2022年04月28日

男は変わる

「肉体百科」 群ようこ 文春文庫

美形 p30〜

 「学生時代、一学年上に Oという名前のとてつもなくハンサムな先輩がいた。背が高くて勉強がよくできてスポーツも万能。彼が歩くと、まるでハーメルンの笛吹き男のあとを追うねずみのように、女の子がぞろぞろとくっついていた。彼女たちの目は一様にうっとりとしていて、他の男の子たちには目をくれようとはしなかった。なかには自分はまるで雌牛のような体格のくせに、
「あんたたちとOさんが同じ男だなんて、信じられないわ」などと暴言を吐く子もいた。そういっちゃ他の男の子に悪いけど、たしかにそういいたくなるほど、彼の顔面は超ド級のすごさだったのである。
 色黒で大砲の玉みたいな顔だちの女の先輩は彼の姿を見ると甘えた声で、
「Oくーん、ねえ、まってえ」といいながら、ぶっとい腰をくねくねさせて彼の後を追いかけていった。私たちは彼女がその声を発したとたんに、Oさんの歩く速度が急に速まるのを知っていたので、美少年のあとを腰をくねらせながら追いかける大砲の玉の姿を、陰で笑いながら見ていたこともあった。
 
  Oさんが卒業するときは、ほとんどの女の子が泣いた。彼は山のようなお別れのプレゼントをもらって、他の男の子の反感をかっていた。大砲の玉も目を真っ赤にしながら、Oさんのまわりをぐるぐるまわっていた。彼が卒業してしまうと、私たちの登校する第一目的がなくなってしまい、胸にぽっかりと穴があいたようだった。同じクラスの男の子、二十二人をもってしても、彼ひとりの魅力はかなわなかったのである。彼が女の子とつきあうとうことを想像するだけでも、いてもたってもいられなかった。女性ではなく男に走ってくれたほうがマシだった。

 それから十年ほどたって、私は電車のなかで、背の高いひとりの男性に目がとまった。じっと見ていると彼がこちらをふりむいた。ぱっちりした二重の目、すっとのびた鼻、形のいい口もと、それは紛れもなくOさんであった。
「あっ、こんなところで……」となつかしくなったとたん、私は愕然とした。まだ二十代のなかばだというのに彼は頭にはほとんど毛がなかったからだ。これで袈裟でも着ていたら、気高いお坊さんに見えたのだろうに、背広姿のせいで妙な違和感があった。淋しい頭の下にある顔は昔のままだったが、かつては女の子の視線を一身に受けて、輝くばかりだったのに、電車のなかの彼は、やや猫背気味でどことなくおどおどしているのが私には悲しかった。

 そのすぐあと、当時のクラス会があった。Oさんのせいで女の子たちに鼻もひっかけてもらえなかった彼らは、自信を漂わせ、元気溌剌としていた。私は昔の面影がまだ残っている彼らの姿を眺めながら、神様って公平だなと思ったのだった。」

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男子三日会わざれば刮目して見よ。
posted by Fukutake at 07:13| 日記

2022年04月27日

少年ドストエフスキー

「新訂 小林秀雄全集 第六巻 − ドストエフスキイの作品−」 新潮社 

 「罪と罰」についてU より p257〜

 「ドストエフスキイが兄に宛てた手紙の一節 −−

「確かに僕は怠け者だ、非常に怠け者です。しかし、人生に對して、ひどく怠けた態度をとる他に、どうも僕には道がないとすれば、どうしたらよいか。幾時になつたら、この僕の暗い心持ちがなくなるか見當がつきません。思ふに、かういふ心の状態は、人間だけに振り向けられたものだ。天上のものと地上のものとが混じり合つて、人間の魂の雰圍氣が出来上つてゐる。人間とは、何んと不自然に創られた子供だろう。精神界の法則といふものが、滅茶滅茶になつてゐるからです。

