2022年08月26日

にくめない妖怪

少年少女古典文学館「今昔物語集」杉本苑子 著 講談社 1993年

 水の精 p78〜

「今は昔、一軒の古屋敷があった。二条大路の北、西洞院大路の西、大炊御門大路の南、そして油の小路の東に位置する二町四方ほどの場所に建つ家で、以前はここに、陽成院の御所があったという。
 御所のころの古池なども残っていて、屋敷の庭にとりかこまれていたが、ながいこ底さらえをしなかったせいか落ち葉がしずみ、水の面には藻や青みどろが浮いて、なんとなく恐ろしげな風情である。

 しかもどうやらこの古池には、あやしい化けものがすみついているらしい。屋敷の持ち主がある夏の夕方、西の対(たい)の屋*の縁先に出て涼みがてら、うとうとしていると、どこからもなく身のたけ一メートルたらずの小さな爺さまがあらわれて、ほおをなでる。その冷たさといったらない。

 ぞくっとして目が覚めて、ようすをうかがったけれど、こわいので声が出ない。眠ったふりをしているうちに爺さまははなれていき、池のほとりまでいったと見るまに、姿がふいに消えてしまった。
(さては今のじじいは、池にすむ化けものだな。)
 納得できたが、気味わるくてたまらない。家の者をつかまえて、だれかれかまわずしゃべるとみなふるえあがって、
「引っ越してしまいたい。」
といいだす者もある。中にひとり、力自慢の男がいて、
「なんだ、そんなちびじじい、恐ろしいことなどあるものか。おれさまにまかせろ。ひっつかまえてくれるわ。」自信まんまん、虎ひげをひねりあげたので、「それはたのもしい。ぜひ退治してくれ。」と家じゅうが、その勇気をほめそやした。
「よしよし、見てろよ、」
ひげ男は綱を用意し、西の対の屋の縁先に寝ころぶ。

 ところが待てどくらせど妖怪はあらわれない。真夜中すぎまで目を見ひらいていたが、がまんしきれなくなってつい、うとうと眠りこんでしまった。
 顔に、ひんやりとしたものがふれたのは、しばらくたってからだった。はっと気がついてわれにかえり、はね起きざまに冷たいその手をつかんでねじふせた。
「ざまあみろ。グーの音も出まい。」勝ちほこって綱をとりだし、がんじがらめにしばりあげる。
「みんな出てこい。化けものをいけどったぞ。」
声を聞きつけて家の者がかけ集まり、灯をともしてみると、いつぞやと同じ身のたけ一メートル弱の爺さまだ。水色の上着と袴をつけ、つぶらな目をパチパチしばたいている、なにを問いかけても答えようとしないで、ただあちこちを見まわしていたが、やがて細い、かなしけな声で、
「たらいに水を入れて、持ってきてくだされ。」という。

 こいつ、のどがわかいたのだろうと思って、大だらいに水を満たし、ひざの先に置いてやったところ、その水をじいっとのぞいていた爺さま、
「わしは水の精だぞう。」いいざま頭から、ズブリとたらいの中に落ちこんだ。とたんに全身が溶けてなくなり、水の量が増えてあふれだす…。しばった綱だけが、結んだ形のまま浮きあげったので、
「そうかあ、やつは水の精だったのかあ。」

 人々はおどろきあきれながらも納得し、たらいを庭にはこびだして、中の水を池にもどしたのだった。」

(巻二十七『第五 冷泉院の水の精 人の形と成りて捕らへらるること」)

対の屋*  寝殿造の別棟(寝殿とも呼ばれる)
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可愛い妖怪

posted by Fukutake at 12:49| 日記

元気だろうか?

「もう一度」 大阪府和泉市 木村 吉男(82)

産経新聞「朝の詩」令和四年七月十九日 朝刊掲載

「子どもの頃の遊びを

年のせいか 近頃よく思い浮かべる

鬼ごっこ けんけん 縄跳び ゴム跳び

缶蹴り 竹馬

縄は細めの荒縄を

缶は缶詰の空き缶で

竹は近くの竹やぶから

あちこちから調達した


のぼるちゃん ケンちゃん 

元気だろうか

もう一度やれたらなあ

(選者 八木幹夫)
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百年たっても忘れるものではありません
posted by Fukutake at 12:46| 日記