人が生きて行くうちには、別離ばかりが多い。
涼州詞 王翰
葡萄美酒夜光杯 葡萄の美酒 夜光の杯
欲飲琵琶馬上催 飲まんと欲れば 琵琶 馬上に催(うなが)す
酔臥沙場君莫笑 酔うて沙場に臥す 君笑うこと莫かれ
古来征戦幾人回 古来征戦 幾人か回(かえ)る
葡萄(西域から伝わった高級な酒)のうまざけをたたえた、夜光(唐代では貴重なガラス製)のさかずき。それを飲もうとすれば、うながすように、馬上から琵琶のしらべがおこる。酔いしれて、砂漠の上に倒れ臥す私を、君よ、笑いたもうな。昔から戦いに出てたった人のうち、幾人が無事で帰還できたことか。
客中行(旅の途中)李白
蘭陵美酒鬱金香 蘭陵の美酒 鬱金(うこん)の香(か)
玉椀盛来琥珀光 玉椀盛り来たる 琥珀の光
但使主人能酔客 但(た)だ主人をして能く客を酔わしめば
不知何処是他郷 知らず 何れの処か是れ他郷ならん
蘭陵のうまざけは鬱金の香りを放ち、玉の椀(まり)に盛られて、琥珀色の光をたたえる。この家のあるじが、旅人の私を心ゆくまで酔わせてくれさえするならば、どこが他国で、どこが故郷か、そんなことはかまうものか。
春思二 賈至
紅粉當壚弱柳垂 紅粉して壚に当れば弱柳垂れ
金花臘酒解酴釄 金花の臘酒 酴釄(とび)を解く
笙歌日暮能留客 笙歌 日暮 能く客を留め
酔殺長安軽薄兒 酔殺す 長安軽薄の児
紅おしろいをつけてお店に出れば、店の前にはしだれ柳の枝が垂れている(その柳にも似たこの姿)。黄金の花の浮かぶ新酒、さあ春のお酒に口を開けましょう。笙を吹き、歌をうたい、日が落ちてもまだお客を引きとめて、長安の浮かれ男たちを酔いつぶしてみせますよ。
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2022年08月29日
サヨナラダケガ人生ダ
posted by Fukutake at 12:29| 日記
お上の温情
「宮本常一著作集 別集 2」 民話とことわざ 未来社
民話について p76〜
「…民話の最後は、自分らにとって都合悪くなったという話はほとんどない。これが実に面白いんです。つまり抜け道がちゃんとあるんです。これは日本の俗信と通ずるものがあると思って、たいへん興味あるんです。日本の俗信はみんな抜け道がありまして、抜け道があるのが俗信だと思うんです。たとえば、きょうはこの方向へいっちゃいけないと思ったら、前の日にその方向に三歩あるくとその日にいってもいいとか、といった具合です。そういうことが実に沢山ある国が日本なんで、その点が宗教と違うんです。
それがそのままわれわれの生活の中のすべてではなかっただろうが、このあいだ箱根の関所のことを書いたものを読んでおりましたが、ああいうところを女が通るのは、大変むずかしいはずです。ところが江戸のほうからやってきまして、関所へきたらすぐ駕籠を逆さに向ける、取調べが出てきて「けしからん、元へかえせ」。元へかえしたら行きたいほうへ向くというんです(笑)。それから清川八郎の『西遊草』を読んでみますと、清河八郎は侍なんですが、その侍の清川が全部、関所破りをしている。一ヶ所も通行手形を出していない。午前六時以前に関所を通ったものは、とがめられなかったんです。それが武士が書いている。そういう抜け道があることは、当時の民衆の一般の慣習になっておった。制度すらそうであった。一つの知恵になっているんです。
いろいろな知恵で、みんなで化け物をだましたりするのは、ほとんどその知恵のように思うんです。そういうものを昔話に凝集させてやると、みんな安心して、それならおれだって覚えがあるということになる。そういう融通無碍というか、白いものを黒、黒いものを白といっても通るような場がこしらえてあった。私には思いあたるふしが非常に沢山あるんです。
