2022年06月28日

死を受け入れる前に老いゆく自分を認めろ

「死を受け入れること ー生と死をめぐる対話ー」 小堀鷗一郎x養老孟司 祥伝社 2020年

医者のリスク p171〜

 「小堀 学生の頃、神経内科の沖中重雄先生が最終講義で、「自分の誤診率は何%だった」とおっしゃったんです。ただ、それは全て取り返しのつかないような間違いだったわけではないのですが、細かい神経の疾患の中で、ここがやられていると思ったら隣がやられていたとか、そういうものを含めての話でした。
 最近のように患者を取り違えたとか、腎臓の悪くもない人の腎臓を取ってしまったという手術時のミスと、沖中先生が言ったような誤診とはまた分けて考えないといけないと思います。

 養老 一番大変なのは産科です。障害のある子が生まれたりすると、訴訟になることがあります。産科の先生に真面目に言われたことがありますよ。「こんなに訴訟をやってばかりいたら、産科の医者がいなくなります」って。
 余命告知もどんどん短くなっているんです。一年と言って、六ヶ月で死んだらヤブ医者、と怒られるから短めに言うんです。

 小堀 検診で見つからなかった胃がんが何年か後に見つかった、というのは僕も難しいと思います。

 養老 そんなの見落として当たり前ですよ。そこまでチームがうまく回るはずはないんだから。健康診断なんて何件もやるわけでしょう。しかもいわゆる健康な人を診るんだから。

 小堀 で、ほとんど何もないからね。

 養老 そうするとどうしても慣れが出ます。だから医者はやっぱり具合が悪いから診てもらうのが正しいんです。元気なうちに行く必要はない。
 東大病院の外来でケンカをしているのを見かけたことがあります。「検査の結果、あなたはなんともありません」と言われて、患者が、「でも先生、私は具合が悪いんです」と訴えていました。
 それを見て、「医者の仕事って何なんだろう」と思いました。うちの母なんか結局そうです。八十歳過ぎるまで医者をやっていたんですから。「先生のお母さんは偉いですね」と言われましたけど、誰が死にそうな医者に診てもらいたいですか。要するに相談相手なんです。

 小堀 そういうことを求める患者さんも多いです。これも人間関係ですから。

 養老 国際学会の発表で、献体を希望する人の理由を調べた発表があったんです。一番多いのが、お医者さんの世話になったから、医学の発展の役に立つならというもの。第二位は、ちょうど逆で、医療でひどい目に遭ったからもうちょっと勉強してもらいたい、と。で、五位ぐらいに、本当に面白いと思ったのが、遺族に対する面(つら)当てという回答。生きている間大事にしてくれなかったから、解剖に行ってやると。こういう感情は世界共通にあるんです。」

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腹いせ献体
posted by Fukutake at 07:11| 日記

2022年06月27日

長野県の民俗研究

「宮本常一著作集 18  旅と観光」 未来社  

郷土研究への期待 p151〜

「戦後世相混乱の中で、古い過去を断ちきるという動きにつれて、村々にのこる古文書類の散佚するであろうこと、それに過去が時空のかなたへ埋没してしまうことをひそかに心配して、その保存の対策を考えたのは渋沢敬三先生であった。そして文部省の人文科学研究課長犬丸秀雄氏の肝いりで、近世庶民史料調査委員会が組織され、野村兼太郎博士を中心に全国的な庶民資料調査がおこされ、その成果は所在目録三巻となって公刊され、これが画期的な事業であったことを知る。と同時に、これによって近世の庶民大衆が大きく反省され、又学問の対象としても大きく登場することになり、地方史研究が勃然としておこって来る。

 そうした中にあって、長野県だけは、若干事情を異にした。柳田國男先生と信州教育の結びつきから、民俗学的な郷土研究が大正七年ごろから盛んになって来る。長野県は山国であり、山を境にして多くの地域に分かれ、その地域ごとに特色があり、また古い習俗が多くのこっていた。それらの習俗が主として小学校の教諭の活動によって調査せられ、中には一志茂樹氏を中心とした『北安曇郡郷土誌稿』のようなすばらしい成果が、昭和初期にすでに世に問われている。その他の郷土誌にいたっては枚挙にいとながないほどであるが、いずれも資料としての価値が高いものであり、それらの調査活動にしたがった人びとが主として戦後の地方史研究のメンバーとして登場して来たことも長野県の一つの特色であったといっていい。

