「二宮翁夜話 ー人生を豊かにする智恵の言葉ー (口述 二宮尊徳 筆記 福住正兄 編訳 渡邊毅)PHP 2005年
人の捨てざる「なき物」 p118〜
「先生の歌に、
「むかしより 人の捨てざる なきものを拾い集めて 民に与へん」とあるのを、ある人が見て、「『人の捨てざる』という部分は『人の捨てたる』とするのがよいでしょう」といった。
それを聞いて、先生はおっしゃった。
「『人の捨てたる』とすると、人が捨てなければ、拾うことができないということになり、歌の意味がはなはだ狭くなってしまいます。それに、捨てたのを拾うのは僧侶の道であって、私の道ではありません。古歌に、
『世の人に 欲を捨てよと 勧めつつ 跡より拾う 寺の住職』
とありますが、おもしろい歌ですね」
ある人がいった。
「『捨てざるなき物』とは、どういう意味なのでしょうか」
先生がおっしゃった。
「世の中に人が捨てない物で、しかも「ない物」というのは数え上げられないぐらい、とてもたくさんあります。第一に荒地。第二に借金の雑費と暇つぶし。第三に金持ちの贅沢。第四に貧者の怠惰です。荒地のようなものは、『捨てた物』同然ですが、開墾しようとすれば、必ず持ち主がいて容易に手をつけることができません。これが『ない物』であって、『捨てた物』ではない、ということです。
それからまた、借金の利息・借替(返済せずに借りを更新すること)・成替(なしかえ)(いったん返済して再度借りること)の雑費も同じ類です。『捨てた物』ではなく、『ない物』です。その他にも、金持ちの贅沢や貧者の怠惰も、同じです。
世の中このように、『捨てた物』ではないが、荒廃して『無に帰して』しまうものがたくさんあります。これをよく拾い集めて国家を興す資本にするなら、広く国民を救済してなお余があるでしょう。
『人の捨てない物』で、しかも「ない物』を拾い集めるのが、私の幼少時代から勤めてきた道であり、これが今日に至った土台です。すなわち私のやり方の根本です。あなたも、よく注意して拾い集めて、世の中の救済をしなさい」」
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友だちになろう
「「分かりやすい教え方」の技術」 ブルーバックス 藤沢晃治 講談社
「教える前に友だちになれ」 p62〜
「誰にも、もともと好きなタイプの生徒もいれば、なぜか虫の好かない生徒もいます。職場でも、好きなタイプの部下や後輩もいれば、なぜか虫の好かない部下や後輩もいるわけです。では、本音では嫌いなタイプの生徒を「好きになる」とは、どういうことでしょうか。
「よい先生になるために人格者になろう」と無理する必要はありません。しかし「教える」現場で、「人格者」のニュアンスにもっとも近い状態が、この「生徒を好きになる」ということです。
何となく肌が合わないという人がいたら、簡単にできることがあります。その人の長所を三つ挙げてみるのです。そして、その人と顔を合わせるたびに心に中でその三つの長所を唱えるのです。これを繰り返しているだけで、不思議に苦手意識が段々と消えていきます。
私はビジネスでもプライベートでも、苦手意識を感じる相手には、この方法を実践していますが不思議と効果があります。最初はほんとに苦手だった人が、今では親友になってしまったケースもあるほどです。
人に「教える」とは「人間関係を築く」ということでもあります。「教える」前に、ともかくやっておくべきことは、生徒との間によい人間関係を築くことなのです。
学生時代、ある子供の家庭教師をしたことがあります。その子は勉強ができないわけではなかったのですが、甘やかされた少年という感じでした。外でいっしょに遊ぶ友だちができず、子供らしい生き生きとした表情が消えている印象だったのです。
ご両親の希望は、家庭教師として週に一回訪ねて、学力向上よりも、まずその子の引きこもり的な性格を直して欲しいというものでした。
そこで私は「君は何をしているときが楽しい?」などと雑談から始めてみることにしました。するとその子は将棋が得意だというので、当時、将棋のルールさえ知らなかった私の方が、その子に将棋を教わることにしました。
こうして週に一回、家庭教師として訪問しながら、最初は逆に子供に将棋を教わるという奇妙な関係がしばらく続きました。その間、私はほとんど勉強らしい勉強を教えていなかったのです。
ところがあるとき、ご両親にたいへん感謝されました。「あなたのおかげで、うちの子は最近、明るくなりました。それがよい影響になったのか、成績も上がりました。ありがとうございます」というのです。その子が将棋を通じて心を開いてくれたからなのでしょうか。
「教える」ためには、まず人間として信頼してもらうことから始めて、ゆっくりと心を通わせていく。友だちになることが近道ではないでしょうか。」
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「教える前に友だちになれ」 p62〜
「誰にも、もともと好きなタイプの生徒もいれば、なぜか虫の好かない生徒もいます。職場でも、好きなタイプの部下や後輩もいれば、なぜか虫の好かない部下や後輩もいるわけです。では、本音では嫌いなタイプの生徒を「好きになる」とは、どういうことでしょうか。
「よい先生になるために人格者になろう」と無理する必要はありません。しかし「教える」現場で、「人格者」のニュアンスにもっとも近い状態が、この「生徒を好きになる」ということです。
何となく肌が合わないという人がいたら、簡単にできることがあります。その人の長所を三つ挙げてみるのです。そして、その人と顔を合わせるたびに心に中でその三つの長所を唱えるのです。これを繰り返しているだけで、不思議に苦手意識が段々と消えていきます。
私はビジネスでもプライベートでも、苦手意識を感じる相手には、この方法を実践していますが不思議と効果があります。最初はほんとに苦手だった人が、今では親友になってしまったケースもあるほどです。
人に「教える」とは「人間関係を築く」ということでもあります。「教える」前に、ともかくやっておくべきことは、生徒との間によい人間関係を築くことなのです。
学生時代、ある子供の家庭教師をしたことがあります。その子は勉強ができないわけではなかったのですが、甘やかされた少年という感じでした。外でいっしょに遊ぶ友だちができず、子供らしい生き生きとした表情が消えている印象だったのです。
ご両親の希望は、家庭教師として週に一回訪ねて、学力向上よりも、まずその子の引きこもり的な性格を直して欲しいというものでした。
そこで私は「君は何をしているときが楽しい?」などと雑談から始めてみることにしました。するとその子は将棋が得意だというので、当時、将棋のルールさえ知らなかった私の方が、その子に将棋を教わることにしました。
こうして週に一回、家庭教師として訪問しながら、最初は逆に子供に将棋を教わるという奇妙な関係がしばらく続きました。その間、私はほとんど勉強らしい勉強を教えていなかったのです。
ところがあるとき、ご両親にたいへん感謝されました。「あなたのおかげで、うちの子は最近、明るくなりました。それがよい影響になったのか、成績も上がりました。ありがとうございます」というのです。その子が将棋を通じて心を開いてくれたからなのでしょうか。
「教える」ためには、まず人間として信頼してもらうことから始めて、ゆっくりと心を通わせていく。友だちになることが近道ではないでしょうか。」
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posted by Fukutake at 07:14| 日記