2022年06月24日

生きたよすが

「現代民話考 3」ー偽汽車・船 松谷みよ子 ちくま文庫 2003年

子育て幽霊・他 p237〜

 「子育て幽霊といえば、今回頂いた話のなかに二つあった。一つは、男に捨てられた女がミルクを買いにさまようのである。いま一つは、兵庫県氷上郡遠坂トンネルに出る若い女の幽霊。みごもったまま離縁され、柴で子供を産んで死んだ女は、丹波の婚家にひきとられた赤児の許へ、但馬の墓から夜な夜な乳を呑ませに通ったのだという。

 この二つの例は、車を呼びとめて乗る幽霊と、子育て幽霊が結合して、より物語性の深い現代の民話として成長したことを示している。伝承のなかの子育て幽霊は墓のなかで子を産んだ母親の幽霊が、六文銭を持って飴を買いにいく。現代の子育て幽霊はミルクを買いにさまよい、乳を呑ませに通う。自動車を使ってである。文明の利器を利用することで現代の子育ては少しく可笑しさがあって、幽霊のくせになによと叱咤したくもなるのだけれども、物語の発生、成長をここにも見るとこが出来るのではないか。

 物語性といえば、たった一例であるが、幽霊のさがしものは凄まじい。ある事故のあと、この幽霊は手もあげずにいつの間にか乗り込んでいるのだが、しまいにはタクシーの運転手も遠まわりして帰るという騒ぎになった。事故で死んだ女の人の幽霊というので神様にうかがったところ、「おらが死んだ時、目の玉がとび出してそのままだ。そのためいくところへもいきかねて、目の玉をさがしに通っているのだ」そう死者がいったそうである。そこで目の玉を探しにいったら、いくらか渇いているけれどあったそうで、お墓に納めたらそれっきり出なくなったという。
 …ならば戦争で、飛行機事故で、とび散った死者はどうなるのか。胸さされる話なのである。

 船の怪談に、魔の海・魔の川口、があったように、陸の場合には魔の踏切・魔のカーブ・魔のトンネルなどがあり、寄せられた話を重ねていくと、それが思いこみというよりやはりなにかが次つぎと起こっており、関係者や行政などまでが供養をする例もあることに気がつく。かつて和歌山で天狗の話を聞いた折に、「峠やら道端に地蔵さんの立っているところがあろうが、何ぞあったところや」といったことを思い出す。これは天狗さんのおる山やから提灯を消していこという爺を馬鹿にして、天狗などおるものかと峠を越そうとした若者が、凄まじい風に吹きとばされそうになり、山々にひびく天狗笑いを聞いた。その若者をいましめて父親がいう言葉である。「このあたりは魔のカーブといわれるところなんや、気をつけていこ、いうたのに、馬鹿にしおって事故おこした…」こんな語りが生まれないように念じないではいられない。天狗も河童も踏切で死んだ死者の思いも、なにかそんな馬鹿なといいすてることは易しいのだけれども、そのなにかを怖れる心も、大切なように思うし、運転手のかたわらにさがっているマスコット人形などは、その現れともいえよう。」

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怖る怖る生きよ。

posted by Fukutake at 11:15| 日記

オバケになれ

「「分かりやすい教え方」の技術」 ブルーバックス 藤沢晃治 講談社

ムチよりアメ p165〜

 「比喩ー
 他人に情報を与えるときは「ビール瓶に静かに少しずつ水を注ぐようにするべきだと述べました。みなさんがこの比喩を読むと、ご自分の体験から自然にそのイメージを(映像)を思い浮かべているはずです。それにより、私に主張がより鮮明にみなさんに伝わり、記憶に残ります。

 ある体育教師のおもしろい話を読んだことがあります。水泳のときに体の力を抜くコツを、生徒に「水の中でオバケになってごらん」というのだそうです。
 すると、今までなかなか「力を抜く」という感覚が分からなかった子供たちが、すぐにできるようになるということです。「体の力を抜く」という無味乾燥な表現よりも、オバケの比喩は、はるかに生徒がイメージしやすく、印象に残りやすいのです。

