「新編 日本古典文学全集51」月報42 一九九七年十一月 より
菊池昌治 「万葉の酒」
「『万葉集』には宴、飲、楽宴、宴飲、集飲、酒宴、飲楽、豊の宴といった言葉が頻出し、酒や宴を詠じた歌は二百首を超えている。当時の飲酒が神不在の形で盛んに行われていたことがわかる。その代表が大伴旅人の「酒を讃(ほ)むる歌十三首」であろう。旅人は齢六十を過ぎて太宰帥(だざいのそち)として、筑紫に下るが、赴任後まもなく妻を亡くす。筑紫の地で詠まれた十三首には望郷の念や寂寥感、不遇の境地を嘆くやりきれなさが漂っている。こうした旅人の酒への対し方は、古今、酒徒の等しく持つものである。」
「万葉集一」 伊藤博訳注 角川ソフィア文庫より
「太宰帥大伴卿、酒を讃むる歌十三首(巻 第三)p199〜
「験(しるし)なきものを思はず一坏(ひとつき)の濁れる酒を飲むべくあるらし
酒の名を聖(ひじり)と負(おほ)せしいにしへの大きな聖の言の宜しさ
いにしへの七の賢しき人たちも欲りせしものは酒にあるらし
賢(さか)しみと物言ふよりは酒飲みて酔(ゑ)ひ泣きするしまさりたるらし
言はむすべ為(せ)むすべ知らず極まりて貴きものは酒にしあるらし
なかなかに人とあらずば酒壺(さかつほ)になりてしかも酒に染みなむ
あな醜賢(みにくさか)しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似む
価(あたひ)なき宝といふとも一坏の濁れる酒にあにまさめやも
夜光る玉といふとも酒飲みて心を遣るにあに及(し)かめやも
世間(よのなか)の遊びの道に楽しきは酔(ゑ)ひ泣きするにあるべかるらし
この世にし楽しくあらば来む世には虫に鳥にも我れはなりなむ
生ける者(ひと)遂(つひ)にも死ぬるものにあればこの世にある間は楽しくをあらな
黙居(もだを)りて賢しらするは酒飲みて酔(ゑ)ひ泣きするになほ及(し)かずけり」
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この世にある間は楽しく…。