 つまり、戦後は文献資料の調査整理に重点がおかれることになったが、その基底には民俗学的な発想と着眼が根をおろしている。そうした事業の中で『信濃史料』は県下全体にわたる文献記録の年代を追っての集大成で、他の諸県が県史編集に大きく力をそそいでいるのに対して、ここでは基礎資料の整備にもっとも力が注がれており、諏訪史編纂事業にともなう『諏訪史料叢書』もこれに類するものと見てよいであろう。こうした地道な基礎作業がつづけられて来たのも、昭和二四年以来雑誌『信濃』のはたした指導的役割が大きい。

 ところが、昭和三〇年町村合併が各地でおこなわれてから、市町村史の編集が盛んになって来る。その影響から長野県もまぬがれざるを得なかったと言っていい。各町村とも盛んに編集刊行しているが、この方はそのうちにおちついて来るであろう。このような現象は、かつて、郡制廃止のときにも見られた。全国五百郡に近いうちその半ば以上が群史をつくったのである。一つの土地に住むものが、その土地を権威づけるために活動することは当然のことと言っていいが、それがそのことのみに終始すると、単なる所自慢になる。これを日本史の立場から見ようとしたことから地方史研究の機運も生まれたのであるが、昭和三〇年以降の町村史はこの立場に立っていると言っていい。

これまで個々ばらばらに出ていた民俗資料が、整備して叢書として刊行せられるべき課題がこのっているのではないかと思う。そしてそれらのものの整理をまちつつ、人間生活の歴史が追究せられるべきではないかと思う。」

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文献資料と民俗の実態研究を望む
posted by Fukutake at 07:24| 日記

意識の世界とそれ以外

「考える人」創刊号(2002年 夏号) 新潮社

「万物流転」養老孟司

 「…われわれは同一性の世界に浮遊している。それを意識の世界と表現してもいい。たとえば意識は、自分をアプリオリに同一だと主張する。昨日寝る前の私と、今朝目覚めた後の私は、同じ私だという。生まれてから死ぬまで同じ名前を使う、現代都市社会の慣習がその信念を助長する。しかし論理的、実際的に、それが成り立つ保証などない。「同じ私」が成り立つなら、なぜ赤ん坊だった私が、今や白髪の爺になっているのか。私はいつ変化したのか。

 同一とは普遍性を意味する。変わらないものとは、そもなにか。それは情報である。情報はすべからく変化しない。書かれた文字、話された言葉は変化しない。語られた言葉が変化しないことはテープに記録できるからわかる。しかしそれを語った人物は、同じ言葉をまったく同様に語ることが、二度とできない。人という生きたシステムは、ただひたすら変化するからである。まことに「万物は流転する。だから言葉は残ったが、ヘラクレイトスは死に、もういない。

 現代社会は逆の前提で動いている。私は私だが、ニュースは日替わりではないか、というわけである。今日のテレビ・ニュースを明日見ることは簡単である。百年後に見ることだって、不可能ではない。しかし百年後にそのニュースを語っているアナウンサーを見ることはできない。それが情報と、「人という動いているシステム」の、根本的な違いである。現代人には気の毒だが、人はすべて死ぬ。死んで、いなくなる。残るのは情報のみである。「人は死して情報を残す」のである。

 意識がアプリオリとしての同一を主張すること、それが言葉の使用を裏付けている。言葉は同一性を前提とするからである。リンゴという文字、リンゴという音声は、「同じ」であることは決してない。それぞれの具体的な文字、それぞれの具体的な音があるばかりである。それらの文字、それらの音が類似することは認めるが、決して同じではない。しかしわれわれは、それを同じ言葉、同じ文字と認める。それは昨日寝る前の私と、今朝目覚めた後の私が「同じ私」だというのと、同じことではないか。

 意識の機能は明瞭であろう。意識はただひたすら「同じ」だという。言葉の使用がそれを確認する。意識とはほとんど言葉の使用そのものである。しかし万物は流転し、世界は変わる。生あるものはかならず滅する。眠っているときわれわれの意識は、覚醒時より低水準にある。その意識水準では「同じ」という機能は不十分となる。だからこそわれわれは、夢のなかでは、いかなるものにもなりうる。夢に胡蝶と化するのである。

 乱暴に言おう。世界は二つに分かれている。同一性が瀰漫する場としての意識=言葉の世界、万物が流転する意識外の世界。シニフィアンとしての世界とシニフィエとしての世界といってもいい、言葉はまさしく両者をつなぐ。一つの言葉が両者を示すのである。」

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意識の機能:言語を意味あるものとして理解すること
posted by Fukutake at 07:16| 日記