「堤中納言物語」 山岸徳平 訳注 角川ソフィア文庫
虫めづる姫君(つづき) p144〜
「親たちは、(姫君が)「たいそう息苦しく、風変わりな様子でいらっしゃるのは、(いかにも困ったものだ)」とお思いであったけれど、(姫君には、姫君としての考えもあるのだから)「何かお悟りになったことがあるのだろうよ。(それにしても)見苦しいことである。とお考えになって、(姫君に色々と)お話しなさる。(ところが)そのお話に対しては(姫君が)真剣に反対なさるので、(親たちは)「話せば話すほどますます恐れ入ることであるよ」と、(姫君の趣味や性格はもちろん、女らしくもなく理づめに)反対なさる態度も、たいそう(世間の手前)恥ずかしいこととお思いであった。
しかし、たとえ姫君が、そんな状態であっても、(親としては捨ててもおけないので)
「(あなたのように風変わりでいらっしゃるのは)外聞の悪いことですよ。世の人々は(誰も)容姿の美しいのをいかにも好むものです。(それなのに、あなたが)『見るからに気味の悪そうな毛虫をおもしろがっているのだとさ』などと世間の人が聞いたとしたら、(たとえ聞かなくても、決してよいことではないが)じつにみっともなくけしからんことです」
と申しなさる。
すると、(姫君は)
「(世間の風評など、私はなにも)別に困りも苦しみもしません。どんなことでも、その根源を尋ねて、そこから末を見てこそ、物ごとには意味があるのです。(それを、『気味悪い毛虫をおもしろがっている』などというのは)まったく幼稚な愚かしいことです。この毛虫が蝶になるのですよ」とおっしゃって、蝶の姿が生まれ出る、ちょうどその状態のところを取り出して、親たちにお見せになった。(そしてまた)
「絹の着物といって人の着るものでも、蚕がまだ羽のつかない時に作り出します。それが蝶になってしまえば、糸を吐き出すことも、おわりで、無用になってしまうのですよ、ねえ」
とおっしゃるので、(親たちは)。言い返すこともできず、あきれかえってしまう。
(そう理づめには言っても)それはそれとして、(やっぱり女であるから)親たちにも面と向かってお逢いなさらず、「鬼と女とは、人に見られないのが、なににしてもよい」と考えていられた。こういう言葉は、母屋の簾を少し巻き上げて几帳越しに、こんなふうに賢明に言い出されるのであった。」
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平安の世でも、こういう娘さんがけっこういたんでしょうね。
懐古の情
「徒然草」 第二十六段
(現代語訳)
「風がまだ吹き過ぎてしまわないうちに早くも散ってしまう花のように、うつろいやすい人の心をあてにして、親愛の情をいだき続けてきた長い年月のことを思い返してみれば、しみじみと胸に刻み込むような思いで聞いた言葉のはしばしまでも、けっして忘れるものではないが、結局は自分とは無縁の人間になってゆくというのが、世間にはありがちなことだが、これは亡き人との別れ以上に悲しいものである。だからこそ、白い糸を見てそれがどんな色に染められてしまうことを悲しむ人や、道路が分れ道によって違う方向に向かってしまうことを、嘆く人もあったということである。堀川院の百首*の和歌の中に、
*昔見し妹(いも)が墻根は荒にけり つばな*まじりの菫(すみれ)のみして
(昔愛し合っていた女(ひと)の家に久しぶりに訪ねてきてみると、そこの垣根はすっかり荒れはててしまっている。茅(ちがや)の生い茂った中に、わずかに菫が可憐な花を咲かせているばかりで…。)
この歌のもつものさびしい雰囲気から察すると、作者にはこういう体験があって詠まれたものだったでしょう。」
堀川院の百首* 堀河天皇の康和年間に十六人の廷臣が一人百首ずつ詠進した。
*昔見し… 藤原公実の歌
つばな* 茅の木あるいは、白い茅の花
(「イラスト古典全訳 徒然草 橋本武 日栄社 p43〜)
(原文)
「風も吹きあへずうつろふ、人の心の花に、馴れにし年月を思へば、あはれと聞きし言の葉ごとに忘れぬものから、我が世の外になりゆくならひこそ、亡き人の別れよりもまさりてかなしきものなれ。
されば、白き糸の染まんことを悲しび、路のちまたの分かれんことを歎く人もありけんかし。堀川院の百首の歌の中に、
昔見し妹が墻根は荒れにけりつばなまじりの菫のみして
さびしきけしき、さる事侍りけん。」
(岩波文庫「新訂 徒然草」p58〜)
