「現代民話考 5」 松谷みよ子 ちくま文庫 2003年
子育て幽霊 p475〜
「あるタクシー会社に所属の運転手のはなし。三歳になる男の子を残して女房に死なれ、さしあたり子供を預かってもらう親戚も東京にはなく、また戦前のこととて保育事業もいまほどさかんではなかったので、当座やむを得ないまま子供を隣家へたのんで置いては稼ぎに出かけてゆくことにしていた。
夜更けの稼ぎは子供のため、やめることにして、なるべくはやく帰宅することにしていたが、それでも仕事のつごうで八時か九時ごろになることがあった。しかし、隣家のものもはじめのうちは可哀そうに思ってよく面倒をみていたが、なにぶん毎日のことではあるし、つい通り一遍の世話になりがちだった。ことに八時、九時というころになると、「もうそろそろ父ちゃんも帰ってくるだろうからお家へいって待っていな」と子供をつれていって、電気をつけておいて帰った。
子供はひとりで待っているうち淋しくなってしくしく泣きだすのである。その悲しげに泣くこえは両隣へもきこえた。その泣きごえをきいていると、隣家の者も可哀そうになってきて、どれ、つれて来てやろうと思っていると子供の泣きごえがばったりやんで、その子が誰かと話しているこえがしきりにする。そしてときどきは笑いごえもまじっていた。
父親が帰ってきたのだろうかと思ったが、帰ってくればいつも子供をたのんでいったあいさつをしにくる筈だから父親でないことはわかっている。おかしいぞと思っていると、子供のこえがやんでひっそりとなる。そのうち父親が帰って来て一口あいさつ代わりにこえをかけ、やがて家に入ってしまう。この状態がずっとつづいた。子供はたしかに独言をいっていることが隣家の人にもわかってきた。
それにしてもふしぎだと思い、ある日、子供に隣家のものがきいてみた。「坊やは夜、うちへ帰って、父ちゃんにいないときなにかをしゃべっているが、あれは何をいってるんだね」すると、「母ちゃんと話をするよ」子供が平気な顔をしていう。
隣家のものは背なかに水をあびたような感じになり、「ほんとうに母ちゃんが来るのかい」「くるよ。おいらが泣いていると、母ちゃんがきておっぱいを飲ましてくれたり抱いて頬ずりしてくれたりするよ」。
隣家の者はそこで子供をその家へつれてゆき、「母ちゃんはどこから来る?」と訊いた。「あそこからー 」子供は狭い台所のたたきになった敷居の下を指さしていった。」
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