2022年08月29日

お上の温情

「宮本常一著作集 別集 2」 民話とことわざ  未来社

民話について p76〜

 「…民話の最後は、自分らにとって都合悪くなったという話はほとんどない。これが実に面白いんです。つまり抜け道がちゃんとあるんです。これは日本の俗信と通ずるものがあると思って、たいへん興味あるんです。日本の俗信はみんな抜け道がありまして、抜け道があるのが俗信だと思うんです。たとえば、きょうはこの方向へいっちゃいけないと思ったら、前の日にその方向に三歩あるくとその日にいってもいいとか、といった具合です。そういうことが実に沢山ある国が日本なんで、その点が宗教と違うんです。

 それがそのままわれわれの生活の中のすべてではなかっただろうが、このあいだ箱根の関所のことを書いたものを読んでおりましたが、ああいうところを女が通るのは、大変むずかしいはずです。ところが江戸のほうからやってきまして、関所へきたらすぐ駕籠を逆さに向ける、取調べが出てきて「けしからん、元へかえせ」。元へかえしたら行きたいほうへ向くというんです(笑)。それから清川八郎の『西遊草』を読んでみますと、清河八郎は侍なんですが、その侍の清川が全部、関所破りをしている。一ヶ所も通行手形を出していない。午前六時以前に関所を通ったものは、とがめられなかったんです。それが武士が書いている。そういう抜け道があることは、当時の民衆の一般の慣習になっておった。制度すらそうであった。一つの知恵になっているんです。

 いろいろな知恵で、みんなで化け物をだましたりするのは、ほとんどその知恵のように思うんです。そういうものを昔話に凝集させてやると、みんな安心して、それならおれだって覚えがあるということになる。そういう融通無碍というか、白いものを黒、黒いものを白といっても通るような場がこしらえてあった。私には思いあたるふしが非常に沢山あるんです。
 もう一つ、それを日本人全体が許しておるんじゃないだろうか。その許しているということを、考えてみなきゃいけないんじゃないか。日本で法律が守られることだって、そういうことに関係がありゃしないだろうか。私は戦後の昭和二二〜二三年ごろ、全国をさかんに歩いた。私はヤミをやっておりませんから、リュックサックの中に、ヤミ米は入れていない。ところがたまたまつかまりまして、例の一斉検査をやられた米沢駅で全部調べられた。ヤミ米を持っていなかったのは私ひとり。その持っていなかった私が褒められたかというと、叱られた。「なんだ、お前ヤミもようやらんのか」(笑)それから一年ぐらいたって、もうよほどそういうことが少なくなったときに、山陰線の八橋の駅に、昼の日なかにおろされて取り調べられた。その時も、ヤミ米を持っていなかったのはやっぱり私一人だった。そしたら警官が、私の上から下までながめて「なんだ、お前ヤミもようやらんのか。だからいつまでたっても貧乏くさい支度をしているんだ」(笑)。これは実に面白いことだと思うんです。ヤミをやることが悪いんだと規定しながら、おまわりさんが私にそういうんだから、多少やっておったら、かえって褒められたんだろうと思うんです。そういうものが、日本人の心理の中にあるんじゃないだろうか。」

初出 『コミュニティ』41、一九七五、地域社会研究所
-----

posted by Fukutake at 12:25| 日記

2022年08月26日

にくめない妖怪

少年少女古典文学館「今昔物語集」杉本苑子 著 講談社 1993年

 水の精 p78〜

「今は昔、一軒の古屋敷があった。二条大路の北、西洞院大路の西、大炊御門大路の南、そして油の小路の東に位置する二町四方ほどの場所に建つ家で、以前はここに、陽成院の御所があったという。
 御所のころの古池なども残っていて、屋敷の庭にとりかこまれていたが、ながいこ底さらえをしなかったせいか落ち葉がしずみ、水の面には藻や青みどろが浮いて、なんとなく恐ろしげな風情である。

 しかもどうやらこの古池には、あやしい化けものがすみついているらしい。屋敷の持ち主がある夏の夕方、西の対(たい)の屋*の縁先に出て涼みがてら、うとうとしていると、どこからもなく身のたけ一メートルたらずの小さな爺さまがあらわれて、ほおをなでる。その冷たさといったらない。

 ぞくっとして目が覚めて、ようすをうかがったけれど、こわいので声が出ない。眠ったふりをしているうちに爺さまははなれていき、池のほとりまでいったと見るまに、姿がふいに消えてしまった。
(さては今のじじいは、池にすむ化けものだな。)
 納得できたが、気味わるくてたまらない。家の者をつかまえて、だれかれかまわずしゃべるとみなふるえあがって、
「引っ越してしまいたい。」
といいだす者もある。中にひとり、力自慢の男がいて、
「なんだ、そんなちびじじい、恐ろしいことなどあるものか。おれさまにまかせろ。ひっつかまえてくれるわ。」自信まんまん、虎ひげをひねりあげたので、「それはたのもしい。ぜひ退治してくれ。」と家じゅうが、その勇気をほめそやした。
「よしよし、見てろよ、」
ひげ男は綱を用意し、西の対の屋の縁先に寝ころぶ。

 ところが待てどくらせど妖怪はあらわれない。真夜中すぎまで目を見ひらいていたが、がまんしきれなくなってつい、うとうと眠りこんでしまった。
 顔に、ひんやりとしたものがふれたのは、しばらくたってからだった。はっと気がついてわれにかえり、はね起きざまに冷たいその手をつかんでねじふせた。
「ざまあみろ。グーの音も出まい。」勝ちほこって綱をとりだし、がんじがらめにしばりあげる。
「みんな出てこい。化けものをいけどったぞ。」
声を聞きつけて家の者がかけ集まり、灯をともしてみると、いつぞやと同じ身のたけ一メートル弱の爺さまだ。水色の上着と袴をつけ、つぶらな目をパチパチしばたいている、なにを問いかけても答えようとしないで、ただあちこちを見まわしていたが、やがて細い、かなしけな声で、
「たらいに水を入れて、持ってきてくだされ。」という。

 こいつ、のどがわかいたのだろうと思って、大だらいに水を満たし、ひざの先に置いてやったところ、その水をじいっとのぞいていた爺さま、
「わしは水の精だぞう。」いいざま頭から、ズブリとたらいの中に落ちこんだ。とたんに全身が溶けてなくなり、水の量が増えてあふれだす…。しばった綱だけが、結んだ形のまま浮きあげったので、
「そうかあ、やつは水の精だったのかあ。」

 人々はおどろきあきれながらも納得し、たらいを庭にはこびだして、中の水を池にもどしたのだった。」

(巻二十七『第五 冷泉院の水の精 人の形と成りて捕らへらるること」)

対の屋*  寝殿造の別棟(寝殿とも呼ばれる)
----
可愛い妖怪

posted by Fukutake at 12:49| 日記

元気だろうか?

「もう一度」 大阪府和泉市 木村 吉男(82)

産経新聞「朝の詩」令和四年七月十九日 朝刊掲載

「子どもの頃の遊びを

年のせいか 近頃よく思い浮かべる

鬼ごっこ けんけん 縄跳び ゴム跳び

缶蹴り 竹馬

縄は細めの荒縄を

缶は缶詰の空き缶で

竹は近くの竹やぶから

あちこちから調達した


のぼるちゃん ケンちゃん 

元気だろうか

もう一度やれたらなあ

(選者 八木幹夫)
-----

百年たっても忘れるものではありません
posted by Fukutake at 12:46| 日記