「あの世からのことづて ー私の遠野物語ー」松谷みよ子 筑摩書房
吹雪の夜ばなし p6〜
「死者が死ぬるとき、肉親や知人のもとに姿を見せた例は限るなくあるが、これは平岡崇子さんが聞いた話である。話者の中島トミさんは六十歳余りの婦人で、故あって実父と養父と二人の父を持っていた。養父と暮らすトミさんのもとへ実父危篤の報が入り、縁薄い父の枕元へ駆けつけた。
それは昭和十一年。二・二六事件の夜であったという。
ごうごうと吹雪にまじって雷までも鳴ったというその夜、トミさんが昏昏と眠る父の枕元に座って誰にともなく、
「ひどい雪ねえ」とつぶやいた。と、眠っていると思った父が同じようにつぶやいた。
「十日町もひどい吹雪だったよ」
「え」
詰めかけた肉親は顔を見合わせた。父はほっと口もとをゆるめていったのである。
「味噌漬けのお茶漬け、うまかったなあ」
「え」
また肉親は顔を見合わせた。うわごとをいっていると誰しもが思った。
同時に父は、そのまま息をひきとったのだった。
父の郷里は新潟の、それも名うての豪雪地帯である十日町であった。死の知らせの電報は打ったが、今のようにラッセル車もない、新幹線もない時代のことだから、行くにも来るにもならず葬式をすませ、やがて三月も末、納骨のためにトミさんは十日町へ帰った。
叔母のところへいって、報告した。
「叔母さん、父が亡くなりました」
すると叔母は、囲炉裏に薪をつぎたしながら、口ごもるようにいったのである。
「あのなあ、いま考えても分からないのだけれども、あの晩、二月二十六日の夜に兄さんがその囲炉裏んとこ、あんたが座っているところへ、ちゃんと座っているんだよ」
叔母は驚いて、こんな降る夜によく来たねえ、といったそうである。うん、ひどい嵐だったよ、ふぶいてなあ。東京も雪だ。そうかね、なに食べるえ、っていったら。茶漬、食べたいって。それで味噌漬出して、お茶漬、食べさせたんだよ…。
トミさんは総毛だった。
「味噌漬のお茶漬、うまかったなあ」
父の沁みいるような声を思い出したからである。」
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2022年05月17日
渋沢論語
「論語講義(一)」 渋沢栄一 講談社学術文庫
為政篇 第二 p106〜
「子貢君子を問う。子曰く、先ずその言を行い、而して後これに従う。
(子貢問君子。 子曰。先行其言而後従之。
子貢の問により、その性蔽(せいへい)の短処を警(いまし)む。蓋し子貢は孔子門中にありて言語を善くする能弁家なり。その病は、言勝って行いこれに及ばざることあり。ゆえに孔子、子貢が君子たるの道を問えるに対(こた)えていう、「民に長たるの君子は言語を重しとせず、重しとする所は道徳実行にあり、汝が平生言う所の説好からざるにあらず。しかれどもただ言うのみにては君子の道にあらず。ゆえにまず言わんと欲する所の説を実行し、しかして後にこれを言語に発すべし」と、深く子貢の病を戒められたり。子貢のみならず、よく言う者必ずしもよく行わず。これに反しよく行う者必ずしもよく言わず。前者はこれを口ほどでもなき男と称し、後者はこれを不言実行家と称す。
故大隈候のごときは雄弁家に相違なけれども、その言いたることをことごとく実行するにあらず。これに反して故山県候は口にて多く弁ぜざるも、いやしくも心に思うたことは必ず実行する人なりき。もしそれをよく言うて、よく行うは故木戸候や故伊藤候ならん。言行一致は実に難しきことなり。人はとかくあるいは口に偏しあるいは腕に偏し易きものなり。しかも今日の青年は口に偏するが多きようなり。口に訥にして行いに敏なる方がいくらかよいか知れぬ。自家広告の口舌に巧みにして、実行のこれに伴わぬ人ほど困ったものはない。口舌の人は世を益せず、自身もまた損するものである。諺にも詞(ことば)多きは品(しな)少なしといえり。青年諸君、請う心し給え。」
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詞多きは品少し。
為政篇 第二 p106〜
「子貢君子を問う。子曰く、先ずその言を行い、而して後これに従う。
(子貢問君子。 子曰。先行其言而後従之。
子貢の問により、その性蔽(せいへい)の短処を警(いまし)む。蓋し子貢は孔子門中にありて言語を善くする能弁家なり。その病は、言勝って行いこれに及ばざることあり。ゆえに孔子、子貢が君子たるの道を問えるに対(こた)えていう、「民に長たるの君子は言語を重しとせず、重しとする所は道徳実行にあり、汝が平生言う所の説好からざるにあらず。しかれどもただ言うのみにては君子の道にあらず。ゆえにまず言わんと欲する所の説を実行し、しかして後にこれを言語に発すべし」と、深く子貢の病を戒められたり。子貢のみならず、よく言う者必ずしもよく行わず。これに反しよく行う者必ずしもよく言わず。前者はこれを口ほどでもなき男と称し、後者はこれを不言実行家と称す。
