2022年06月23日

今何をすべきか

「イソップ寓話集」 中務哲郎 訳 岩波文庫

弁論家デマデス p66〜

 「弁論家デマデスがある時アテナイで演説をしていたが、聴衆が少しも身を入れて聞かないので、ひとつイソップの寓話を語らせてほしいと頼んだ。同意が得られたので語り始めて言うには、

 「デメテル女神と燕と鰻が連れになった。川の辺りにさしかかった時、燕は空へ飛び上がり、鰻は水に潜った」
 デマデスがこれだけ言って黙りこんだ。すると皆が、
 「デルメルはどうなったんだ」と尋ねるので、答えて言うには、
 「お前たちに腹をたてていなさるのだ。国の問題をほったらかしにして、イソップの寓話なんぞを聞きたがるのだから」

 このように人間の場合でも、しなければばらぬことを等閑(なおざり)にして快楽を選ぶのは、考えの足りない人だ。」

(英文) Demedes and rhe People of Athens 
 「Demades was a great orator. Once, he was making a speech in Athens about the danger of war with Macedonia. The crowd of citizens who had supposedly gathered to hear him speak, however, were paying little attention to him. They were too busy gossiping and laughing with one another. At length Demates interrupted his speech and announced to the people that he was going to tell them a fable by the famous Aesop. The crowd immediately grew quiet, and Demades began.

"The goddess Demeter," he said, "was walking in the countryside one day, accompanied by a swallow and an eel. After some time they came to a river, and no sooner had they done so than the eel slid into the water and swam away. The swarro, for her part, flew off toward the clouds and was never heard from again."
 At this point Demades paused.

"Well?" came a voice from the crowd.
"What about Demeter?"
"She is angry with you," said demates, "for having ears only for Asop when there are important affairs of state to attend to."

First things first.」

"Aesop's Fables" 英語文庫 (講談社)

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posted by Fukutake at 07:43| 日記

意思決定の過程

「ゲーム理論を読み解く ー戦略的理性の批判ー」竹田茂夫 ちくま新書 2004年

意思決定 p22〜
 
「私はこの本で、ゲーム理論を人間の行動や社会制度を解明する道具としてみると、それは核心部分に重大な問題を抱えており、社会現象の分析や政策への性急な応用は重大な失敗を招く危険性があることを説明したいと思う。ゲーム理論は、人間と社会にとって不可欠なもの、決して無視できないものを切り捨てることによって成立する理論なのだ。

 不可欠なものとは、大きく見れば二つある。ひとつは、ことば、暴力、遊びなどの、それ自体で意味を持つような種類の行為である。このような行為は、本来なんらかの目的を達成するための手段ではない。われわれには、ことばを喋り、交渉相手を説得し、文書で記録し、キャッチフレーズで人々を煽ったり、煽られたり、(ときにはあからさまに、ときには隠れた形で、個人的にも、集団的にも、国家レベルでも)暴力をふるい、そして実にさまざまなかたちで遊びを楽しむ性質が本来備わっている。ことば、暴力、遊びは、われわれの歴史と制度と文化の内実そのものであると言える。ことば、暴力、遊びをなんらかの目的のために手段として使うこともできるが、これらの行為は目的・手段の枠組みからあふれ出てしまうことが多い。

 これに対して、ものを作ったり、機械や人を操ったりするのは、目的と手段の枠組みに収まる行為である。われわれは一定の意図や目的をもって計画を練り、実行して、その意図や目的を実現しようとする。ゲーム理論が扱うことができるのは、このような製作や操作といった種類の行為だけで、それ自体意味を持つような行為は本来ゲーム理論の埒外にあるはずなのだ。

 ゲーム理論によって無視されるもうひとつの不可欠なものとは、われわれの行為の絡み合い(相互行為の網の目)から生まれてくる予想外の出来事、つまり意図せざる結果である予想外の出来事がプラスの方向に作用する場合には、相互行為の全体が個々の構成員の行為の総和以上になるという意味で、社会的な生産性といってもよいし、われわれの「あいだ」から生まれてくるパワーであるといってもよい。このような生産性やパワーは個人に還元できないし、あらかじめ予想や計画に組み込むこともできない。もちろん、予想外の出来事がマイナスの方向に作用する場合も多い、歴史はプラスやマイナスの意図せざる結果の連鎖であるということもできよう。

 すなわち、意思決定者は一義的に決まっているわけではなく、個人のレベルでも、組織のレベルでも、国家のレベルでも、意識決定とは、切り離せない一連の事態のひとつの局面である、ということができる。」

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決定とは連続する事態の一局面
posted by Fukutake at 07:39| 日記