 初めて学ぶ物事は、「脳の図書館」のどの書棚に入れるべきか分かりません。しかし比喩で表現されれば、どの書棚かすぐに決まります。このため比喩は、脳にしっかりと「けもの道」を刻み込むことができる「分かりやすい教え方」になるのです。

 また繰り返し述べてきたように、生徒を誘導する手段はアメとムチの二つがあります。「叱って伸ばす」か、「褒めて伸ばす」かです。もちろん臨機応変に使い分けるのが普通です。しかし、記憶効果という一点に絞ると、アメに軍配が上がります。動物に芸を仕込む時は、うまくいった時に、ご褒美として褒めたり、エサをやったりします。失敗したときに叱っているだけでは、芸は身につきません。

 実は人間でも同じなのです。心理学の実験では、被験者を長時間、緊張状態に置くと、記憶テストの結果が悪くなることが知られています。いつもムチばかりの雰囲気だと、生徒はまた叱られないかと常に怯えてしまうので、記憶定着の点では好ましくありません。

 記憶の定着には、日本伝統のスパルタ的部活動のような度を超えた緊張感を生徒に与えるより、生徒が伸び伸びできる雰囲気を作ってあげたほうが有効なのです。」

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(比喩のたとえ(例)

1)「選挙の結果が開票率がたった数%で当選確実が出たりするのは不思議じゃない? あれは、数学の「大数の法則」を利用したもので、ある試行において起こる確率をpとして…、」より次の方がイメージしやすい。

2)「選挙の結果が開票率がたった数%で当選確実が出たりするのは不思議じゃない? あれは、スープを煮込んでいるとき、小さじ一杯の味見をするだけで、スープ全体の味加減が分かるのと同じなんだよ…、」

どちらがピンとくるでしょう。

posted by Fukutake at 11:12| 日記

2022年06月23日

今何をすべきか

「イソップ寓話集」 中務哲郎 訳 岩波文庫

弁論家デマデス p66〜

 「弁論家デマデスがある時アテナイで演説をしていたが、聴衆が少しも身を入れて聞かないので、ひとつイソップの寓話を語らせてほしいと頼んだ。同意が得られたので語り始めて言うには、

 「デメテル女神と燕と鰻が連れになった。川の辺りにさしかかった時、燕は空へ飛び上がり、鰻は水に潜った」
 デマデスがこれだけ言って黙りこんだ。すると皆が、
 「デルメルはどうなったんだ」と尋ねるので、答えて言うには、
 「お前たちに腹をたてていなさるのだ。国の問題をほったらかしにして、イソップの寓話なんぞを聞きたがるのだから」

 このように人間の場合でも、しなければばらぬことを等閑(なおざり)にして快楽を選ぶのは、考えの足りない人だ。」

(英文) Demedes and rhe People of Athens 
 「Demades was a great orator. Once, he was making a speech in Athens about the danger of war with Macedonia. The crowd of citizens who had supposedly gathered to hear him speak, however, were paying little attention to him. They were too busy gossiping and laughing with one another. At length Demates interrupted his speech and announced to the people that he was going to tell them a fable by the famous Aesop. The crowd immediately grew quiet, and Demades began.

"The goddess Demeter," he said, "was walking in the countryside one day, accompanied by a swallow and an eel. After some time they came to a river, and no sooner had they done so than the eel slid into the water and swam away. The swarro, for her part, flew off toward the clouds and was never heard from again."
 At this point Demades paused.

"Well?" came a voice from the crowd.
"What about Demeter?"
"She is angry with you," said demates, "for having ears only for Asop when there are important affairs of state to attend to."

First things first.」

"Aesop's Fables" 英語文庫 (講談社)

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posted by Fukutake at 07:43| 日記