「青年と学問」 柳田國男 著 岩波文庫
民俗学と社会学 p242〜
「日本はすでに社会学の盛んな国であり、またこういう問題を社会学で取り扱うている先例はある。だからべつに新なる学問として功能を述べ立てるも無益のようであるが、自分らの実験を遠慮なくいうと、わが邦の社会学者は親切なことは確かだが、非常に上品な親切しか持っていない。よい材料があるなら持ってお出で、見て遣ろうと言われる。本に書いて御覧、読んで遣ってもよいと仰せられる。ところが不幸にして国の文化史の資料などは、小学生徒のごとく従順でない。先生の室の戸を叩いて、御註文の品を持参しようとはしない。やはりこちらからある場処に臨んで、関係者とともどもに考えかつ感ずることをもって職分とするところの、フォクロリストを必要とする所以である。講壇の社会学がいかに活躍しても、なおその中間に一つの民俗学という商売が、薄元手をもって取り続きうる余地があるのである。
私などはいつもよそ心で、碌々身にしみて本も読まず、旅をしても確かな故老とも話をする折を得なかったが、それでも永い年月の間には意外な実験なども少しずつあって、すくなくともこの方面の学問が、どのくらい奥が深いかわからぬということだけはわかっている。それを手柄とは考えぬまでも、幸福なことだとは思って居る。他のいずれの科目について比べても、これほど未開の沃野のひろびろと残っている学問は一つもない。また我々が日本人に生まれたことを仕合せとすべき学問は、そう幾らでもあるわけでない。独り大切なる人間生育の法則発見についてのみは、日本が幸いに一通り片づいたとすれば、隣には支那がありマライとインドとの、三世に亙った大問題がある。その間に点綴(てんてつ)して、南アジアの曠漠の山地には、衣食の主要なる点において我々と若干の類似を有するシヤンが住みカーレンがおり、その他ミヤオとかリーとかローローとか、名前さえ列記しえないほどの色々の種族がいる。
顧みて南に海の路の跡なきものを辿るならば、台湾呂宋から先々の島の人、ことにミクロネシアの若き弟たち、そのまた隣のメラネシア・パプアの見分けがたい沢山の種類が、いずれも日本の学問が明るくなるならば、少しは自分たちのどうして貧しくまた哀れであるかの、隠れた原因が知れるであろうかと、待っているらしき様子が見える。人がかりに武内宿禰等ほど活きられるとしても、仕事が尽きて手持ち無沙汰になる気づかいはまずないのである。その宏大なる道の山口まで、今我々は辿り着いたのである。声高く笑い興じつつこの学問の峠の麓に差しかかったところである。別の語でいえば早朝の花やかな欣ばしさである。少しは意気揚々として、こういうお話がしてみたくなるのも、尤もなことだと、認められんことを希望する次第である。」(一九二六年 講演より)
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民俗学は実践