2022年06月03日

賢者による支配

「田中美知太郎全集 26」 筑摩書房 平成二年 

治国の理想 p145〜

 「『政治家』のプラトンは、

『最もいいのは法律が強力であることではなくて、知力を具備した王者たるべき人が強力であることなのだ。』

 とのべているが、これはわれわれを驚かす。法の支配の方が人の支配よりもいいことだとわれわれは考えるからだ。ヘロドトスは、ペルシャ王ダイオレスの許に亡命し、次の王クセルクセスのギリシャ遠征に随行した一人のギリシャ人が、ギリシャ人の「自由」というものについて説明している一説に、
 『かれらは自由の民ではなるが、しかしあらゆる点で自由というわけではない。かれらには法という主人があって、かれらがこれを畏れることは、あなたの臣下があなたを畏れるより遙かに大なるものがあるのです。』
 ということを語らせている。つまりギリシャ人の意識では人が支配するということは東方のバルバロイの専制政治の特色であって、人よりはむしろ法律の支配に服するというのはギリシャに始まった自由社会の特色なのであり、今日のわれわれもまたそういう自由社会に生きているのである。

 ペルシャの軍隊は王を恐れ憚って、その命のままに戦うけれども、ギリシャ人の軍隊は法の命ずるところに従って、やはり最後の一兵まで戦うのだということである。テルモピュライのスパルタ人たちは、押し寄せて来るペルシャの大軍をここに阻止して全員戦死しなければならなかったが、それはかれらの支配者である個人の権力を恐れてそうしたのではなくて、スパルタ国民の命ずるところに従ってここを守ることを正しいとした国法を重んじたからであり、ソクラテスがアテナイ法廷の判決に服して刑死したのも、国法に定められたことを個人の勝手で破ることは許されないと信じたからなのである。それを今プラトンはまた、法の支配よりも人の支配をよしとしたのである。この言わば反ギリシャ的とも考えられる発言においてプラトンは何を言おうとしているのか。

 注意しなければならないのは、プラトンは人の支配そのものをよしとしたのではなくて、「王たるべき知力を具備した人」の支配をよしとしている。だから「人」よりも「王たるべき知力」に重点があると言わねばならないのである。つまり、「法」の支配よりもよしとされるのは「治者たるの知識」の支配のことなのである。

 「人間を支配することについての、おそらくは獲得の最も困難な、しかし最大の獲得となる支配についての知識。」
であって、これを具備した王者たるべき人を見つけるということも至難なのである。だから、もしそういう人を見つけることが出来たなら、これに万事をまかせ、法律的な制限を課したりすべきではないということなのである。

 「かれらが国の安全を守って、これを力の限り劣った状態からよりよい状態にするのに知識と正義を用いてそうしている限り…ある者どもを殺したり、追放したりして国家を善の方向に浄める…。」

というようなことも認めなければならないとするわけである。」

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曰く、「治国というもの、国家体制というものの皮相な区別であって、その本質的なものに根ざしていない」

posted by Fukutake at 07:17| 日記

ご先祖

「先祖の話」 柳田国男 角川文庫 平成二十五年

先祖祭の観念 p66〜

 「先祖という意味が人によって区々(まちまち)であるように、先祖祭の名前も用法が随分と広く、端と端とのものを突き合わせてみると、両存し難いような場合もなしとしない。たとえば先祖の祀り方が足らぬということ、これなどは普通に仏事供養を怠っていることと解せられていた。家に病人が多く心配事が続き、また毎夜の夢見が悪く気にかかる時などに、自分でもふと心付くこともあるが、人からそう言われたりまたは占いの表に現れたりすることもある。親子兄弟の近い繋がりなら忘れるということもなく、またそれを忘れるほどの者なら何とも思わぬだろうが、それより遠い血縁で憶い出す折が少なく、ついうっかりと年回忌を過ごしてしまうことはあり得る。そういう場合にひどくこれを気にかけて、半ばいわゆる存在意識によって、七十年だ百年だというような久しい法事を営むことは仏法の教えにも無く、また日本の古い慣行でもなく、寺がわずかな檀家で支持せられるようになってから、後の事だというのは本当であろう。

 昔高野の明遍僧正という高僧は、父の十三回忌の追善をしようという兄弟の勧めに、断乎として反対したという有名な話がある。死んで五年も七年も六道の巷に流転し、仏果を得ることもならぬように心得るのは、仏の御心にも背くことだというのが理由で、彼らの信仰ではもう夙(と)くのむかしに、浄土に、往生していなければならぬのであった。盆の場合でも同じことだが、一方に念仏供養の功徳によって、必ず極楽に行くということを請け合っておきながら、なお毎年毎年この世に戻って来て、棚教を読んでもらわぬと浮かばれぬように、思わせようとしたのは自信の無いことだった。その矛盾を心付かぬほどの日本人ではなかったはずであるが、これには大昔このかた我々独自の考え方がまだ消えずにあって、むしろ毎年時を定めて、先祖は還ってござるものと信ずることが容易であったらしいので、言わばこの点はまだ仏教の感化ではなかったのである。

 私がこの本で力を入れて説きたいと思う一つの点は、日本人の死後の観念、すなわち霊は永久にこの国土のうちに留まって、そう遠くへは行ってしまわないという信仰が、恐らくは世の初めから、少なくとも今日まで、かなり根強く持ち続けられているということである。これがいずれの外来宗教の教理とも、明白に喰い違った重要な点であると思うのだが、どういう上手な説き方をしたものか、二つを突き合わせてもどちらが本当かというような論争はついに起こらずにただ何となくそこを曙染のようにぼかしていた。そんなことことをしておけば、こちらが押されるに極まっている。なぜかというと向こうは筆豆の口達者であって、書いたものがいくらでも残って人に読まれ、こちらはただ観念であり古くからの常識であって、もとは証拠など少しでも要求せられないことだったからである。しかもこのような不利な状態にありながら、なお今日でもこの考え方が伝わっているとすると、これが暗々裡に国民の生活活動の上に働いて、歴史を今あるように作り上げた力は、相当に大きなものと見なければならない。
 先祖がいつまでもこの国の中に、留まって去らないものと見るか、またおいおいに経や念仏の効果が現れて、遠く十万億土の彼方へ往ってしまうかによって、先祖祭のめ目途と方法は違わずにはいられない。そうしてその相違は確かに現れているのだけれども、なお古くからの習わしが正月にも盆にも、その他いくつとなく無意識に保存せられているのである。」

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posted by Fukutake at 07:11| 日記