2022年05月31日

宮本民俗学の発端

「宮本常一著作集 25」 村里を行く 未来社 跋文ー宮本常一君のことー

渋沢敬三* p318〜

「常民とは貴族、武家、僧侶等でない所謂コンモンピープル、即ち普通一般の農山漁 村の人々及び町の人々を指したもので、庶民ではこちらが上座にいるような気合なの を嫌って私の作ったことばである。
今迄の我国の歴史が主として上層部の人々の動きを追い、その時々の基盤をなし ていた常民の動きや考え方がなおざりにされていたきらいがあったので、その面を特 に見つめて見たいとの念願から、その文化史を究明せんとしてやり始めたのが日本 常民文化研究所で大正末期からである。

昭和十四年宮本君が三十歳の時、建国大学創立に際し満洲に行きたいと大阪から 相談に来た。満洲の民俗をテーマに勉強するには先ず満洲語が不可欠であり、且つ 中国語も入用だ。同君は体もそう頑丈なほうでもないし、この年になって新たに二つ の外国語を修得するは容易なことではない。大学に行って活字勉強なら東京でも出 来るし本気で満洲に移ることはない。宮本君の気質でやるなら本当に旗民族の中に 入らなければ我慢できぬであろう。

そこで君は瀬戸内海に生まれ瀬戸内海が詳しく且つ親しいのだからそれを一生の テーマとして取り組んではどうか。瀬戸内海は欧洲における地中海にも比べられる我 国文化史上の一大担当者である。九州も中国も四国も大和も大切だが、瀬戸内海が 日本の海のシルクロードの地位を持ったことは忘れてはならぬ。文化は海の上を自 由自在に東西南北に歩き渡った。日本を知る上での瀬戸内海の比重は重く一生の テーマとして軽すぎることはあるまい。瀬戸内海に縁あって生まれその文化史的意義 を究明するにふさわしい才能を持つ者が、苦労だけしに満洲に渡る手はあるまいとも いって見た。

そして、これに同意して宮本君は私の家に起居することになった。爾来二十二年 間、同君はよく歩き廻った。宮本君の旅はその範囲も日程も道筋も普通一般ではな かった。約三千の村々を、汽車も利用したが、足で歩いた方が多いので、大げさに云 えば日本中ベタベタと歩いた感じがする。...

宮本君は単なる学徒ではない。大島の家には田畑もあり、老母と奥さんが居られ、 百姓をし米もとり蜜柑も作り、又柴も山に刈りに行っている。彼も農繁期を見ては帰省 し、自ら野良仕事もやる。肥料の重さもワラの分量も防虫剤撒布も腕に覚えのある学 徒である。蜜柑を食べて、その味で肥料のうち何が不足しているかを云い当てうる学 者である。篤農家的素質と訓練を持ち合わしている。
だから日本中どこの農村へいっても相手に外来者の感を抱かせない。すぐに味方 であり同類だと直感させるものが身についている。話がすぐ合い、よく聞き出せる所

以である。勤勉誠実でケレンなく依怙地や嫌味のない出来るだけもののよい面を見て ゆこうとする宮本君が、それでいて不思議とひとにだまされないことは面白い。いくつ かの話の中で最も正しいものを選び出すカンがあるから、ウソやアヤフヤなものにご まされない。

この人ぐらい日本中に友人を多く持っている人も少ないであろう。どこの土地へ行っ ても親しいお百姓がいる。彼の学問は活字からも充分吸収されているが、一面いろい ろな土地を歩き、眼で見、耳に聴いたものが強くものをいっている。...」

渋沢敬三* 1896(明治29)年生まれ。東京帝国大学経済学部卒業。横浜正金銀行、第一銀行 を経て日本銀行総裁、大蔵大臣をつとめる。一方で民俗学や漁業史を研究、学術団体を支援す るなど、文化活動にも注力した。号は「祭魚洞(さいぎょどう)」。1963(昭和38)年没 六十七歳。 祖父は渋沢栄一。

「もし宮本君の足跡を日本の白地図に赤インクで印したら全体真っ赤になる程であろう」

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posted by Fukutake at 07:27| 日記

飲酒讃

「唐詩選 下」 前野直彬注解 岩波文庫

ー酒ー

  勧酒 于武陵

勧君金屈巵 君に勧む 金屈巵 
満酌不須辞 満酌 辞するを須(もち)いず
花發多風雨 花発(ひら)けば風雨多く
人生足別離 人生 別離足(おお)し

君に勧める黄金のさかずき(金屈巵(きんくつし)柄がついた高価な酒器)、なみなみとついだこの酒を、辞退などするものではないよ。この世の中は、花が咲けば、とにかく雨風が多いもの、人が生きて行くうちには、別離ばかりが多い。

  涼州詞 王翰

葡萄美酒夜光杯 葡萄の美酒 夜光の杯
欲飲琵琶馬上催 飲まんと欲れば 琵琶 馬上に催(うなが)す
酔臥沙場君莫笑 酔うて沙場に臥す 君笑うこと莫かれ
古来征戦幾人回 古来征戦 幾人か回(かえ)る

葡萄(西域から伝わった高級な酒)のうまざけをたたえた、夜光(唐代では貴重なガラス製)のさかずき。それを飲もうとすれば、うながすように、馬上から琵琶のしらべがおこる。酔いしれて、砂漠の上に倒れ臥す私を、君よ、笑いたもうな。昔から戦いに出てたった人のうち、幾人が無事で帰還できたことか。

  客中行(旅の途中)李白

蘭陵美酒鬱金香 蘭陵の美酒 鬱金(うこん)の香(か)
玉椀盛来琥珀光 玉椀盛り来たる 琥珀の光
但使主人能酔客 但(た)だ主人をして能く客を酔わしめば
不知何処是他郷 知らず 何れの処か是れ他郷ならん

蘭陵のうまざけは鬱金の香りを放ち、玉の椀(まり)に盛られて、琥珀色の光をたたえる。この家のあるじが、旅人の私を心ゆくまで酔わせてくれさえするならば、どこが他国で、どこが故郷か、そんなことはかまうものか。

  春思二 賈至

紅粉當壚弱柳垂 紅粉して壚に当れば弱柳垂れ
金花臘酒解酴釄 金花の臘酒 酴釄(とび)を解く
笙歌日暮能留客 笙歌 日暮 能く客を留め
酔殺長安軽薄兒 酔殺す 長安軽薄の児 

紅おしろいをつけてお店に出れば、店の前にはしだれ柳の枝が垂れている(その柳にも似たこの姿)。黄金の花の浮かぶ新酒、さあ春のお酒に口を開けましょう。笙を吹き、歌をうたい、日が落ちてもまだお客を引きとめて、長安の浮かれ男たちを酔いつぶしてみせますよ。

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posted by Fukutake at 07:22| 日記