故大隈候のごときは雄弁家に相違なけれども、その言いたることをことごとく実行するにあらず。これに反して故山県候は口にて多く弁ぜざるも、いやしくも心に思うたことは必ず実行する人なりき。もしそれをよく言うて、よく行うは故木戸候や故伊藤候ならん。言行一致は実に難しきことなり。人はとかくあるいは口に偏しあるいは腕に偏し易きものなり。しかも今日の青年は口に偏するが多きようなり。口に訥にして行いに敏なる方がいくらかよいか知れぬ。自家広告の口舌に巧みにして、実行のこれに伴わぬ人ほど困ったものはない。口舌の人は世を益せず、自身もまた損するものである。諺にも詞(ことば)多きは品(しな)少なしといえり。青年諸君、請う心し給え。」
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詞多きは品少し。
posted by Fukutake at 10:39| 日記
2022年05月16日
大伴旅人 酒讃歌
「新編 日本古典文学全集51」月報42 一九九七年十一月 より
菊池昌治 「万葉の酒」
「『万葉集』には宴、飲、楽宴、宴飲、集飲、酒宴、飲楽、豊の宴といった言葉が頻出し、酒や宴を詠じた歌は二百首を超えている。当時の飲酒が神不在の形で盛んに行われていたことがわかる。その代表が大伴旅人の「酒を讃(ほ)むる歌十三首」であろう。旅人は齢六十を過ぎて太宰帥(だざいのそち)として、筑紫に下るが、赴任後まもなく妻を亡くす。筑紫の地で詠まれた十三首には望郷の念や寂寥感、不遇の境地を嘆くやりきれなさが漂っている。こうした旅人の酒への対し方は、古今、酒徒の等しく持つものである。」
「万葉集一」 伊藤博訳注 角川ソフィア文庫より
「太宰帥大伴卿、酒を讃むる歌十三首(巻 第三)p199〜
「験(しるし)なきものを思はず一坏(ひとつき)の濁れる酒を飲むべくあるらし
酒の名を聖(ひじり)と負(おほ)せしいにしへの大きな聖の言の宜しさ
いにしへの七の賢しき人たちも欲りせしものは酒にあるらし
賢(さか)しみと物言ふよりは酒飲みて酔(ゑ)ひ泣きするしまさりたるらし
言はむすべ為(せ)むすべ知らず極まりて貴きものは酒にしあるらし
なかなかに人とあらずば酒壺(さかつほ)になりてしかも酒に染みなむ
あな醜賢(みにくさか)しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似む
価(あたひ)なき宝といふとも一坏の濁れる酒にあにまさめやも
夜光る玉といふとも酒飲みて心を遣るにあに及(し)かめやも
世間(よのなか)の遊びの道に楽しきは酔(ゑ)ひ泣きするにあるべかるらし
この世にし楽しくあらば来む世には虫に鳥にも我れはなりなむ
生ける者(ひと)遂(つひ)にも死ぬるものにあればこの世にある間は楽しくをあらな
黙居(もだを)りて賢しらするは酒飲みて酔(ゑ)ひ泣きするになほ及(し)かずけり」
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この世にある間は楽しく…。
菊池昌治 「万葉の酒」
「『万葉集』には宴、飲、楽宴、宴飲、集飲、酒宴、飲楽、豊の宴といった言葉が頻出し、酒や宴を詠じた歌は二百首を超えている。当時の飲酒が神不在の形で盛んに行われていたことがわかる。その代表が大伴旅人の「酒を讃(ほ)むる歌十三首」であろう。旅人は齢六十を過ぎて太宰帥(だざいのそち)として、筑紫に下るが、赴任後まもなく妻を亡くす。筑紫の地で詠まれた十三首には望郷の念や寂寥感、不遇の境地を嘆くやりきれなさが漂っている。こうした旅人の酒への対し方は、古今、酒徒の等しく持つものである。」
「万葉集一」 伊藤博訳注 角川ソフィア文庫より
「太宰帥大伴卿、酒を讃むる歌十三首(巻 第三)p199〜
「験(しるし)なきものを思はず一坏(ひとつき)の濁れる酒を飲むべくあるらし
酒の名を聖(ひじり)と負(おほ)せしいにしへの大きな聖の言の宜しさ
いにしへの七の賢しき人たちも欲りせしものは酒にあるらし
賢(さか)しみと物言ふよりは酒飲みて酔(ゑ)ひ泣きするしまさりたるらし
言はむすべ為(せ)むすべ知らず極まりて貴きものは酒にしあるらし
なかなかに人とあらずば酒壺(さかつほ)になりてしかも酒に染みなむ
あな醜賢(みにくさか)しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似む
価(あたひ)なき宝といふとも一坏の濁れる酒にあにまさめやも
夜光る玉といふとも酒飲みて心を遣るにあに及(し)かめやも
世間(よのなか)の遊びの道に楽しきは酔(ゑ)ひ泣きするにあるべかるらし
この世にし楽しくあらば来む世には虫に鳥にも我れはなりなむ
生ける者(ひと)遂(つひ)にも死ぬるものにあればこの世にある間は楽しくをあらな
黙居(もだを)りて賢しらするは酒飲みて酔(ゑ)ひ泣きするになほ及(し)かずけり」
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この世にある間は楽しく…。
posted by Fukutake at 08:28| 日記