 この世は、罪深い思想によつて損はれた天上の魂達の煉獄の様に、僕には思はれます。この世は、途轍もない或る否定的なものと化し、高貴なもの、美しいもの、清らかなもの悉くが一つの當てこすりとなつて了った様な氣がします。ところで、かういふ繪のなかに、一人の人間、繪全體の内容にも與らぬ、一と口に言へば、全くの異邦人が現れたとしたら、どういふ事になるでせう。繪は臺無しになり、無くなつて了ふでせう。だが、全世界が、その下で呻いてゐるお粗末な外皮は見えてゐるのだし、この覆ひを破り、永遠と一體となるには、意志を振ひ起こせばよいとは解つてゐる。解つてゐる、解っつてゐて、凡そ生き物のうちで一番やくざ者の爲體で、かうしてゐるのだ。これは堪らぬ事です。

 人間はなんと意氣地のないものか。ハムレット、ハムレット。彼の荒々しい、嵐の様な話を思ふと、足腰立たぬ全世界の歎きが聞えて来る様で、もう僕の胸は、悲し氣な不平にも非難にも騒がぬ。僕の心はいよいよ苦しくなり、僕は知らぬ振りをする。でないと心が毀れて了ひさうです。パスカルは言つた。哲學に反抗するものは自身が哲學者だ、と。傷ましい考へ方です。 −− 僕には新しい計畫が一つあります。發狂する事です。いづれ人間どもは、氣が變になつてみたり、正氣に返つてみたりする、それで構わぬ。貴方が、ホフマンを皆讀んだのなら、アルバンといふ人間を憶えているでせう。あれをどう思ひますか。自分の力の裡に、或る不可解なものを持ち、これをどう扱つていいか知らず、神といふ玩具と戯れてゐる男、さういふ人間に眼を据ゑてゐるのは恐ろしい事です」  (一八三八年八月九日、ミハイル宛)

 一八三八年と言へば、ドストエフスキイ十七歳の時であるが、誰がこれを少年の日の氣まぐれと讀もうか。非凡な藝術家が、自己の仕事の本質的な方法を豫感するのは、屢々驚くほど早いものである。」

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早熟のドストエフスキイ。
posted by Fukutake at 10:43| 日記

2022年04月26日

オタンチン…

「漱石覚え書」 柴田宵曲  小出昌洋編 中央文庫

 p42〜
 オタンチンパレオロガス
「「吾輩は猫である」の中に出て来る「オタンチンパレオロガス」という言葉は、東羅馬の皇帝コンスタンチン・パリオゴロのもじりだという話である。この名前ならば昔巌谷小波の「世界お伽噺」でお馴染のもの(「王城乗取」「池の焼鮒」)であったが、オタンチンパレオロガスという言葉に逢著した時は、直にそれと結び付かなかった。尤もオタンチンという言葉は江戸の洒落本にある。それを東羅馬の皇帝の名に利かせたのが、漱石らしい洒落であろう。

p43〜
恵比寿
 漱石の「二百十日」には「ビールはござりませんばつてん、ヱビスならござります」という下女が出て来る。「二百十日」が「中央公論」に発表されたのは明治三十九年十月だが、この事実は漱石の熊本在住時代まで遡るべきえびであろう。鴎外が小倉在住時代の事を書いた「二人の女」を読むと、F君は机の向こう側に夷麦酒の空箱を竪に据えて本箱にしている。明治時代に於けるビールの分布状態は知らぬけれど、文学に現れたエビスビールは捜せばまだまだ出て来るに相違ない。

 山手線の恵比寿という駅は、附近にあるエビスビールの工場によって名付けられたものだが、この駅名が発表された当時、大町桂月などは「恵比寿は思ひ切つたる名前也」と一驚したことがある。爾来五十年、駅名は旧によって変わらぬ間に、エビスビールは日本ビールに改名してしまった。もう暫くしたら、駅は何故恵比寿と称するか、わからなくなるであろう。或は逆に恵比寿にあるからエビスビールと名付けたのだ、というような考証が生まれないとも限らぬ。」

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「三越前」も現今日付けるなら論議を呼びそうな駅名。
posted by Fukutake at 09:48| 日記