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自らが老いた鏡
(現代語訳)
「風がまだ吹き過ぎてしまわないうちに早くも散ってしまう花のように、うつろいやすい人の心をあてにして、親愛の情をいだき続けてきた長い年月のことを思い返してみれば、しみじみと胸に刻み込むような思いで聞いた言葉のはしばしまでも、けっして忘れるものではないが、結局は自分とは無縁の人間になってゆくというのが、世間にはありがちなことだが、これは亡き人との別れ以上に悲しいものである。だからこそ、白い糸を見てそれがどんな色に染められてしまうことを悲しむ人や、道路が分れ道によって違う方向に向かってしまうことを、嘆く人もあったということである。堀川院の百首*の和歌の中に、
*昔見し妹(いも)が墻根は荒にけり つばな*まじりの菫(すみれ)のみして
(昔愛し合っていた女(ひと)の家に久しぶりに訪ねてきてみると、そこの垣根はすっかり荒れはててしまっている。茅(ちがや)の生い茂った中に、わずかに菫が可憐な花を咲かせているばかりで…。)
この歌のもつものさびしい雰囲気から察すると、作者にはこういう体験があって詠まれたものだったでしょう。」
堀川院の百首* 堀河天皇の康和年間に十六人の廷臣が一人百首ずつ詠進した。
*昔見し… 藤原公実の歌
つばな* 茅の木あるいは、白い茅の花
(「イラスト古典全訳 徒然草 橋本武 日栄社 p43〜)
(原文)
「風も吹きあへずうつろふ、人の心の花に、馴れにし年月を思へば、あはれと聞きし言の葉ごとに忘れぬものから、我が世の外になりゆくならひこそ、亡き人の別れよりもまさりてかなしきものなれ。
されば、白き糸の染まんことを悲しび、路のちまたの分かれんことを歎く人もありけんかし。堀川院の百首の歌の中に、
昔見し妹が墻根は荒れにけりつばなまじりの菫のみして
さびしきけしき、さる事侍りけん。」
(岩波文庫「新訂 徒然草」p58〜)
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自らが老いた鏡
posted by Fukutake at 07:51| 日記
民主制の放埒
「田中美知太郎全集 26」 筑摩書房 平成二年
民主制と自由 p264〜
「われわれはまずプラトン自身が民主制と自由について語っていることを、もっとくわしく見て見なければならない。
「何でもしたいことをしていいのだとすると、この国ではめいめいは自分の生活をめいめい気のいるような独自のやり方でやって行くことになるのは明白だ。 …そうだとすると、この体制の下にはありとあらゆる種類の人間の出てくる可能性が最も多いだろうと思う。 …恐らくこれはもろもろの国制のうちで一番美しいだろう。ちょうどあらゆる華やかな色で多彩に色どられた衣装のように、この国制もあらゆる趣向によって多彩に色どられているから、一番美しく見えるかも知れない。そして多分またこの国制を、あたかも子供や女たちが多彩に色どられたものを観て判断するのと同じように、一番美しいと判断する人も多いことだろう。(『国家』)
ということが、何でも好きなことのできる自由のあたえられている国制の特性としてまず第一に語られる。
この国制は見た目にはたしかに美しく、そこでの暮らしは、その現実においてはたしかに至極「楽しい」ものであると言わなければならない。しかし各人がめいめいに何でも好きなことが出来る国制はその許容性においてまことに驚くべき国制であると言わなければならないだろう。
「きみはまだ見たことがないかね、このような国制の国において死刑とか追放刑とかの判決を受けた人たちが、それでもかまわずこの国にとどまって、人なかを徘徊し、まるでこの世の人でない者がこの世に戻って来て、誰ひとりこれを見る人も気にとめる人もないかのようにそこらを歩きまわっているのをね。
ええ見ましたとも、たくさんに。」
という問答は、これがこの国でしばしば見られる事実であることの証言とも解することができるだろう。この人たちの「泰然自若ぶり(おおらかさ)」は何によるのだろうか。「何とも天晴れではないか」この「ものわかりのよさ」と「およそ勘定のこまかさなどないこと(太っ腹)」は、やがて、
「誰が出て来て国事を行うとしても、ただ一般庶民に好意をもつ者であるというようなことを口にしさえすれば、これを尊重する。」
というようなことになり、
