容態の功罪

「宮�ｱ市定全集　１　中国史」　岩波書店　１９９３年

隋の煬帝　p２１４〜

　「隋文帝は（五八九年）南朝陳を滅ぼして、久しく分裂していた中国を再統一するの偉業を遂げ、在位二十四年で死んだ。普通に文帝は第二子の煬帝の為に弑せられたと言われるが、この事は実はあまり確かではない。また煬帝は史上稀に見る暴虐の君主のように語られているが、これにも誇張があり、その実、北朝斉、南朝斉の諸君主に比べれば、それ程甚だしい昏愚の王とは思えない。ただ豪奢を好み、土木工事を頻りに起して民力を疲弊せしめたことは疑いない。但しその中には大運河を開鑿して、北は白河から、中間黄河、淮水、揚子江を経て銭塘江に至るまで、東西に流れる大河川を南北に連絡して交通の革命を起したなどは、後世に残した恩恵を考えれば、あながち非難ばかりはされないであろう。但しこの大運河は最初は政府専用の官営水路であり、それが民間でも盛んに利用するようになったのは、唐代中期以降である。それは恰かも科挙が、真に貴族的運用から脱却し得たのは、宋代を待たねばならなかったのと同様である。中国のような広大な社会では、開始と盛行との間には何時も百年単位のずれがある。

　隋の煬帝にとって命取りになったのは、再三にわたる高句麗征討の失敗であった。そしてこれも煬帝の虚栄心から出た暴挙と言うよりは、むしろ軍隊の妄動を抑えることの出来なかった隋政権の体質的な欠陥から来ているらしい。何時も、また何処の国でも軍人は戦争が職業なので、戦争がなければ出世できない。そこで常に事あれかしと狙っているものであるが、隋王朝は武川鎮軍閥を土台として成立しながら、その軍閥の間で受けが悪かった。そこで彼等の欲望を強いて抑圧すると、彼等の不満が内向して、王室のもつ矛盾に鋒先を向けぬとも限らない。煬帝の父の文帝さえも彼等の外征に対する嗜慾を抑えることができないで、無名の高句麗征討の軍を起こして失敗した。軍隊というものは一度失敗すると、今度こそはと名誉恢復を計って、一層強く戦争慾に駆られるものなのである。煬帝の最初の出兵は遼東城で前進を阻まれ、退軍の際に莫大な損害を蒙って第二回の征討軍が強行されたものである。この敗戦の報が伝わると、各地に隋の支配に反抗して叛乱が起ったが、そんな情勢を無視して第二回の征討軍が強行されたものである。前線の戦い酣なる時、後方の兵站を掌っていた大将の楊玄感に人望がなかった為に敗亡したので、この場は切り抜けた。それにも懲りずに第三回の征討に賭け、やっと高句麗の名目的な降伏で兵を収めたものの、この間に内地の叛乱は止処なく拡大し、既に手のつけられぬほどに深刻化していた。

　煬帝は根拠地の都、長安の軍隊が頼みにならぬのを察し、新しく近衛軍を編制し、大運河伝いに揚州まで南下し、ここで天下の形勢を観望するうちに、部下の為に殺された。時に同じ武川鎮軍閥に属する李淵、李世民の父子が、北辺の前進基地、晋陽で兵を挙げ、都長安に入り、煬帝の孫、恭帝を立てて天子とした。李淵父子にとって、これまで歴代の都であった長安に拠り、従来の組織を活用して天下の情報を入手し得たのが何よりの強みであった。当時関東には名だたる英雄、豪傑の割拠政権が多かる中に、李世民は次々に此等を討って平らげた。
　李淵は間もなく隋の恭帝を廃して天子の位につき、これが唐の高祖である。」

----

人気者の運命

「やぶから棒　ー夏彦の写真コラムー」　山本夏彦　新潮文庫　平成四年

彼は昔の彼ではない　p１９０〜

　「歌舞伎の下回りには、よしんばいくら上手でも役らしい役は絶対につかない。歌舞伎は門閥の世界だから、下回りは永久に下回りである。
　早く見きりをつけて映画に出て、ここでもしばらく下っぱでいて、やがて一躍してスターになった役者がいる。ながい下づみから浮かびあがったのだから、さぞや下づみに同情があるだろうと思うとない。
　売れっ子になったとたん下づみなんか眼中になくなる。昔は一座の花形は汽車汽船は一等で、下回りは三等で旅した。宿から三度の食いものまで天地雲泥の差があった。

　スターは昔の仲間を引き立ててくれるかと思うとくれない。挨拶しても顔をそむける。ついこの間まで一つ釜の飯を食った仲じゃないかと、下回りは思うがスターは思わない。
　スターが下っぱと友であってはおかしい。スターの顔にきずがつくから、なれなれしい口をきかないのが常識だとスターは思う。
　スターになったらわがまま出来る。女は片はじから手をつけることが出来る。そういうスターになりたくてなったのだから、そうしなければなった甲斐がない。
　下づみの経験をすれば苦労人になるはずだと思うのは下づみの考えで、その下づみも出世すればそうはなるまいと思うのはスターの考えである。

　十年も二十年も下づみでいるものは、結局それだけの器量の持主で、役らしい役を与えても勤まらないことはオレには分かっている。分からないのは当人だけだから、いつまでつきあってはいられない。
　それは役者にかぎらない。画家や文士もそうである。出世したら昔の友は友でなくなる。友でありたければ別人になって、ひたすら阿諛して取巻くがいい。
　一転して人気者が人気者でなくなったら、今の取巻きは散じて一人もよりつかなくなる。よりついてくれと頼むものがさすがにいないのは、頼んでも冷笑されるだけだからである。矢沢永吉激論集「成りあがり」を読んだ。」

（週刊新潮　昭和五十六年二月十九日号）

-----
古今人間の実相。