2022年06月21日

ケインズ理論のかなめ

「数学幻視行」ー誰もみたことのないダイスの七の目ー 小島寛之 新評論 一九九四年

ケインズ経済学 p115〜

 「一九二九年から始まった恐慌下で、それまでの新古典派の経済学が無力化してしまった「経済学第一の危機」は、ケインズ革命によって乗り越えられた。しかし一九六〇年代後半から拡大していった資本主義社会の混乱に、ケインズ理論はもはや有効性を示さなくなり、J・ロビンソンのいうところの「第二の危機」は深刻化していっている。20世期末の不均衡、貧困、環境破壊に対する処方箋は未だ見つかっていないのである。

 たしかにこの百年の間に、経済学は著しく高度に数学化されてきた。だが筆者は、このことが逆に大きな障害になったような印象を持つ。経済学が模範とすべきだったのは、数学でも、ニュートン力学でもなく、熱学以降の物理学であったように思うのだ。熱学以降の物理学に共通して見られる特徴の一つとして、「否定型の公理の導入」が挙げられる。熱力学の第2法則、相対性理論、不確定性原理はみな、「〜は不可能」という形で表現されており、これは筆者は「否定型公理」と呼んでいるのである。経済学では、効用曲線や費用曲線を基礎にした限界分析が主流を成しており、いうならばまだニュートン力学の段階でしかない。経済社会の新しい描像を捉え、「第2の危機」を超克するには、この「否定型公理」を発見することが是非とも必要だと考えるのである。

 「否定型公理」は、筆者のいうところの「霊域」そのものである。これらは第2種永久機関の不可能性とか、絶対運動の決定不可能性とか、位置と運動の同時決定の不可性という経験則を下敷きにしており、「時間」や「観測」という「霊域」に足を突っ込んだ概念なのである。とりわけ統計力学と量子力学に導入された確率的世界観は、精神と物質をつなぐ「霊域」そのものである。朝永振一郎は名著『物理学とは何だろうか』においてボルツマンのH定理を解説する際、こう言っている。

  「偶然やチャンスや期待が介入しているのは、必然性に従って動いている対象に何の影響もない場所、すなわち外からそれを見る人間と対象のはざまなのです」

 そして、自然を見る人間を理論に持ち込むことは決して物理学の客観性にそむくことではない、と言い切っている。死期を悟った朝永の命がけの迫力ある言葉は、ひときわ幻想的である。ハイゼンベルクも『現在物理学の思想』の中で確率関数のことを、「観念と現実との中間にあるもので、まさに可能性とリアリティのちょうど中間にある奇妙な一種の物理的リアリティ」と述べている。確率はまさに「霊域」に咲く幻想の花なのである。

 じつはケインズ理論のかなめとなるのも確率的世界である。ケインズは「期待」や「流動性」や「歴史的時間」といった概念によって、資本主義社会の不安定性を論証した。そういう意味でケインズは、「霊域」に踏み込んだ数少ない経済学者の一人であったということができる。物理学の大転換が、その根本のところでは数学を必要とせずに達成され、むしろ数学自体を変革する力を持っていたことを省みると、21世紀の経済学に期待されるのは、数学化することではなく、新しい数学を生み出すほどのかつてない「霊域」を発見することなのである。」

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霊域!?:そんな難しいこと言わずとも、まさに、小野善康のいう「資産選好」への欲望という人間のサガだと思うのだが。

posted by Fukutake at 07:28| 日記

才(ざえ)

「古典への飛翔」 馬場あき子 読売新聞社 1979年

 説話の世界 力への願望 p75〜

 「宇多院の殿上を許されていた寛蓮という碁の名人が、道で一人の召使風の小女に呼び止められ、その女主人の請いのままに邸に行ってみると囲碁のしつらいができていた。あたりの情景は清楚にして艶である。簾の中からはそら薫きものの匂いがこぼれ、人柄の優しさを忍ばせるような愛敬づいた女の声が寛蓮を招いて座せしめた。「父に教えられた碁の遊びを、その後たえてすることもなかったが、あなたのような名人が近くを通る姿に父に教わった昔がなつかしく、手合わせを願いたくなった。」という。

 思いがけぬ艶な女人の招請に、関連は思わず興にのり「いとをかしく候ふことかな。さてもいかばかり遊ばすにか。手いくつばかり受けさせ給ふべき」と答えているが、結果的には、ここですでに寛蓮は自己の人格そのものを代表すべき碁技への真摯さ以上に、女の求めに応じて遊戯的協力の姿勢をとっていたことがわかる。そうした油断が微妙に作用したかどうかはわからないが、とにかく女は終わりまで優雅に、寛蓮と直接顔を合わせることもせず、細い指し棒のようなものを簾の中より伸ばし、「まろが石は先づここに置き給へ」などと応対しているのだ。

 結果は大方読者の想像するとおりで、あっと気がつくと寛蓮の石はみな殺され、女は艶然として、「またや(もう一番いかが)」とほほえんでいたというものだ。囲碁史の中でも王朝きっての名人が、名もしれぬ女に惨敗するおもしろさは、さきの光遠の妹の場合と同じである。こうした話が、現代にも作用するおもしろさがあるとすれば、それはたぶん、人々がつねにその実力を低く押さえられて生きていることによるだろう。こうした無名性の中にある卓越した力への期待とは、力や才能が人間の格とともに存在させられることへの期待にほかならない。

 そもそも才(ざえ)とよばれた技能や能力は、もともと身分の高い者には必要ではない奉仕的な分野のものであった。そして社会的身分の低い者は、その奉仕的な才によって、はじめて存在の意義も認められるという、そうした古代的社会のあり方が、微妙にして絶大な変化をおこしつつあることを、説話の世界はあらゆる場面においてみせてくれる。さまざまな才能、能力のもち主が、その才を奉仕的、従属的なそれとしてしか認めていない人々の前に、圧倒的な才や力の威力を発揮し、ほとんど人格ともいうべき重々しさときびしさをみせる場面を、あくなく展開してみせてくれる。

 説話というジャンルが、こうした新たな力の時代に到来という予感の中に生まれたとすれば、その実力をもって新たな階級をつくり上げ、その実力をもって自己の全人格を主張した武士の姿こそ、説話の中の最も新しい人間像であったろう。また、その自律性を増していった受領階級とも重なりつつ、みやこに対するいなかの力を、貴族に対する地下(じげ)の力を顕在化してみせたといえる。」

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平安末期の社会階層変革
posted by Fukutake at 07:26| 日記