「純粋ツチヤ批判」 土屋賢二 講談社 2009年
ノーベル賞と助手の無理解 p225〜
「ノーベル賞受賞のニュースが流れてから一週間後、助手室に行くと、助手が何事もなかったように机に向かっていた。わたしがノーベル賞をもらわなかったことには無頓着な様子だ。自分の恩師の運命に無関心であったいいのか。わたしは危機感を抱き、こう言った。
「日本人が四人も受賞したね、わたしが受賞していれば五人になっていたところだ」
「そんなことを言って何になるんですか? ちょうど<いま五百円もっているが、一億円よけいにもっていたら一億五百円もっていたところだ>と言うようなものです」
「そんなに現実離れした話だろうか? 実を言うと、わたしは日本人受賞のニュースが流れてから数日間は電話がかかるたびにドキッとしていたんだ。受賞の知らせかも知れせかもしれないからだ。不安はそれだけじゃない。スウェーデン語でしゃべってこられたらどうしよう。適当に<イエス>と答えたら、マンションを買わされるはめになった、ということだってあるかもしれない。結局は、心配は杞憂に終わってよかったが」
「頭がおかしくなったんですか? ノーベル賞なんですよ、先生。<脳減る症>と間違えてませんか?」
「そんな勘違いをするほうが難しいだろう。脳が相当に多くないとそういう間違い方はできないはずだ」
「でも先生がノーベル賞を受賞するかもしれないと思うのに比べたら、間違い方は小さいと思います。参考までにうかがいますが、ノーベル賞のどの部門がとれると思ってらっしゃるんですか」
「ま、哲学部門ということろかな」
「ノーベル賞にそんな部門はありません」
「人格部門か我慢強さ部門はないの? それなら何とかなるかもしれない」
「たとえそんな部門があっても、先生は絶対にもらえないと思います」
「しかし少なくともノーベル文学賞ぐらいはもらう可能性はあるはずだ。わたしは小説を書いていないが、チャーチルだって小説を書いてないのにノーベル文学賞をもらったんだ」
「小説を書かなきゃノーベル賞をくれるってもんじゃないでしょう」
「しかし、わたしとチャーチルの間にはたいして違いはないはずだ。違いといっても、せいぜい国籍と名前と職業と文章力ぐらいだ」
「文章力が違うなら致命的じゃないですか」
「わたしを見損なっては困る。物理学賞だってもらえていたかもしれないんだ」
「どうしてですか」
「今回の物理学賞で小林、益川の二氏が受賞したのはクォークが六種類以上必要だと提唱したかららしい。しかし実はわたしも昔から六種類以上あるかもしれないと思っていたんだ。十五種類あっても百三十七種類あってもおかしくないと思っていた。発表しておけばよかった」
「でも、ただ当てればいいというものじゃないでしょう。競馬じゃないんですから。なぜ六種類以上でなくてはならないと考えなくちゃいけないのかを理論的に説明できなきゃいけないんじゃないんですか」
「簡単だよ。こう考えればいい。<この世界の中では何があってもおかしくない。だからクォークだって六種類以上あったっておかしくはない>と」
「そんなんじゃ理由になりません。どうやっても先生には受賞は無理です」
「君はわたしの教え子だろう? どうやって教え子がわたしを評価できないんだ? こうなったら頭脳流失してやる!」
「先生を受け入れる国はないと思います。どこでもゴミ処理に困っているんですから」
(「科学」岩波書店 '09.1)
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歳月不待人
「中国名詩選(中)」松枝茂夫編 岩波文庫
雑詩 陶淵明 p86〜
「人の命は木の根や果実の蔕(へた)のような、しっかりした拠り所がない。まるであてどなく舞い上がる路上の埃のようなものだ。風のままにあちらへこちらへ吹き飛ばされて、この身は、もはやもとの姿を保ち得ない。そんなこの世に生まれ出たからには、すべての人の兄弟のようなもの。血縁にこだわる必要はさらさらない。うれしい時には、心行くまで楽しみ、酒をたっぷり用意して近所の仲間といっしょに飲むがよい。