もう一つ、それを日本人全体が許しておるんじゃないだろうか。その許しているということを、考えてみなきゃいけないんじゃないか。日本で法律が守られることだって、そういうことに関係がありゃしないだろうか。私は戦後の昭和二二〜二三年ごろ、全国をさかんに歩いた。私はヤミをやっておりませんから、リュックサックの中に、ヤミ米は入れていない。ところがたまたまつかまりまして、例の一斉検査をやられた米沢駅で全部調べられた。ヤミ米を持っていなかったのは私ひとり。その持っていなかった私が褒められたかというと、叱られた。「なんだ、お前ヤミもようやらんのか」(笑)それから一年ぐらいたって、もうよほどそういうことが少なくなったときに、山陰線の八橋の駅に、昼の日なかにおろされて取り調べられた。その時も、ヤミ米を持っていなかったのはやっぱり私一人だった。そしたら警官が、私の上から下までながめて「なんだ、お前ヤミもようやらんのか。だからいつまでたっても貧乏くさい支度をしているんだ」(笑)。これは実に面白いことだと思うんです。ヤミをやることが悪いんだと規定しながら、おまわりさんが私にそういうんだから、多少やっておったら、かえって褒められたんだろうと思うんです。そういうものが、日本人の心理の中にあるんじゃないだろうか。」
初出 『コミュニティ』41、一九七五、地域社会研究所
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民話について p76〜
「…民話の最後は、自分らにとって都合悪くなったという話はほとんどない。これが実に面白いんです。つまり抜け道がちゃんとあるんです。これは日本の俗信と通ずるものがあると思って、たいへん興味あるんです。日本の俗信はみんな抜け道がありまして、抜け道があるのが俗信だと思うんです。たとえば、きょうはこの方向へいっちゃいけないと思ったら、前の日にその方向に三歩あるくとその日にいってもいいとか、といった具合です。そういうことが実に沢山ある国が日本なんで、その点が宗教と違うんです。
それがそのままわれわれの生活の中のすべてではなかっただろうが、このあいだ箱根の関所のことを書いたものを読んでおりましたが、ああいうところを女が通るのは、大変むずかしいはずです。ところが江戸のほうからやってきまして、関所へきたらすぐ駕籠を逆さに向ける、取調べが出てきて「けしからん、元へかえせ」。元へかえしたら行きたいほうへ向くというんです(笑)。それから清川八郎の『西遊草』を読んでみますと、清河八郎は侍なんですが、その侍の清川が全部、関所破りをしている。一ヶ所も通行手形を出していない。午前六時以前に関所を通ったものは、とがめられなかったんです。それが武士が書いている。そういう抜け道があることは、当時の民衆の一般の慣習になっておった。制度すらそうであった。一つの知恵になっているんです。
いろいろな知恵で、みんなで化け物をだましたりするのは、ほとんどその知恵のように思うんです。そういうものを昔話に凝集させてやると、みんな安心して、それならおれだって覚えがあるということになる。そういう融通無碍というか、白いものを黒、黒いものを白といっても通るような場がこしらえてあった。私には思いあたるふしが非常に沢山あるんです。
もう一つ、それを日本人全体が許しておるんじゃないだろうか。その許しているということを、考えてみなきゃいけないんじゃないか。日本で法律が守られることだって、そういうことに関係がありゃしないだろうか。私は戦後の昭和二二〜二三年ごろ、全国をさかんに歩いた。私はヤミをやっておりませんから、リュックサックの中に、ヤミ米は入れていない。ところがたまたまつかまりまして、例の一斉検査をやられた米沢駅で全部調べられた。ヤミ米を持っていなかったのは私ひとり。その持っていなかった私が褒められたかというと、叱られた。「なんだ、お前ヤミもようやらんのか」(笑)それから一年ぐらいたって、もうよほどそういうことが少なくなったときに、山陰線の八橋の駅に、昼の日なかにおろされて取り調べられた。その時も、ヤミ米を持っていなかったのはやっぱり私一人だった。そしたら警官が、私の上から下までながめて「なんだ、お前ヤミもようやらんのか。だからいつまでたっても貧乏くさい支度をしているんだ」(笑)。これは実に面白いことだと思うんです。ヤミをやることが悪いんだと規定しながら、おまわりさんが私にそういうんだから、多少やっておったら、かえって褒められたんだろうと思うんです。そういうものが、日本人の心理の中にあるんじゃないだろうか。」
初出 『コミュニティ』41、一九七五、地域社会研究所
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posted by Fukutake at 12:25| 日記