「現代民話考 5」 松谷みよ子 ちくま文庫 2003年
人形への思い p436〜
「昔話を数百話は語ろうかという話者、遠藤登志子さんが、まだ若い母親であったときのことという。ヒロ坊連れて隣へいったら婆ちゃんが梅もいでいた。青梅食いたがって疫痢になれば困るとすぐに連れ帰ったが、その晩、隣の悦子ちゃんのおなかが痛くなった。イチジク浣腸借りにきたので二つ持たせたけれど、次の日の夕方、悦子ちゃんは呆気なく息を引き取ったのである。登志子さんは我が身が責められた。何故我が子のことばかり案じて連れ帰ったか。何故ひとこと、悦子ちゃんよ、青梅食うなよと注意しなかったか。五歳の悦子ちゃんがただひとり、あの世さ旅立つかと思えばたまらなくて、登志子さんは大きな人形を買うと、「どうか棺の中さ入れてけろ」と隣へ届けたのである。
法定伝染病だから葬儀もなかった。ところがそれから三日たったか、四日たったか、悦子ちゃん悦子ちゃんと名を呼んでいるヒロ坊の声を聞いた。くくっ、と笑ったりしている。そこにいるのは絵本を向こうむきにひろげて坐っているヒロ坊だった。絵を指して何かしゃべって、ねー、と見上げる。目には見えないけれど、たしかにそこに誰かがいて、猫もまじまじと見えない誰かを見上げて尻尾をふったりするのだった。「誰と話しているの、ヒロ坊」「悦子ちゃん」二歳半のヒロ坊はあどけなくいう。次の日もその次の日も、死んだ悦子ちゃんは遊びにきた。積木をしている。ヒロ坊が一つ置く。そうして相手が置くのをじっとみて、また一つ置く。猫とヒロ坊と、死んだ悦子ちゃんは確かに遊んでいるのだった。悦子ちゃんは夜までいるようになった。怖くてさみしくて、登志子さんはたまりかねて母ちゃんを連れてきたけれど、そうすると悦子ちゃんはもういない。
登志子さんはたまりかねてもう一つ、小さな人形と菓子を持って寺を訪ねた。ひとの足跡を辿っていくと裏山があり、曲がるとぽかっと墓が立っていた。「あんな大きな人形を持たせたのに、どうしてくるの。一つだけでは遊びかねるかと思ってほれもう一つもってきたよ」人形と菓子を供えると、それっきり悦子ちゃんはこなくなったという。
この話には後日譚があった。何年かしてからという。隣家はすでに引越ていたが、ある日登志子さんは近くまできたからと、引越先へ寄ってみた。目を疑った。悦子ちゃんの妹にあたる子が抱きかかえている大きな人形は、確かにあの時の人形であった。顔色が変わるのを見てとったのだろう。「ごめんね、あの時の人形、焼くの勿体ねえって婆ちゃんが箪笥に仕舞ったの」母ちゃんがすまなそうにわびた。登志子さんは黙って帰った。そうか、それで悦子ちゃんは家へきたんだと胸に落ちた。家賃が千円の頃、八百円の人形を奮発して買ったんだよ。どうしてもあの世さ持たせてやりたかったのに、登志子さんはつぶやくのである。」
(『あの世からのことづて』筑摩書房)
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2022年08月02日
棺に入れたはずの人形
posted by Fukutake at 07:49| 日記
人間の死
「小林秀雄全集 第九巻」− 私の人生觀− 新潮社版 平成十三年
「きけわだつみのこえ」 p198〜
「「きけわだつみのこえー 日本戰歿學生の手記」は、非情に讀まれているさうであるが、私も一讀して、成る程と思つた。これには、流行のルポルタージュ文學に容易に認め難い直接に人の心を捕へる力があるのである。人間の表現力といふものは不思議なもので、この力の構造について、明瞭な意識を持つなどといふことは、まづ望めないことのやうな氣がする。
手記を書いた或る學生は、無量の想ひを有限な紙に記するもどかしさを言つてゐるが、これは、手記を遺した全ての人達の想ひ立つたらうと察しられる。まづ語らんとする無量の想ひといふものがあるのだ。今日の職業文學者達が忘れ果ててしまつた大切なものが。
私は、ここに現れた學生達の手記の内容を云々しまい。觀察や批判や、感情の未熟を言ふまい。かれらを追ひやつた現實條件について、彼等が正しい眼を持つてゐなかつたなどと言ふまい。さういふことを言ふのは正しいやうで、實は少しも正しくナイト思つてゐる。これは追ひつめられた者の叫喚でも、うめき聲でもない。覺め切つた緊張し切つた正しい人間の表現である。誰も彼も、自己といふ現存を、めいめいの才能と意志との限りを盡して語つてゐるのだ。それはそれとして正しく及び難いのである。
