2022年05月05日

人間とは何だ

「アルキビアデス」 プラトン 三嶋輝夫 訳 講談社学術文庫 2017年

人間とは p98〜

 「ソクラテス さて、僕たちは、用いている者と彼が用いている物は別物であることに同意するだろうか。 
 アルキビアデス はい。
 ソクラテス とすると、靴職人とキタラ奏者は、彼らがそれを用いて仕事をする手や目とは別物ということになるだろうか。
 アルキビアデス はい。そのように思われます。
 ソクラテス ところで、人は身体全体を使うのではないだろうか。
 アルキビアデス もちろんです。
 ソクラテス だが、用いている者とそれが用いている物は別だったね。
 アルキビアデス そうです。
 ソクラテス とすると、人間は自分自身の身体とは別物なのだろうか。
 アルキビアデス そのように見えます。
 ソクラテス それでは、人間はいったい何なのだろうか。
 アルキビアデス 僕には言うことができません。
 ソクラテス しかし、少なくとも身体を使っている者であるということだけは、君も言えるはずだ。
 アルキビアデス はい。
 ソクラテス それなら、魂以外に、身体を使うものが何か他にあるだろうか。
 アルキビアデス それ以外にありません。
 ソクラテス とすると、魂は身体を支配しているのではないだろうか。
 アルキビアデス そうです。
 ソクラテス 実際、この点については、誰一人として別の考えは持たないだろう。
 アルキビアデス どんな点のことですか。
 ソクラテス つまり、人間は三つのものの中のどれか一つなのではないか、という点だが。
 アルキビアデス どのようなものの中で、でしょうか。
 ソクラテス 僕が言っているのは、魂と、身体と、両者が一緒になったもの、つまりその全体の三つだ。
 アルキビアデス もちろんです。
 ソクラテス ところで、僕たちは、まさに身体を支配しているものこそが人間であるということに、間違いなく同意したのだね。
 アルキビアデス 同意しました。
 ソクラテス それでは身体自体は、自分自身を支配するだろうか。
 アルキビアデス いいえ、決して。
 ソクラテス だって、それは支配されている、と僕たちは言っていたのだからね。
 アルキビアデス はい。
 ソクラテス 少なくとも、それは決して僕たちが探し求めているものではありえないのだ。
 アルキビアデス ありえないように思われます。
 ソクラテス いや、そうだとすると、両者が一緒になったものが身体を支配しているのであり、まさにそれこそが人間だということになるのだろうか。
 アルキビアデス おそらく、きっとそうでしょう。
 ソクラテス いや、それだけはありえないよ。というのも、片一方(身体)はともに支配しないのに、両者が一緒になったものが支配する、いかなる手だてもないのだから。
 アルキビアデス そのとおりです。
 ソクラテス さて、人間は体でもなければ両者が一緒になったものでもないからには、思うに残るのは、それは何ものでもないか、あるいはそれが何かであるとすれば、魂以外の何ものも人間ではありえないということだけになる。
 アルキビアデス まったくそのとおりです。
 ソクラテス それでは、魂が人間であるということが、何かさらに明瞭な仕方で相手に証明される必要はあるかね。
 アルキビアデス いいえ、ゼウスに誓って、決て。僕には十分だと思われます。」


人間=魂 
posted by Fukutake at 10:06| 日記

貴顕盗人

「古典への飛翔」 馬場あき子 読売新聞社 1979年

 説話の文体 p84〜

 「「今は昔 ー 語り伝へたるとや」という様式が、効果的に働いている説話の例をあげることはむずかしいことではないが、私の好みでいえば、妖しく魅力的な盗人説話の末尾などに、殊に感銘を深くすることが多い。

 たとえば、「西の市(いち)の蔵に入りたる盗人のものがたり」という一話ではどうであろう。
 今は昔、西の市の蔵に盗み入った盗人がそのまま蔵の中にさしこめられ、いまや検非違使に捕らえられようとするとき、盗人は意外にも秘かに上奏することがあると言い出し、検非違使の上の判官を蔵の戸口に呼び寄せる。

 何を信頼したのか、判官は盗人のたてこもる蔵の中に一人で入り、しばらく密談ののち、
「これは様(やう)あることなりけり。しばらくこの追捕行はるべからず、奏すべきことあり」と言いおいて宮中に参り、追捕取り止めの宣旨を得て帰ってくるのだ。追捕の官人が囲みを解いたのち、判官は帝のことばを伝え、盗人は号泣したが、その後たちまち行方知れずの一人となって深い闇に消えて入ったとある。
「これ誰人と知ることなし。また遂にその故を人知らざりけりとなむ。語り伝へたるとや」というのがその結文である。世にふしぎなことは語り伝えなければならない。それは、いまの解決が不能でも、どこかで明らかになることがあるからである。あるいはまた、言うに憚ることであっても、一つのふしぎとしてならいえるからである。

 この一話の中で、盗人と帝は、ふしぎな親密関係にあり、その対照を考えただけでも、この一話の不可解性は、まさに「語り伝へ」るにたる素材であったにちがいない。そしてそれは、語り残されたゆえに、妖しい王朝の暗黒の深さに、今日、重い垂鉛をおろす契機を与えてくれる。
 あるいはしかし、それは今日からの推理空間とは全くちがう現実感覚をもって、当時の人々はこの一話に感動し、それゆえに語り伝える情熱を燃やしたのであるかもしれない。もしかりに、これを誰人と知ることなし」という裏に、じつは口外できなぬ「誰人」かの顔が感じられ、「遂にその故を人知らざりけり」という背後に、かなり真をうがった憶測が可能であったとしたらどうであろうか。

 それは他のさまざまな説話についてもいえることだが、たとえば公卿出身の大盗の名もささやかれ、<袴垂>は固有名詞としてではなく、一般名詞として通用していた世の中ひとつを考えてみてもよい。」

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posted by Fukutake at 10:02| 日記