「民主制こそ快適な国制であって、上に立って支配するものもなく、多種多様の色どりあざやかと見られるものであり、等しい者にも等しくない者にも一種の平等を割り当てる。」
と言われることになる。国事を担当する者は、ただ「国民大衆のために」というようなことを言いさえすれば誰でもなれるというのは、財産をもっていれば誰でも船を動かすことが出来るとする寡頭制の場合とあまり違わないということであり、体力のちがう人たちに同じ重さの荷物をかつがせるような機械的な平等主義も、「誰でも同じように」という民主主義の一つの帰結として出てくるということである。この国制はプラトンが何度も「快適」と形容しなければならなかったように、その場その場では、最善の国制とも見えるのであるが、それはその時その時の瞬間的なことであって、このかりそめの天国がいつまでつづくのか。永遠性はプラトンの最善の国家にも保証されるものではないことをわれわれは見たのである。」
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民主制はいつかは崩壊する。
民主制と自由 p264〜
「われわれはまずプラトン自身が民主制と自由について語っていることを、もっとくわしく見て見なければならない。
「何でもしたいことをしていいのだとすると、この国ではめいめいは自分の生活をめいめい気のいるような独自のやり方でやって行くことになるのは明白だ。 …そうだとすると、この体制の下にはありとあらゆる種類の人間の出てくる可能性が最も多いだろうと思う。 …恐らくこれはもろもろの国制のうちで一番美しいだろう。ちょうどあらゆる華やかな色で多彩に色どられた衣装のように、この国制もあらゆる趣向によって多彩に色どられているから、一番美しく見えるかも知れない。そして多分またこの国制を、あたかも子供や女たちが多彩に色どられたものを観て判断するのと同じように、一番美しいと判断する人も多いことだろう。(『国家』)
ということが、何でも好きなことのできる自由のあたえられている国制の特性としてまず第一に語られる。
この国制は見た目にはたしかに美しく、そこでの暮らしは、その現実においてはたしかに至極「楽しい」ものであると言わなければならない。しかし各人がめいめいに何でも好きなことが出来る国制はその許容性においてまことに驚くべき国制であると言わなければならないだろう。
「きみはまだ見たことがないかね、このような国制の国において死刑とか追放刑とかの判決を受けた人たちが、それでもかまわずこの国にとどまって、人なかを徘徊し、まるでこの世の人でない者がこの世に戻って来て、誰ひとりこれを見る人も気にとめる人もないかのようにそこらを歩きまわっているのをね。
ええ見ましたとも、たくさんに。」
という問答は、これがこの国でしばしば見られる事実であることの証言とも解することができるだろう。この人たちの「泰然自若ぶり(おおらかさ)」は何によるのだろうか。「何とも天晴れではないか」この「ものわかりのよさ」と「およそ勘定のこまかさなどないこと(太っ腹)」は、やがて、
「誰が出て来て国事を行うとしても、ただ一般庶民に好意をもつ者であるというようなことを口にしさえすれば、これを尊重する。」
というようなことになり、
「民主制こそ快適な国制であって、上に立って支配するものもなく、多種多様の色どりあざやかと見られるものであり、等しい者にも等しくない者にも一種の平等を割り当てる。」
と言われることになる。国事を担当する者は、ただ「国民大衆のために」というようなことを言いさえすれば誰でもなれるというのは、財産をもっていれば誰でも船を動かすことが出来るとする寡頭制の場合とあまり違わないということであり、体力のちがう人たちに同じ重さの荷物をかつがせるような機械的な平等主義も、「誰でも同じように」という民主主義の一つの帰結として出てくるということである。この国制はプラトンが何度も「快適」と形容しなければならなかったように、その場その場では、最善の国制とも見えるのであるが、それはその時その時の瞬間的なことであって、このかりそめの天国がいつまでつづくのか。永遠性はプラトンの最善の国家にも保証されるものではないことをわれわれは見たのである。」
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民主制はいつかは崩壊する。
posted by Fukutake at 07:46| 日記