2022年05月02日

一日の反省

「論語講義(一)」 渋沢栄一 講談社学術文庫 

学而篇 第一 p35〜

 「曾子曰く、吾、日に三たび吾が身を省みる。 人のために謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、伝わりて習わざるか。

曾子曰。吾日三省吾身。爲人謀而不忠乎。與朋友交而不信乎。傳不習乎。

 曾子、自己の修身上の工夫を述べて曰く、「吾は吾自身の行いたることを、毎日毎日幾度となく回顧省察して怠らず。これは何事ぞやというに、第一、人のために事を謀りてなお十分に吾が心力を尽くさざる所はなかりしや。次に友達と交際して吾の言行に不誠実の所はなかりしや。また師より受け学びたることを捨ておきて復習せざることはなかりしや。かく常々省察して、もし忠ならず、あるいは信ならず、またあるいは習わざることありしならば、必ず矯正に努めたり」と。自ら治る工夫至れり尽くせりというべし。

 余は曾子のこの言がもっとも吾が意を得たりと思い、一日に数度吾が身を省みるというまでには参らずとも、夜間床につきたるのち、その日になしたることや、人に応接したる言説を回想し、人のために忠実に謀らねばならぬ、友人には信義を尽くさねばならぬ、また孔夫子教訓の道に違う所はなかりしやを、省察するに怠らぬつもりである。もし夜間にこれなさざりし時は、翌朝前日の行動を省察することとなせり。余が家族にもつとめてこれを行わせるようにしておりますが、今日の人にはこの心がけが少ないように見える。

 人のために忠実に謀り、友人に信義をつくし、孔夫子の仁道を行うに怠らなかったならば、人は他より怨まるることなく、農工商に実業家は必ずその家業の繁昌を見るべし。政治家は必ず人民に謳歌せらるべし。余が来訪せらるる人には、誰彼の別なくご面会申して、包まず隠さず愚見を述ぶるは、この章句をいささかなりとも身に行って見たいからである。

 さてこの章句のことを身に行えば、今後その過ち再びせぬようの気を起こし、行いを慎む上に効果を生ずるは勿論であるが、これと同時にその日その日のことが、一々記憶にの上に展開されてくるために、これを順序よく心意の裡(うち)に並列して、一目に検察することを得、深い印象が頭脳に刻まれて、自然に忘れられにようになり、記憶力を強健にする効能もまたあるのである。旁々(かたがた)以て余は曾子三省の実行を今日の青年諸君にお勧めします。」

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posted by Fukutake at 05:48| 日記

大名の旅

「日本の宿」(旅の民俗と歴史1) 宮本常一編著 八坂書房 

大名の宿 p173〜

 「大名の通路は一定しているため、宿泊する宿も一定して自然定宿のような形になる。そこで参覲交代の日がきまるとあらかじめそれぞれの泊まる宿へ通知しておく。すると本陣は請書を出し宿泊料をきめる。大名はその旅行にあたって料理人まで連れていった。
 家臣たちは本陣へとまるのではなく、本陣近くの旅籠や民家へとまることになっていたので、それらの家々も予約しておかねばならぬ。それも百人以上の者がやって来るのだからそうとうの家数を必要とする。この宿を下宿(しもやど)と言った。北陸から信濃を経て江戸にいたる道は決してよい道ではないが、その道にそうた加賀藩の参覲交代などたいへんであったと思う。二千人近い大部隊が通行しなければならなかったからである。小さい宿では泊りようがないない。今日の団体旅行にも大きなものがあるが、これだけの人数のほかに馬が加わるから更に部隊はふくれ上る。

 とにかくこのような大行列は少なかったにしても、百人から千人内外の行列が東海道は一年一四六組通行し、奥州道中は三七組、水戸道中は二三組、中仙道は三十組、日光道中は四組、甲州道中は三組が往来し、そのほか中山道には例幣使が京都から日光までの間を往来し、東海道では京都の二条城・伏見城の番衆・大坂在番勅使などが毎年通過する。さらに朝鮮信使・琉球使・オランダ使節も通る。すべて行列をつくって街道を上下する。大名や勅使の上下には下座触が先に立って「下に居れ」と言ってあるく。これはもとは自分領内に限られたものであったが、後になると他領を通るときにもおこなうものがあった。また大名が他領を通るとき、そこの大名から警護衆を出すことがある、その者たちが「下に居れ」と先触れすることがあり、これを馳走声と言った。

 このように一般民衆に勢威を示そうとすると行列はおのずから華美にならざるを得なくなる。まず牽馬がゆく。これは実に美しくかざりててている。次に金紋先箱といわれる挟箱を担いだものがゆく。これを見ればどこの大名だということはすぐわかる。次に長柄の槍がいく。挟箱も槍も重たいものだから途中で交代して持つ者がついている。次に具足櫃がつづく。これには大名の具足が入れてある。それから種子島銃をかついだ者、次が弓組、さらに伊達道具一対。これは槍の鞘を馬の毛・かもしかの毛・鳥の羽などでかざったものである。そのあとに一文字をかぶった供廻りの武士が従う。紋付を着、袴はつけないで尻端折をする。それから長柄傘をもった者、長刀を持った者たち、刀筒をかついだ者たちがつづき、大名の駕籠がゆく。次に立傘茶弁当を持った者、本当の槍をもったもの、大名の乗替用の馬、さらにその後に道中に必要ないろいろの道具を入れた長持・籠の類がしたがう。それが長々と行列をつくっていく。そして宿場など通りかかると威儀を正して槍などたててあるくが、宿をはずれるとかついでゆく。

 とにかくたいへんなことであった。」

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posted by Fukutake at 05:43| 日記