「考えるヒント 2」小林秀雄 文春文庫 文藝春秋
哲学 p127〜
「…仁斎の「人ノ外ニ道ナク、道ノ外ニ人ナシ」の人とは、勿論、孔子の事である。自分が原典から直知したところによれば、孔子は、そう言いながら生きた人物であることは明白端的な事だと言うのだ。彼は、天も鬼神も死も語らなかった。「未ダ生ヲ知ラズ」と努力した人であった。
「論語」には、それだけの事がはっきり書かれ、その外に余計な事が書かれていないのなら、それを、男らしく信ずるがよいので、いったん信ずると決心した以上、学問には外に仔細はない筈である、と言うのが、仁斎学の基本であった。彼が朱子学に反対したのは、この道学には、孔子のそういう姿が埋没して了っていると見たからで、朱子学の合理主義に反対したという言い方は、今日の、合理主義という言葉の浅薄な使用を思えば、却って曖昧になる懼れがある。
この言葉を使うのなら、彼は、朱子学の合理主義が反省を欠いている事を看破したと言った方がいい。反省を止めた合理主義は、思想として薄弱である。彼は、これを、「大悟ノ下ニ奇特ナシ」と言った。朱子学は大悟している。
孔子という反省する人、考える人を失った観念で充たされている。彼は、大義大勇は、非合理的なものと考えたのではない。大義大勇も、これについて考えを止めぬ人がなければ、停滞自足して、死ぬと考えたのである。「徳ハ窮リナイモノ」であるから、窮りなく考えるを要する。出来上がった徳が貰えるものではない。考え直すから、思って新たに得るから徳は在るので、でなければ、徳というようなものは世の中にはない。仁斎の考えによれば、孔子が好学という事をしきりに強調した真義も其処にある。「性ノ善、恃ムベカラズ」とする。
先に、仁斎を、儒学での「ヒロソヒ」の開基と呼んでもよかろう、と、言ったのは、その意味だ。「士ハ賢ヲ希フ」というのは、宋学の方の言葉で、希賢はむしろ窮理の意味だが、仁斎の好学は、もっと純粋な意味での、孔子が敢えて好色に比した好学であった。従って、彼の学には、反知の主義は少しもない。必要としていない。知の力は、孔子が一と言っているように、「知ラズトスル」にある。…」
(文藝春秋 昭和三十八年一月)
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好学:疑いつづけ、考えつづける。」