2022年05月23日

母の勉強ノート

 産経新聞 朝晴れエッセイより 「大学ノート」藤田治一(68)大阪府

 「机の引き出しに、二十数冊の古びた大学ノートがしまってある。母が亡くなったとき、棺に入れるつもりが、つい忘れてしまった。

 母は、広島県の山あいの町で私生児として産まれた。幼い頃、実母の叔父に引き取られて育った。馬喰を生業としていた叔父は家を空けることが多く、幼い母は飼い犬と一緒に、さみしさをこらえ、叔父の帰りを待ったという。

 小学校へろくに行けなかったので、父と結婚した頃は、時計の見方もわからず、漢字もほとんど読めなかったらしい。

 そんな母が、新聞の連載記事を大学ノートに書き写し始めたのは、私の高校進学の頃だったと思う。初めは父にフリガナをふってもらい、何度も声に出して読み、書き写していた。

 亡くなる前日まで、40年も続けた。いつか母の読めない漢字は無くなっていた。

 母が逝き10年。今も時折ノートを開いてみる。、メモのような走り書きを見つけると、母に話しかけてみる。
 「何かあったの?」と。
 お世辞にも上手と言えない、かなり癖のある懐かしい母の文字だが、ページをめくる度に私の心は満たされ、優しく包まれていく。

 何度か処分を考えたが、この世にお暇する日まで引き出しにしまっておこう。疲れたときにはそっとページを開き、優しく頭をなでてもらおう。つぎは忘れず私の棺にいれてもらうよう、子供たちによーく頼んでおこう。」

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親の歳に近づくと、より親のことが思い出されます。
posted by Fukutake at 12:04| 日記

敵国を批判する自由?

「私とマルクシズム」ー共産主義批判ー 小泉信三 角川文庫

p22〜
 「…いわゆるプロレタリアの独裁はプロレタリアに対する独裁であるとの批判、また共産党の独裁は党首脳の独裁にほかならなぬという批評は、充分の程度において真実であると見なければならぬ。ここにおいて当然の次第として、独裁者その人を尊厳にするさまざま無意的ならびに有意的な手段が講ぜらるることになった。今日ロシアでスタアリンを呼ぶとき、単にこれを同志スタアリンと呼ぶことがようやく廃されて「偉大なる教師」「天才的指導者」とか、そのほかさまざまなる尊敬の形容語がこれに付せられるの風が盛んになりつつあることは、意外の程度に及んでいるということである。今日ロシアにおいてはもはやスタアリンの写真の出ている新聞紙はこれを包み紙として使用することを許されぬというごとき噂の真偽は知らないが、学者ことに自然科学者までが、スタアリンを仰いでその師となし、生物学者ルイセンコのごときは、学会において、己の学説は共産党首脳の賛成を得たといって、反対論者を抑えてしまったということは、恐らく事実であろうあろうと察せられる。

 それは先年ドイツで、ナチが人をして朝夕のあいさつにも「ハイル・ヒットラア」(ヒットラアに幸いあれ)と言わしめたことを思い出させる。いずれも独裁政治下において人々がいかなる心意状態に陥るかを示すものとして特に心に留めてしかるべきことである。

 このところアメリカのある雑誌に一笑話が載っていた。ウィインの占領区で、アメリカの兵士とロシアの兵士とが、いずれの国がより民主的であるかと争論した。アメリカ兵のいわく、わが国は、民主国であるから、かりに自分がワシントンのホワイトハウスに出かけていって、大統領に向かい、アメリカ大統領の政策はまちがっている、と直言しても罰せられる気づかいはないと。ロシア兵も負けずにいった。わが国は民主国であるから、かりに自分がモスコウのクレムリン宮に出頭し、スタアリンに会って面と向かって、アメリカ大統領の政策はまちがっている、と直言しても少しも罰せられる気づかいはないと。

 これは一場の取るに足らぬ作り話であるが、しかし全くの無意義ではない。われわれの解するデモクラシイは、政府当事者に対する人民の自由なる批判と、その批判に基づく投票と、投票による為政者の更代とを不可欠のものとする。そうしてそれは西洋文明の成果である人格尊重の大原理の必然の帰結であり、わが憲法もまたこれをその精髄となすものである。そうしてそれは前述のごとく、人類がその社会的進歩を、最小の犠牲をもって成就せんがために案出したとも見らるべき、地味ではあるが、賢明にして貴重なる制度である。この制度に多くの弱点を存することは、今さらいうまでもない、明らかなことであるが、しかし、それあるのゆえにこの制度に対して気短になるものは、まずファシズムとナチズムと、そのそれぞれの結末を思わなければならぬ。またソヴィエト・ロシアにおける一千万人の強制労働を思わなければならぬ。

 デモクラシイは自由と寛容を旨とするものであるが、ただ一つの事、すなわちデモクラシイそのものの防衛については飽くまで剛毅で果敢出なければならぬ。その破壊が左右いずれの者によって企てらるるを問わないことは、もとより言うまでもない。もし歴史によって何物かが学びえらるるものならば、われわれは第一にこれを学ばなければならぬ。」
(昭和二十五年一月)

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posted by Fukutake at 11:18| 日記