2022年06月20日

由布岳の怒り

「日本の伝説」 柳田国男 新潮文庫

山の背くらべ p116〜

 「九州の南の端、薩摩の開聞岳の麓には、池田という美しい火山湖があります。ほんの僅な陸地によって海と隔てられ、小高い所に立てば、海と湖とを同時に眺めることが出来るくらいですが、大洋と比べられることを、池田の神は非常に嫌いました。そうして湖水の近くに来て、海の話や、舟の話をするものがあると、すぐに大風、高浪がたって、物すごい景色になったということであります。(三国名所図会。鹿児島県揖宿(いぶすき)郡指宿村)

 湖水や池沼の神は、多くは女性でありましたから、独(ひとり)隠れて世の中のねたみを知らずに、静かに年月を送ることも出来ました。山はこれとちがって、多くの人に常に遠くから見られていますために、どうしても争わんなければならぬ場合が多かったようであります。

 豊後の由布嶽は、九州でも高い山の一つで、山の姿が雄々しく美しかった故に、土地では豊後富士ともいっております。昔西行法師がやってきて、暫く麓の天間(あまま)という村にいた頃に、この山を眺めて一首の歌を詠みました。

 豊国の由布の高根は富士に似て雲もかすみもわかぬなりけり

そうするとたちまちこの山が鳴動して、盛んに噴火をし始めたので、これは言い方が悪かったと心づいて、

 駿河なる富士の高根は由布に似て雲も霞もわかぬなりけり

 と詠み直したところが、ほどなく山の焼けるのがしずまったという話であります。西行法師というのは間違いだろうと思いますが、とにかく古くからこういう話が伝わっておりました。(郷土研究一編。大分県速見郡南端村天間)

 もとはほんとうにあったことのように思っていた人もあったのかも知れません。そうでなくとも、よその山の高いという噂をするということは、なるたけひかえるようにしていたらしいのであります。多くの昔話はそれから生れ、また時としてそれをまじないに利用する者もありました。例えば昔日向国の人は、癰(よう)というできものの出来た時に、吐濃峯(とのみね)という山に向ってこういう言葉を唱えて拝んだそうであります。私は常にあなたを高いと思っていましたが、私のデキ物が今ではあなたよりも高くなりました。もしお腹が立つならば、早くこのできものを引っ込ませて下さいといって、毎朝一二度ずつ杵のさきをそのおできに当てると、三日めには必ず治るといっておりました。これも山の神が自分より高くなろうとする者をにくんで、急いでその杵をもってたたき伏せるように、こういう珍しい呪文を唱えたものかと思います。(塵袋七。宮崎県児湯郡都農村)」

----
噂は控えるよう
 
posted by Fukutake at 07:20| 日記

西湖

「陶庵夢憶(とうあんむろく)」 張 岱 著 松枝茂夫 訳 岩波文庫

(張岱は明末清初の文人・史家、明朝瓦解までの前半生、およそこの世にある美しきもの、楽しきもの、愛すべきものはこれをとことん貪って飽くことを知らなかった。窮迫の後年、昔の夢を追憶してなったのがこの一書)

西湖の香市 p256〜

 「西湖の香市は、花朝(二月十二日)に始まり、端午(五月五日)に終わる。山東から普陀山に進香(おまいり)するものが毎日やってくるし、嘉興や湖州から天竺に進香するものが毎日やってくる。くれば西湖の人々とともに市を立てる。それで「香市」というのである。

 しかし進香する人は三天竺に市を立て、岳王墳に市を立て、湖心亭に市を立て、陸宣公祠に市を立て、どこにもここにも市を立てないところはないが、特に昭慶寺*に集中している。昭慶寺の二つの廊下には、だから一日として市の立たぬ日はなく、三代(夏・殷・周)・八朝(漢・魏・六朝)の骨董、南蛮・北狄・東夷・西戎の珍奇なる品ことごとくここに集まっている。
 香市にゆくと、拝殿の中、敷石道の上下、池の左右、山門の内外、屋根のある所にはそのまま店を出し、屋根のないところには囲いを設けて店を並べ、囲いの外にもまた小屋掛けをし、小屋掛けの外にもまた露店を出し、ぎっしりつまっていて、およそ因(ニクヅキへん)脂・簪・耳玉・物差し・鋏から、経典・木魚。子供の玩具の類まで、集まらぬものはない。
 折からの春の暖かい時候で、桃や柳は明るく媚(なま)めき、鳴り物の音も和(のど)やかである。岸には留まる船とてなく、宿屋には留まる客とてなく、酒店には売れ残った酒とてない。袁石公(袁中部)のいわゆる「山色は蛾(峨眉)の如く、花光は頰の如く、波紋は綾の如く、温風は酒の如し」とは、すでに西湖の三月をみごとに描き出している。

 しかしこの進香の客でごった返している光景はまた別である。紳士淑女の閑雅なるは、その田舎風に粧った百姓女のおめかしにはおよばない。蘭の芳しい香りは、その合香や芫荽*(げんすい)のきなくさい匂いにおよばない。糸竹管弦は、その揺鼓(ふりつづみ)おもちゃの笛のやかましいのにおよばない。鼎や彝器*(いき)の古代めいて怪しい光沢も、その泥人形や竹馬の売れゆきのよいのにはおよばない。宗元の名画も、その西湖の景色や寺塔の絵の高い値で売れるのにはおよばない。逃げるが如く、すがるが如く、奔(はし)るが如く、叩いてもふり払っても、袖を引っぱり取りすがって放さない。何百何千何万の男も女も、老いも若きも、毎日寺の前後左右に押すな押すなで詰めかけること、およそ四ヶ月、それでやっと終わるのである。おそらく長江以東には絶対にこんな処あるまい。

 崇禎十三年三月、昭慶寺に火災があった。この年と、十四年、十五年と毎年飢饉がつづいて、人民の大半が餓死した。十五年、賊軍(清兵)が道を塞いだために、山東の進香の客が絶え、西湖にやってくるものがなくなって、ついに市はすたれてしまった。十四年の夏、わたしは西湖にいたが、杭州の城内から
餓死者の死骸をかつぎ出し、ひっきりなしに車に乗せて引いて行くのを見たものだ。当時の杭州の太守劉夢謙は汴梁(河南開封)の人であったが、その郷里から無心をしに押しかけてきたものがたいてい西湖に宿をとっていたので、毎日名刺を添えて贈り物を届けた。そこで軽薄なやからは古詩をもじって、これを謗(そし)ってこういったものである。

     山は青山ならず楼は楼ならず
     西湖の歌舞一時に休みぬ
     暖風吹き得て死人臭く
     還って杭州を把(も)って汴州に送る
もって西湖の実録とすることができよう。」

昭慶寺* 西湖の北岸にある巨刹。
合香や芫荽* 田舎女の頭に挿した香草。
彝器* 殷周時代の祭器。

----
posted by Fukutake at 07:15| 日記