「小林秀雄全集 第十一巻」− 近代繪畫 − 新潮社版 平成十三年
「惡魔的なもの」 p272〜
「ある時、ソクラテスはデルポイのアポロンの神殿の、有名な「汝自身を知れ」といふ銘に感じて、これを、自分の哲學の出發點とした、といふ話が、アリストテレスによつて、傳へられてゐる。事實だつたと考へてさしつかへはないであらう。ただ、神託を占ふのはソクラテスの力であつた。彼は、其處に、愚かな弱い人間どもよ、絶對に服従せよといふ命令を讀みもしなかつたし、又、己れ自身を探つてプロタゴラスの「萬物の尺度」を發見しようともしなかつた。
「パイドン」のなかに、ソクラテスの自叙傳とも言はれてゐる一節があつて、自分も若い頃には、世の所謂「自然の認識」といふものに熱中したことがあるが、やがて、さういふ探究には、「自分は不適當な、誰よりも不適當な男である事を悟つた。」と言つてゐる。凡そ在りと在るものを、對象化して、その生起と消滅との理由を合理的に説明するといふやり方に厭気がさしたと言ふのである。恐らく、彼は、謎めいたアポロンの神託に、アナクサゴラス流の理性(ヌース)に閉じ込められた世界からの出口を讀んだ。自己といふものを對象化して、合理的に觀察したり認識したりすることは出来ない。自己を知るのは自己に他ならないからだ。
しかし、この不安定な危險に滿ちた道だけが、人間に直接に經驗し得るものである。あらゆる存在は、直接には、心的な觀念として、形相として經驗される他はない。これがソクラテスの自己との對話の出發點をなす。だが、誤解してはならない。ソクラテスは、各人は各人の獨白を持つ紛糾した世界に甘んじたのではない。この世界を、萬能な理性に頼つたり、或は經驗的知識に頼つたりして、安易に始末をつけることを許すまいと決意したのである。その時、彼は、ダイモンの禁止の聲を聞いたのかも知れない。何故なら、さういふ道をとる方が正しいといふ證明は誰にもすることは出来ないのだから。
彼は、各人各説の對話劇の中心人物たらんと決意する。劇そのものを見極めようとする。何故各人の互いに違つた獨白が、集つて統一ある劇をなすか、彼は知らない。だが、その名づけ難い根底の理由とは、即ち各人の獨白を、互いに異なるものとする同じ根底の理由ではないのか。彼は、それを信ずる。そういふ信に生きることが、生きることであつて、ただ生きることでは充分でないのである。自己を語ることは容易である。自己を超えた精神と對話が始まらなければ、生きる深い理由は至れない。ソクラテスは、さういふ普遍的な對話劇を、善の或は徳の劇と呼びたかつたのである。」
(「講座現代倫理」、昭和三十三年二月)
----