2022年04月11日

死ぬ作法

「裁かれた戦争」 アラン 白井成雄訳 小沢書店 1986年

人身御供 p35〜

 「時は九月だ、今朝がたさる若い友人が、私の体験しなかった赤ズボン兵士の戦闘の有様を話してくれた。彼のそばで倒れた無二の親友の命日だった。彼の方は命は助かったが、片腕を無くしてしまった。にもかかわらず、後に飛行士になった程の人物である。二人とも勇敢だった。

「どんな戦闘だった? もちろん準備も何もなしの気狂いじみた攻撃だったのだろう?」と訊ねると、「それどころか、儀式のようなものでした」と彼は答えた。「我々は死の宴に招待されたのです。部隊は、木立に囲まれた敵の前方斜面を、しゃへい物何一つなしで、機関銃を備えた敵の塹壕に向かって走ったのです。兵員は全滅。将軍は攻撃再開のために援軍を要請しました。彼は三日間攻撃を繰り返しました。誰も立派に死ぬことしか考えませんでした。」私はうつ伏せに倒れ、窮屈で重い派手な晴着を着て、背のうが頭にかぶさっている死体を思い浮かべるのであった。これが開戦当初の突撃について私の知る一切である。これは決して些細なことではない。私はそれを忘れる気になれないし、他の人々も忘れて欲しくない。

 しかし、私の意図は怒りをかき立てる点にはない。たとえ将軍といえども、経験を積まなければ戦争の現実は解るまい。私が記憶に留めておきたいのは、この純粋な生贄の作法それ自体である。高度な政治的観念、あるいは純粋に防衛上の観点から、いろいろと理屈はつけられようが、多くの場合、兵士はおそらくそれとは別の、もっと強力な動機を心の奥に抱いているのだ。それはすなわち、皆の前で堂々と死ねる証しをたてることである。そして、個人の名誉、家族の名誉、国家の名誉が一致してこの証しを要求するのだから、兵士は反論の余地なくその証しをたてることだけを目的として、全力を尽くすのだ。だから、不名誉な真似はすまいという覚悟の前では、勝利への意志や希望さえも影が薄くなる。凛々しさと勇気を示すには、この無益な戦に身を投じるだけで十分である。そして試練の大きさこそが死に急ぎを説明してくれる。こうした諸原因を十分検討しなければならない。

 そして、これらの恐るべき原因が二度と働き出さないようにするのは、今次大戦で大量の血を流した責任を未だとっていない年寄り連の役目だと思う。私はこれからも繰り返し、戦争の奥深い原因は、ほとんどが崇高とさえいえる、さまざまな情念の内にあると述べるだろう。国家の名誉は装填された小銃のようなものだ。利害の対立は戦争のきっかけとなる。しかしそれは戦争の原因ではない。だから、人々の生きざまや判断、最終的には自分自身の判断を振返って問題にしてみるがよい。自分の下す判断については、死者にも生者にも責任を持つべきである。」

(第一次大戦開戦当初、フランス軍歩兵は赤ズボンを着用していた。ほどなく青ズボンに替えられた。)

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戦いの場面では、「皆の前で堂々と死ねる証しをたてる」ことが重大な役目。

posted by Fukutake at 08:16| 日記