「続 妖異博物館」 柴田宵曲 ちくま文庫 2005年
火災の前兆 p65〜
「土佐道寿(とさどうじゅ)という人が浪人して町宅住いをしていた頃、家中の人に産婦の療治を頼まれ、七夜の間はその家にいたところ、或晩不思議なる夢を見た。一人の老僧が現れ、その方の私宅より出火して大事に及ぼうとしている。只今直ぐに帰宅して消せば別条なかろう、と云って引き起こされると思ったら目が覚めた。即座に身拵えをして主人に向い、余儀ない急用を失念して参りました、用事が済み次第直ぐに戻りますから、と云い捨てて馳せ帰ると、果たして居間の火燵(こたつ)から簀の子に燃え付いて、危なく火事になる寸前であった。召し連れた下僕と二人で水をかけ、隣家の人も知らぬうちに消し止めたと「雪窓夜話抄」にある。先方に宿泊している間に夢を見たとすれば、火燵の火の始末もせずに出かけたわけで、不用意千万の話であるが、道寿はこれを宗祖の告げとして有難く思ったというのである。
越前の国主松平伊予守の臣で本田玄覚という人は、府中の城代であったが、その家来の三百石ばかり取る人の家で、居間の天井から白米がばらばらとこぼれて来る。払い捨てると、またそのあとから落ちる。遂に溜まって一俵になった。一見綺麗な米だから、飯に炊いて見るのにその味も上々である。明けても暮れても米が降るのを、家の者は福神の所為として喜んだが、他人はひそかに眉を顰めて居った。あまり不思議だというので、天井の板を外して見ても何事もない。然るに或時用事があって蔵を明けて見たら、俵は積んでありながら、中の米は一粒もない。そろそろ玄米が減りかけたと思うと、今度は座中に玄米が降り出した。驚いて米俵を全部余所へ預けたところ、陶器と云わず、金物と云わず、台所道具が躍り出して座敷へ出て来る。米の時は何事もなかったが、挽臼などが躍り出すに至って、人にぶつかれば痛むことおびただしい。これはただ事にあらずというので、名僧に聞こえある人に頼み、祈祷などして見ても、更に験(げん)が見えぬ。道具類が躍り出すのはまだしも、家中のここかしこから火が燃え出す。家中大騒ぎになって道具を運び出すうちに、夜が明ければ家はどこも焼けて居らず、もとの通りである。こういう事が十日ばかり続き、家人も驚かなくなってから、突然本当の火事が起こって全部焼けてしまった。但その家だけで類焼はなく、この火事以後は一切の怪しいことはなくなった。寛永年中の事と「四不語録」に見えている。
「雪窓夜話抄」の火事は突然であったが、「四不語録」の場合は前哨戦と見るべき事柄がいろいろある。その家に異変が起こるに先立って怪事が続出するのは、和漢ともに珍しからぬ話である。が、「地北偶談」の一話などを読むと、単なる凶事の類でなしに、大分かけ離れた興味を生じて来る。」
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