「漱石の京都」 水川隆夫 平凡社 2001年
漱石の俳句と謡曲 p224〜
「漱石は、第五高等学校に赴任した明治二十九年(一八九六)から謡(うたい)をはじめ、謡曲を読む機会が多くなった。彼の俳句には、謡曲を題材にしたものがかなりある。
和田利男は、(『漱石の詩と俳句』)の中で、次のような句をあげて解説を加えている。
琵琶の名は青山とこそ時鳥 (明治二十九年「経政」)
経政の琵琶に御室の朧かな (大正三年「經政」)
謡うべき程は時雨つ羅生門 (明治二十九年『羅生門」)
折り焚き(て)時雨に弾かん琵琶もなし (明治二十九年「蝉丸」)
霞けり物見の松に熊坂が (明治三十年「熊坂」)
払へども払へどもわが袖の雪 (明治三十二年「鉢木」)
雪の夜や佐野にて食ひし粟の飯 (明治四十五年「鉢木」)
蝙蝠に近し小鍛冶が槌の音 (明治三十六年「小鍛冶」)
山伏の関所へかかる桜哉 (明治四十一年 「安宅」)
俊寛と共に吹かるる千鳥かな (明治四十二年「俊寛」)
浦の男に浅瀬問ひ居る朧哉 (名に四十三年「藤戸」)
和田利男の挙げていないものを、三句つけ加えておきたい。
山伏の並ぶ関所や梅の花 (明治二十九年)
この句も「安宅」によったものと思われる。山伏に身をやつした義経主従が安宅の関で関守の冨樫に怪しまれる。弁慶は即席の勧進帳を読み上げ、わざと義経を打ちすえ、関所を通る。冨樫が後を追って非礼をわび、弁慶が舞を舞い、一行は奥州へ落ちのびていくという四番目物である。この句では、関所の情景に桜ではなく香気の高い梅を配し、主従の心情を象徴させている。
梅散るや源太の箙(えびら)はなやかに (明治三十二年)
謡曲「箙」によっている。あらすじは、生田川に着いた西国の僧の前に梶原源太景季の幽霊が現れ、名木箙の梅のいわれと一の谷合戦の模様を語る。通夜をする僧の前に矢を入れる箙に梅の枝をさしたはなやかな若無武者の景季が現れ、生田の森での合戦の様を見せ回向を頼むという修羅物である。この句は眼前の梅の花の散る様を見て、景季の合戦の様子を思い浮かべたものであろう。
花曇り尾上の鐘の響きかな (明治四十一年)
謡曲「高砂」からヒントを得たものと思われる。阿蘇の神主が高砂の浦で松の落葉掻きの老夫婦から高砂住吉の相生の松のいわれを聞く。海上に姿を消した老夫婦の言葉のままに住吉に行くと、住吉の松の精が現れて、泰平の御代を寿いで舞を舞う。世阿弥作で、正式の演能の最初におかれる脇能(神事物)の代表的な曲である。この句は、曲中に引用された「高砂の尾上の鐘の音すなり暁かけて霜や置くらん」(『千載和歌集』)を踏まえている。」
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立派な身なりを
「人生の知恵X パスカルの言葉」 田辺保 訳編 彌生書房 1997年
パンセ より
「びっこの人が、わたしたちをいら立たせることはないが、びっこの精神はいらいらさせるのは、なぜだろう。びっこの人は、わたしたちがまっすぐ歩いていることを認めているが、びっこの精神は、わたしたちの方がびっこだと言うからである。そんなことでもなければ、わたしたちも可哀そうに思ってやっただろうし、腹を立てることもないであろう。(パンセ 八〇)
人は、すべてにわたって、知られるかぎりのことを何もかも知るというほど全能であることはできないのだから、すべてを少しずつ知るべきである。一つの事柄についてそのすべてを知っているよりも、何ごとについても、いくらかずつ知っているという方がずっと結構なことだからである。こんなふうにすべてを包んでいるのがいちばんよいことなのだ。この両方を兼ねそなえることができれば、なおいっそう申し分ないが、選ばなければならないのなら、こちらの方を選ぶべきである。世間の人は、そのことをよく知っており、そのとおり実行している。世間の人の方がりっぱな判断をくだす場合が多い。(パンセ 三七)
長い間にわたって希望を与えられなければならない人たちがいる。繊細な心の人たちである。長い間、困難に堪えきれない人たちもいる。もっとも粗野な人たちである。繊細な心の人は、愛することも長く、楽しみを与えられることも多い。粗野な人たちは、いそいで、自由奔放に愛する。愛の終わりもはやい。(恋愛の情念について)