若い時は二度とはやって来ないし、一日に二度目の朝はない。楽しめるときには、せいぜい楽しもう。時というものは人を待ってはくれないぞ。
人生無根蔕 人生は根蔕(てい)なく、
飄如陌上塵 飄として陌上(はくじょう)の塵の如し。
分散逐風轉 分散し風を逐って転じ、
此已非常身 此れ已に常の身に非ず。
落地爲兄弟 地に落ちて兄弟と為る、
何必骨肉親 何ぞ必ずしも骨肉の親(しん)のみならん。
得歡當作樂 歓を得て当に楽しみを作(な)すべし、
斗酒聚非鄰 斗酒 比隣を聚(あつ)む、
盛年不重來 盛年 重ねて来らず、
一日難再晨 一日(いちじつ)再び晨(あした)なり難し。
及時當勉勵* 時に及んで当に勉励すべし、
歳月不待人 細別は人を待たず。
勉勵* 行楽に精出すこと。」
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「勉励:一生懸命勉強しろ、との意味と思っていました」
照鏡白髪(鏡に照らして白髪を見る) 張九齢 p245〜
「遠い昔の若かった日には大きな望みをいだいていたものだが、挫折をかさねていま白髪をいたただく齢になってしまった。あのころ誰が考えたろう。鏡に向かってわれとわが身を哀れむことになろうとは。
宿昔青雲志 宿昔(しゅくせき)青雲の志
蹉跎白髪年 蹉跎(さた)たり 白髪の年
誰知明鏡裏 誰か知らん 明鏡の裏
形影自相憐 形影 自ら相憐れまんとは」
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まさに勉励すべし
雑詩 陶淵明 p86〜
「人の命は木の根や果実の蔕(へた)のような、しっかりした拠り所がない。まるであてどなく舞い上がる路上の埃のようなものだ。風のままにあちらへこちらへ吹き飛ばされて、この身は、もはやもとの姿を保ち得ない。そんなこの世に生まれ出たからには、すべての人の兄弟のようなもの。血縁にこだわる必要はさらさらない。うれしい時には、心行くまで楽しみ、酒をたっぷり用意して近所の仲間といっしょに飲むがよい。
若い時は二度とはやって来ないし、一日に二度目の朝はない。楽しめるときには、せいぜい楽しもう。時というものは人を待ってはくれないぞ。
人生無根蔕 人生は根蔕(てい)なく、
飄如陌上塵 飄として陌上(はくじょう)の塵の如し。
分散逐風轉 分散し風を逐って転じ、
此已非常身 此れ已に常の身に非ず。
落地爲兄弟 地に落ちて兄弟と為る、
何必骨肉親 何ぞ必ずしも骨肉の親(しん)のみならん。
得歡當作樂 歓を得て当に楽しみを作(な)すべし、
斗酒聚非鄰 斗酒 比隣を聚(あつ)む、
盛年不重來 盛年 重ねて来らず、
一日難再晨 一日(いちじつ)再び晨(あした)なり難し。
及時當勉勵* 時に及んで当に勉励すべし、
歳月不待人 細別は人を待たず。
勉勵* 行楽に精出すこと。」
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「勉励:一生懸命勉強しろ、との意味と思っていました」
照鏡白髪(鏡に照らして白髪を見る) 張九齢 p245〜
「遠い昔の若かった日には大きな望みをいだいていたものだが、挫折をかさねていま白髪をいたただく齢になってしまった。あのころ誰が考えたろう。鏡に向かってわれとわが身を哀れむことになろうとは。
宿昔青雲志 宿昔(しゅくせき)青雲の志
蹉跎白髪年 蹉跎(さた)たり 白髪の年
誰知明鏡裏 誰か知らん 明鏡の裏
形影自相憐 形影 自ら相憐れまんとは」
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まさに勉励すべし
posted by Fukutake at 07:36| 日記