2022年05月13日

読書狂

「超読書体験(上)」 コリン・ウィルソン 柴田元幸 監訳 学研M文庫 2000年

何冊あれば本は多すぎるか? p14〜

 「私はどんな本を買ったか? 興味あるテーマのもになら何でも。たとえば、子供の頃『過去百年の猟奇殺人五十』という本を読んで以来、私はつねに犯罪に興味を持ってきた。古本なら値段も安く、一冊二シリング六ペンス(約18円)程度で買えることも多かった。というわけで、まもなく、有名な殺人事件に関する本がいくつも棚をぎっしり占めることになった。詩も昔から好きだったので、スペースができたいま、チョーサーやミルトンにはじまりT・S・エリオットに至るまで、何百冊と詩集を買いまくった。音楽、哲学、伝記、歴史、文芸批評、科学、さらには数学の本まで買った。そしてもちろん、小説も。十九世紀にはどこの出版社も、こぞって「全集」を出したものだった。ディケンズ、サー・ウォルター・スコット、ランドー、ジョージ・エリオット、トロロプ、ディズレイリ、ペイター。現代の作家には全集を置くスペースなどないから、いまではまさに二束三文、現代小説一冊分の値段で一セット買えた。じきに私は、愛読する作家(ドストエフスキー、トルストイ、バーナード・ショー、H・G・ウェルズ)の全集を一通り揃えることができたし、カーライルやラスキンなど、いずれ読もうと思っている作家のものも相当集まった。

 子供のころからずっと、私は古本を買うのが大好きだった。いまや夢が現実になったように思えた。自分が永遠に生きるようなつもりで私は買いまくった。本ばかりでなく、ベートーヴェンからジャズまで、あらゆる音楽のレコードも。そして、四十代なかばに達したころだと思う。ある日突然、私は、もう自分には買った本をすべて読む時間も、買ったレコードをすべて聴く時間も残っていないことに気がついた。計算してみたら、一日十時間ずつかけたとしても、すべてのレコードを聴き終わるには十年かかる。それでもなお、ベートーヴェンの第九やシュトラウスの『薔薇の騎士』の最新録音が絶賛されている評を読むたびに、自分のコレクションに加えたいという誘惑に打ち克つことができなかった。おそらくこうした熱中ぶりは、一種マイルドな狂気とみなしてよいのだろう。

 こうして私たちは、部屋の隅にも廊下にも本が山と積まれた家に住むことになった。「日だまり」と呼んでいる部屋にはビデオテープがうずたかく積まれている。今日では、私はもう書評を読まない。誘惑が大きすぎるからだ。」

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どこでも、こういう人はいるのだなあ。
posted by Fukutake at 12:42| 日記