「ユーモアと笑いの至福」 松枝到=編 (東洋文庫ふしぎの国) 平凡社 1989年
笑い話 p48〜
「けっこうな拳骨
ある人、北京から国に帰ってきて、事ごとに北京のことを賞める。 ある晩、たまたま月かげのもとを父と一緒に歩いているうち、一人が、「今夜はいい月だな」というと、その北京をべたほめする男が、「この月のどこがいいんです。 北京の月はもっともっと、そりゃすばらしいんだ」といったので、その父大いに怒り、「世界に月は一つしかない。 なんで北京の月だけがいいものか」といって、その顔を拳骨を一つお見舞いした。 息子は殴られてわあわあ泣きながら叫んだ。 「父ちゃんの拳骨が珍しいものか。 あの北京の拳骨はもっともっと、そりゃとてもすばらしいんだ」。」
(『中国笑話集』)
「寒がり
「世の中で、寒がらぬものは何だろう?」
「水洟(みずばな)さ。 寒い日にでる」
「一番の寒がりは何だろう」
「おならさ。 尻の孔から出たかと思うと、すぐにまた鼻の孔にもぐりこむ」。」
(『中国笑話集』)
「ホジャ奇行談
ホジャが家の中で、指輪を失うたげな。 探してげな。 探したげな。 見つからんだげな。 今度は、戸口の前へ出て、そこを探しはじめたげな。 隣の衆が見て、訊いたげな。
ホジャどん、何を探していなさる?
自分の指輪を無(の)うしたんじゃ。 それを探しとるんですわい。
どこで落としなさった? その指輪を?
家ん中で。
なら、何で、家ん中探しなさらん?
ホジャはこう答えたげな。
中はひどう暗てなあ。じゃで、ここを探していますわい。」
(『ナスレッディン・ホジャ物語』)
-----
the older, the better ?
「宮ア市定全集 21」ー日本古代ー 岩波書店 1993年
先へ進んだ世界 p348〜
「歴史がふるければふるいほど、その国が偉大なように考えている人がある。 それでむかしから、争って自国の歴史を、ふるくしようと競争したものだ。 これはじつにつまらないことで、歴史がふるくても別に偉くはない。 ヨーロッパは西アジアよりも歴史があたらしいが、それだからヨーロッパ人は、西アジア人より偉くはない、という理屈は成りたたない。 もしそういうことがいえたとしても、偉いとか偉くないとか、その民族の値打ちを定めるものは、歴史学の正しい目的ではない。
中国には古来三皇五帝の伝説がある。 三皇はしばらくおいて、五帝のことは、有名な司馬遷の『史記』にも書いてあることだ。 『史記』は五帝の最初の黄帝から筆を起こしている。 そこで、先ごろの清朝を倒した辛亥革命にさいして、中国の学者たちは、中国の歴史には黄帝紀元を用い、黄帝即位の元年を紀元元年(西紀前二六九八)とし、したがって辛亥革命の年を、黄帝紀元四六〇九年にしようなどという案をたてたこともある。 しかし世界の学者が認める歴史学では、もちろんのこの三皇五帝の伝説は、そのまま史実とは考えられず、中国の歴史は、せいぜい西紀前一二、三世紀ぐらいまでしか、さかのぼれないことに落ついてきている。
こういう点は、日本でも同様であり、日本の場合には神武紀元をいわば欽定化してしまったため、それが約六〇〇年ほどズレていることに誰しも気づきながら、公言できないでいた。
こうみてくると、日本とくらべてふるいといわれる中国もそんなにふるい文化国ではない。 それならばいったい、どこがふるいのか。 やはり世界でいちばんふるいのは、西アジアからエジプトにかけての一帯の地方であることは、間違いなさそうだ。 ただしこれもその土地に伝わった伝説によると、西紀前五〇〇〇年もの大むかしから進んだ文化があったことになるが、考古学などで確かめられるところは、およそ前三〇〇〇年そこそこのことであるという。 近ごろの学問では、年代がしだいにあたらしいところへ引下げられていく傾向があるから、紀元前三〇〇〇年というのも、少しふるくみすぎているのかもしれない。 ちょうどよいところは、紀元前二五〇〇年〜二〇〇〇年というところであろうか。
それにしても、エジプト・メソポタミアを含めた西アジアの古代文化は、何といっても世界中でいちばんふるい。 そこで、もしも文化がふるければふるいほど、そこの住民が偉いのだとすると、西アジアの住民は、世界でいちばん偉いことになるはずである。 わたしたちはそう定められても別に困らないが、困ったのは、一九世紀のヨーロッパ人である。」
----
「ヨーロッパ人は、何でも自分たちを、世界でいちばん偉いものにしておかないと気が済まない。」
先へ進んだ世界 p348〜
「歴史がふるければふるいほど、その国が偉大なように考えている人がある。 それでむかしから、争って自国の歴史を、ふるくしようと競争したものだ。 これはじつにつまらないことで、歴史がふるくても別に偉くはない。 ヨーロッパは西アジアよりも歴史があたらしいが、それだからヨーロッパ人は、西アジア人より偉くはない、という理屈は成りたたない。 もしそういうことがいえたとしても、偉いとか偉くないとか、その民族の値打ちを定めるものは、歴史学の正しい目的ではない。
中国には古来三皇五帝の伝説がある。 三皇はしばらくおいて、五帝のことは、有名な司馬遷の『史記』にも書いてあることだ。 『史記』は五帝の最初の黄帝から筆を起こしている。 そこで、先ごろの清朝を倒した辛亥革命にさいして、中国の学者たちは、中国の歴史には黄帝紀元を用い、黄帝即位の元年を紀元元年(西紀前二六九八)とし、したがって辛亥革命の年を、黄帝紀元四六〇九年にしようなどという案をたてたこともある。 しかし世界の学者が認める歴史学では、もちろんのこの三皇五帝の伝説は、そのまま史実とは考えられず、中国の歴史は、せいぜい西紀前一二、三世紀ぐらいまでしか、さかのぼれないことに落ついてきている。
こういう点は、日本でも同様であり、日本の場合には神武紀元をいわば欽定化してしまったため、それが約六〇〇年ほどズレていることに誰しも気づきながら、公言できないでいた。
こうみてくると、日本とくらべてふるいといわれる中国もそんなにふるい文化国ではない。 それならばいったい、どこがふるいのか。 やはり世界でいちばんふるいのは、西アジアからエジプトにかけての一帯の地方であることは、間違いなさそうだ。 ただしこれもその土地に伝わった伝説によると、西紀前五〇〇〇年もの大むかしから進んだ文化があったことになるが、考古学などで確かめられるところは、およそ前三〇〇〇年そこそこのことであるという。 近ごろの学問では、年代がしだいにあたらしいところへ引下げられていく傾向があるから、紀元前三〇〇〇年というのも、少しふるくみすぎているのかもしれない。 ちょうどよいところは、紀元前二五〇〇年〜二〇〇〇年というところであろうか。
それにしても、エジプト・メソポタミアを含めた西アジアの古代文化は、何といっても世界中でいちばんふるい。 そこで、もしも文化がふるければふるいほど、そこの住民が偉いのだとすると、西アジアの住民は、世界でいちばん偉いことになるはずである。 わたしたちはそう定められても別に困らないが、困ったのは、一九世紀のヨーロッパ人である。」
----
「ヨーロッパ人は、何でも自分たちを、世界でいちばん偉いものにしておかないと気が済まない。」
posted by Fukutake at 08:43| 日記