「漱石の漢詩」 和田利男 文春学藝ライブラリー 2016年
漱石漢詩と則天去私 p68〜
「「則天去私」という四文字は現に漱石の真蹟が残っているが、その内容を説きあかした文章は、漱石自身のものとしては何もない。残っていないのではなく、初めからないのである。ただ、漱石の口から直接聞いたという話の概要が、松岡譲氏の「宗教的問答」(『漱石先生』所収)という文章に伝えられているに過ぎない。多くの論者が「則天去私」を問題とする場合、みな松岡氏の所伝を手がかりとして考察を進めるのが常である。私もまずその要点を紹介しておきたい。
それは大正五年(漱石の没年)の十一月初め、漱石山房における木曜会の席上のことだったという。世間話や文学談から、やがて宗教的な話題に入った。その夜の出席者は松岡氏のほかに芥川龍之介、久米正雄と大学生一人だけ、いつになく少なかった。若い彼らの質問に主人が答えるという形で対話が行われたようである。その模様があたかも速記でも取ったかのように記述されている。「信」ということに話題が及んだ時、漱石は次のようなことを言って彼らを驚かせた。
あるものをあるがままに見る。それが信といふものではあるまいか。例へば今ここで、その唐紙をひらいて、お父様おやすみなさいといつて娘が顔を出すとする。ひよいと顔を見ると、どうしたのか朝見た時と違って、娘が無残めつかちになつて居たとする。年頃の娘が親の知らぬ間にめつかちになつた。これは世間のどんな親にとつても大事件だ。普通なら泣き喚いたり腰を抜かしたりして大騒動をするだろう。しかし今の僕なら、多分、ああ、さうかといつて、それを平静に眺める事が出来るだらうと思ふ。
若者たちは異口同音に、「そりや、先生、残酷ぢやありませんか。」と言う。すると主人は、「凡そ真理といふものはみんな残酷なものだよ。」と静かに答えてあとを続ける。以下、原文のまま紹介することにしたい。
「一体人間といふものは、相当修行をつめば、精神的にその辺到達することはどうやら出来るが、しかし肉体の法則が中々精神的の悟りの全部を容易に実現してくれない。頭の中では死を克服出来たと信じて居ても、やつぱり其場になつたら死ぬのはいやだらうよ。それは人間の本能の力なんだね。」
−−−−すると悟りといふのは、その本能の力を打ち敗かすことですか。と誰かが尋ねた。
「さうではあるまい。それに順つて、それを自在にコントロールする事だらうな。そこにつまり修行がいるんだね、さういう事といふものは、一見逃避的に見えるものだが、其実人生に於ける一番高い態度だらうと思ふ。」…」
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そういった境地が、「則天去私」