「現代民話考 9」 松谷みよ子 ちくま文庫 2003年
死者よりの桜 p209〜
「昭和二十年ルソン島でひどい熱病に罹った。私はもう助からないと思い、戦友に「死ぬ前に桜の花がみたい」といった。出征した時。汽車の窓から戦友と見た桜の花が、忘れられなかったからだ。戦友はすぐ山へ桜を探しに行って間もなく、花をつけた桜の枝をかついできてくれた。だが戦友の様子がおかしい。花を私に渡すと口もきかずに行こうとする。あわてて後を追おうとして目が覚めた。高熱でうなされ、二日間も眠っていた後だった。しかしその間に戦友は死んでいた。私のために山へ桜を探しに行って、住民に殺されたのだった。手に桜の花そっくりの花をつけた枝をにぎって、死んでいたそうだ。戦友が私のところへ届けてくれた時には、もう死んでいたのだ。死んでまでもあの世から私に桜の花を届けてくれたのだった。」
「昭和十四、五年の太平洋戦争に突入前後の頃だったでしょうか。幼かった私の耳に入った話ですが、私の生まれた新潟県東頸城郡松代村千年に「佐治兵エサ」という中位の豊かな地主の家があります。その家の前は崖になっていて、そこへ一本のそう大きくもないケヤキの木が生えていました。それが雪の中で突然倒れてしまいました。家の人はびっくりして、倒れるような条件のない木が転んだというので怪しんでいたところ、間もなく次男坊の戦死公報が入ったということです。この次男はかなりの腕白坊主で、しょっ中このケヤキによじ登って遊んで育ったというのです。ですからあの腕白坊主の霊が帰ってきて腕だめしに木を転ばせたのではないか、と噂があったものです。」
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ソヴィエト軍の強さ
「ヴァレリー全集 12 ー現代社会の考察ー」 筑摩書房
ソヴィエト軍讃 (佐藤正彰訳) p365〜
「ロシア兵器は、スターリングラード以来、敵すべかざるものあり、そして殆ど常に仮借なきものであることを示しましたが、私は単にこの兵器の運用において、私に最も不思議に思えることだけを申し上げたいと存じます。
このたびの戦争はわれわれの時代の戦争であり、敵はわれわれの知るごとき敵でありました。敵がこの大国を攻撃するのを躊躇しなかった所以は、己が予測のうちに或る優位の確信を見出していたからであります。…
しかしわれわれを一驚させ、特別にわれわれの注意をひき、かの一連の強力にして堂々たる作戦において、われわれに最も天晴れに見える筈のこととは、そもそも何でありましょうか。これらの作戦は、スターリングラードからプロシアに到るまで、さながら自然の宿命的な力のごとく、防禦を粉砕し、障害を押し流すことをやめなかったのです。
敵は、全く斬新な戦争形式を大胆に適用しつつ、到る所で勝利を収めていたところでした。己がごく最近の首尾よい経験と、それに劣らず己が伝統を深く恃む軍隊を率いて、戦略的計画の構想と綿密な準備とにかけて比肩する者を知らぬ参謀部は、すぐれた教練を受け、すぐれた幹部を配され、狂信的要素に満ちた、大勢の人的資材を駆使していたのでした。
ソヴィエト連邦の将帥たちの真価はいかん。その戦略に何を期待すべきか。その他、権限、発議権、文化、一般的乃至技術的教育の諸問題が、あらゆる専門部門と共に、階級のあらゆる段階において、提出されました。なぜならば、ぎりぎりのところ、何ごともただ実施によってのみ値いがあるからです。
ところで、われわれは今でははっきりとわかっています、はっきりとわかって驚嘆しています。戦争によって明らかにされた大いなる事実は、ロシアの物質的威力ではなく、国民の士気でもなく、勝利に対する信念でもありません。なぜならば、これらすべての因子は、敵味方万人の評価によって、ロシアに認められているところでしたから。しかし敵は確実にー そしておそらくは一国にとどまらぬ味方も、ー 赤軍の首長たちとその代理官たちに、かかる近代戦略の把握、軍の使用するかくも複合した兵力の交互的操法の把握や、最大価値の知的養成を示す、柔軟な暴力使用にかけてのかの手腕などを、想像してはいませんでした。しかしさらに驚くべきは、幹部の養成、彼らに促進され、彼らの力量によって、高級指揮官の意志が行為となって実現するその何万という将校と下士官の養成であります。これが私にとって非常な驚きと感嘆の種であり、これこそ考えさせずにおかぬことです。ロシアの面積を思わなければなりませぬ。人の知るごとき領土と人口の規模で、今私の指摘したような教育の努力をよくすることのできる国民とは、己れに新しい種類の将来を感ずる国民であり、いかなる将来かを明確にすることはたしかに不可能に相違ないけれども、しかしそれは、世界資源の征服或いは物質的組織化及び活用の単なる計画に帰着してしまうようなものではないのであります。」