よいものは、どこにもかしこにも、ふつうに存在している。ただ、それを見分けることが、問題なのである。よいものが、ごく自然なもので、わたしたちの手のとどくところにあり、だれにもよく知られたものだということも確かである。しかし、その見分けがなかなかできないのだ。このことは、あらゆる場合にいえる。どんな種類のものでも、すぐれたものは、異常なもの、奇妙なものの中には見出されない。そこへたどりつこうとして、人は背のびをし、かえってそこから遠ざかる。だから、なるたけ身を低めなければならない。最良の本とは、それを読む人々が自分でも書けそうだと思う本である。自然だけが、ただひとつよいものであって、まったく親しみにみち、どこにもふつうに存在している。(幾何学的精神について)
自分自身を知らなけれなならない。このことは真実を見出す助けにはならないだろうが、少なくとも自分の生活の規律には役立つ。このこと以上にりっぱなことはない。(パンセ 六六)
りっぱな服装をするということは、それほどつまらないことではない。つまり、大ぜいの人間が自分一人のために汗水たらしていることを見せつけられるのだからである。自分の姿かたちによって、召使や香水造りなどをかかえていることを見せつけ、その胸飾り、上等の糸、かざり紐などによって…。ところで、たくさんの人手を持っていることは、単に体裁とか、こけおどしだけではない。
人手を多く持てば持つほど、その人には力があるのだ。りっぱな服装をするとは、自分の力を見せびらかすことである。(パンセ 三一六)」
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実際家
パンセ より
「びっこの人が、わたしたちをいら立たせることはないが、びっこの精神はいらいらさせるのは、なぜだろう。びっこの人は、わたしたちがまっすぐ歩いていることを認めているが、びっこの精神は、わたしたちの方がびっこだと言うからである。そんなことでもなければ、わたしたちも可哀そうに思ってやっただろうし、腹を立てることもないであろう。(パンセ 八〇)
人は、すべてにわたって、知られるかぎりのことを何もかも知るというほど全能であることはできないのだから、すべてを少しずつ知るべきである。一つの事柄についてそのすべてを知っているよりも、何ごとについても、いくらかずつ知っているという方がずっと結構なことだからである。こんなふうにすべてを包んでいるのがいちばんよいことなのだ。この両方を兼ねそなえることができれば、なおいっそう申し分ないが、選ばなければならないのなら、こちらの方を選ぶべきである。世間の人は、そのことをよく知っており、そのとおり実行している。世間の人の方がりっぱな判断をくだす場合が多い。(パンセ 三七)
長い間にわたって希望を与えられなければならない人たちがいる。繊細な心の人たちである。長い間、困難に堪えきれない人たちもいる。もっとも粗野な人たちである。繊細な心の人は、愛することも長く、楽しみを与えられることも多い。粗野な人たちは、いそいで、自由奔放に愛する。愛の終わりもはやい。(恋愛の情念について)
よいものは、どこにもかしこにも、ふつうに存在している。ただ、それを見分けることが、問題なのである。よいものが、ごく自然なもので、わたしたちの手のとどくところにあり、だれにもよく知られたものだということも確かである。しかし、その見分けがなかなかできないのだ。このことは、あらゆる場合にいえる。どんな種類のものでも、すぐれたものは、異常なもの、奇妙なものの中には見出されない。そこへたどりつこうとして、人は背のびをし、かえってそこから遠ざかる。だから、なるたけ身を低めなければならない。最良の本とは、それを読む人々が自分でも書けそうだと思う本である。自然だけが、ただひとつよいものであって、まったく親しみにみち、どこにもふつうに存在している。(幾何学的精神について)
自分自身を知らなけれなならない。このことは真実を見出す助けにはならないだろうが、少なくとも自分の生活の規律には役立つ。このこと以上にりっぱなことはない。(パンセ 六六)
りっぱな服装をするということは、それほどつまらないことではない。つまり、大ぜいの人間が自分一人のために汗水たらしていることを見せつけられるのだからである。自分の姿かたちによって、召使や香水造りなどをかかえていることを見せつけ、その胸飾り、上等の糸、かざり紐などによって…。ところで、たくさんの人手を持っていることは、単に体裁とか、こけおどしだけではない。
人手を多く持てば持つほど、その人には力があるのだ。りっぱな服装をするとは、自分の力を見せびらかすことである。(パンセ 三一六)」
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実際家
posted by Fukutake at 07:40| 日記