「平家物語」を讀んでゐて、叙述が戰の物語から忽ち戀愛談に移るのを、人は何んとも思はない。それは同じ人間劇だからである。戰爭や戀愛のあるお陰で、何んと人間達は生き生きとして来るか。戀愛が女の感情を磨くやうに、戰爭は男の意志を鍛へる。強く勇氣のあるものが勝つて還理、卑怯な弱者はくたばる。さういふ物語を、私達は讀むのである。必ずしも單なる物語ではなかつたであらう。
人間らしい物語を創り出すことのできるやうな戰爭も實際に可能だつた時代もあつたのである。しかし、今となつてはもう駄目だ。學生の手記中には、娑婆といふ言葉がしばしば使われてゐるが、出征すればもう彼等は娑婆にはゐないと皆感じてゐる。現代の戰爭とは、もはや娑婆の出来事ではないのである。恐るべき兵器を前にして、人間はもはやその勇氣を試すことも、その意志を鍛えることも不可能だ。爆弾の餌食に英雄も卑怯者もない。戰爭といふ暴力、それはもはや悪でさへない。悪なら善にも變らにと限るまい。
私は、學生の手記に現れた不安や懐疑の底に、彼等が見たに違ひないものを見る。それを彼等は、仕方なく死といふ言葉で表現する。仕方なくだ。だが、それは人間の死ですらないことを彼等は感じてゐることを私も感じる。それは化け物だ。」
(「夕刊新大阪」、昭和二十五年一月)
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「きけわだつみのこえ」 p198〜
「「きけわだつみのこえー 日本戰歿學生の手記」は、非情に讀まれているさうであるが、私も一讀して、成る程と思つた。これには、流行のルポルタージュ文學に容易に認め難い直接に人の心を捕へる力があるのである。人間の表現力といふものは不思議なもので、この力の構造について、明瞭な意識を持つなどといふことは、まづ望めないことのやうな氣がする。
手記を書いた或る學生は、無量の想ひを有限な紙に記するもどかしさを言つてゐるが、これは、手記を遺した全ての人達の想ひ立つたらうと察しられる。まづ語らんとする無量の想ひといふものがあるのだ。今日の職業文學者達が忘れ果ててしまつた大切なものが。
私は、ここに現れた學生達の手記の内容を云々しまい。觀察や批判や、感情の未熟を言ふまい。かれらを追ひやつた現實條件について、彼等が正しい眼を持つてゐなかつたなどと言ふまい。さういふことを言ふのは正しいやうで、實は少しも正しくナイト思つてゐる。これは追ひつめられた者の叫喚でも、うめき聲でもない。覺め切つた緊張し切つた正しい人間の表現である。誰も彼も、自己といふ現存を、めいめいの才能と意志との限りを盡して語つてゐるのだ。それはそれとして正しく及び難いのである。
「平家物語」を讀んでゐて、叙述が戰の物語から忽ち戀愛談に移るのを、人は何んとも思はない。それは同じ人間劇だからである。戰爭や戀愛のあるお陰で、何んと人間達は生き生きとして来るか。戀愛が女の感情を磨くやうに、戰爭は男の意志を鍛へる。強く勇氣のあるものが勝つて還理、卑怯な弱者はくたばる。さういふ物語を、私達は讀むのである。必ずしも單なる物語ではなかつたであらう。
人間らしい物語を創り出すことのできるやうな戰爭も實際に可能だつた時代もあつたのである。しかし、今となつてはもう駄目だ。學生の手記中には、娑婆といふ言葉がしばしば使われてゐるが、出征すればもう彼等は娑婆にはゐないと皆感じてゐる。現代の戰爭とは、もはや娑婆の出来事ではないのである。恐るべき兵器を前にして、人間はもはやその勇氣を試すことも、その意志を鍛えることも不可能だ。爆弾の餌食に英雄も卑怯者もない。戰爭といふ暴力、それはもはや悪でさへない。悪なら善にも變らにと限るまい。
私は、學生の手記に現れた不安や懐疑の底に、彼等が見たに違ひないものを見る。それを彼等は、仕方なく死といふ言葉で表現する。仕方なくだ。だが、それは人間の死ですらないことを彼等は感じてゐることを私も感じる。それは化け物だ。」
(「夕刊新大阪」、昭和二十五年一月)
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posted by Fukutake at 07:41| 日記