2022年04月09日

家計の鬼

「だれがコロンブスを発見したか ーバックウォルド傑作選(1)ー」 アート・バックウォルド 永井淳・訳 文藝春秋 1980年

 家事疲労症 p217〜

 「多くの夫は気がついていないが、妻たちは「家事疲労症」にかかっている。これは第二次大戦中の戦争疲労に似た状態だが、見分けるのはもっと難しい。わたしの場合も、講演予定地のシンシナティへ妻を一緒に連れて行く決心をしなかったら、彼女がこの病気にやられていることに気がつかなかっただろう。旅行の準備をしているときの彼女はきわめて正常で、数日間家からはなれられるのでむしろはしゃいでいるようにさえ見えた。しかし、空港に到着すると同時に、わたしは彼女の振舞いに異常を認めた。
 わたしが航空券の代金を払うときに、彼女がカウンターのなかの男にいった。「ちょっと待って。グリーン・スタンプはどこにあるの?」
「奥さん。わが社ではお客さまにクリーン・スタンプを差しあげていないんですが」
「あらそうなの? それじゃグリーン・スタンプをくれる会社の飛行機に乗ることにするわ」
「おいおい」とわたしはいった。「どこの航空会社だってグリーン・スタンプなんかくれないし、おまけにシンシナティ行きはこの会社しかないんだよ」

 わたしはどうにか妻を宥め、飛行機に乗りこむまでもうそのことを忘れていた。彼女が最初にやったのは、座席の埃を払うことだった。
「ねえきみ、そんなことする必要はないんだよ」
「だってご近所の人たちになんて汚い飛行機だろうなんて思われたくないわ」
「しかし、そういう仕事は航空会社にまかせておけばいい。さあ、窓ぎわの席に坐ってベルトをしめなさい」
 わたしは妻を坐らせて、雑誌を渡した。離陸と同時に彼女が腰をあげた。「お昼の支度をしなくちゃ」
「お昼の支度はスチュアデスがやってくれるよ。きみはなにもしなくていい」
「でも、冷凍庫からお肉を出しておかなくちゃ」
「いやいや。そんなことはみな航空会社も人がやってくれる。きみは休暇中なんだ。もっとゆっくりしてなさい」

 彼女は数分間じっとしていたが、やがてスチュアデスの一人が通路にコーヒーをこぼした。すると妻はとびあがっていった。「心配しなくていいのよ」そして化粧品入れからミスター・クリーンの容器を取りだし、四つん這いになってしみ抜きに取りかかった。
「これでいいわ」と、彼女は十五分後にいった。「ミスター・クリーンは万能よ」
 乗客は全員当惑して目をそらした。
 やがて妻は後部へ行ってスチュアデスの皿洗いを手伝う決心をした。シンシナティに着くまでに、彼女は窓という窓を拭き、灰皿を洗い、ナプキンを洗濯し。バーのカーテンを取りかえていた。
 しかし家を留守にした二日間は彼女に奇跡をもたらした。二十四時間は子供たちをどなりつけることもなく、家事疲労症はほぼ全快したかに見えた。わずか二日間しか家をあけられなかったことが残念でならない。」

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母親を思い出します。




posted by Fukutake at 07:36| 日記