(一九四五年二月にフランス翰林院から「フランス・ソヴィエト協会」へのヴァレリーの祝辞)
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今は地に堕ちた過去の栄光。
ソヴィエト軍讃 (佐藤正彰訳) p365〜
「ロシア兵器は、スターリングラード以来、敵すべかざるものあり、そして殆ど常に仮借なきものであることを示しましたが、私は単にこの兵器の運用において、私に最も不思議に思えることだけを申し上げたいと存じます。
このたびの戦争はわれわれの時代の戦争であり、敵はわれわれの知るごとき敵でありました。敵がこの大国を攻撃するのを躊躇しなかった所以は、己が予測のうちに或る優位の確信を見出していたからであります。…
しかしわれわれを一驚させ、特別にわれわれの注意をひき、かの一連の強力にして堂々たる作戦において、われわれに最も天晴れに見える筈のこととは、そもそも何でありましょうか。これらの作戦は、スターリングラードからプロシアに到るまで、さながら自然の宿命的な力のごとく、防禦を粉砕し、障害を押し流すことをやめなかったのです。
敵は、全く斬新な戦争形式を大胆に適用しつつ、到る所で勝利を収めていたところでした。己がごく最近の首尾よい経験と、それに劣らず己が伝統を深く恃む軍隊を率いて、戦略的計画の構想と綿密な準備とにかけて比肩する者を知らぬ参謀部は、すぐれた教練を受け、すぐれた幹部を配され、狂信的要素に満ちた、大勢の人的資材を駆使していたのでした。
ソヴィエト連邦の将帥たちの真価はいかん。その戦略に何を期待すべきか。その他、権限、発議権、文化、一般的乃至技術的教育の諸問題が、あらゆる専門部門と共に、階級のあらゆる段階において、提出されました。なぜならば、ぎりぎりのところ、何ごともただ実施によってのみ値いがあるからです。
ところで、われわれは今でははっきりとわかっています、はっきりとわかって驚嘆しています。戦争によって明らかにされた大いなる事実は、ロシアの物質的威力ではなく、国民の士気でもなく、勝利に対する信念でもありません。なぜならば、これらすべての因子は、敵味方万人の評価によって、ロシアに認められているところでしたから。しかし敵は確実にー そしておそらくは一国にとどまらぬ味方も、ー 赤軍の首長たちとその代理官たちに、かかる近代戦略の把握、軍の使用するかくも複合した兵力の交互的操法の把握や、最大価値の知的養成を示す、柔軟な暴力使用にかけてのかの手腕などを、想像してはいませんでした。しかしさらに驚くべきは、幹部の養成、彼らに促進され、彼らの力量によって、高級指揮官の意志が行為となって実現するその何万という将校と下士官の養成であります。これが私にとって非常な驚きと感嘆の種であり、これこそ考えさせずにおかぬことです。ロシアの面積を思わなければなりませぬ。人の知るごとき領土と人口の規模で、今私の指摘したような教育の努力をよくすることのできる国民とは、己れに新しい種類の将来を感ずる国民であり、いかなる将来かを明確にすることはたしかに不可能に相違ないけれども、しかしそれは、世界資源の征服或いは物質的組織化及び活用の単なる計画に帰着してしまうようなものではないのであります。」
(一九四五年二月にフランス翰林院から「フランス・ソヴィエト協会」へのヴァレリーの祝辞)
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今は地に堕ちた過去の栄光。
posted by Fukutake at 06:22| 日記