2022年04月30日

人間の存在価値と意味

「哲学からの考察」 田中美知太郎 著 岩波書店 1987年

生命と生命以上のもの p12〜

 「人間中心の目的論、すなわち人間が存在の究極目的であり、人間によってすべての存在は意味をあたえられるということは、人間の側から言うと、事実そのとおりのようにも思われるだろう。しかし人間自身は何のために生まれて来たのか、人生に何の意味があるのか、すぐには分からず、あるいは迷い、あるいは絶望したくなっているのに、どうして全存在に意味をあたえ、他の存在をすべて自分のためにあるというようにすることができるのか、よく考えてみると怪しいことになるだろう。
 むしろわれわれは八方から制約され、外部の圧倒的な力の下に閉塞されていると考えたスピノザの認識の方が正しいかも知れないのである。あらゆる存在と価値の源泉を一般的な人間に求めるというようなことは、無理だと言わなければならない。むしろ目的なり意味なりの重心を存在の側にうつし、わたしたちはただそれを認識することができて、言わば神の眼で存在を見ることにあずかることができさえすれば、それをわれわれ自身の救いであり、自由であるとしなければならないのかも知れない。それはスピノザの流儀でもあるが、またベルグソンを超えてプロティノスにいたる途でもあるだろう。つまり存在と価値の源泉であり、一切の存在の目的となるものは、人間を超えた他者にあり、われわれもまた他の存在と共に、これにあずかり、これに帰一することによってのみ、自己の存在意味を獲得するのであるとすることである。
 むかしから使われている言葉を用いれば、神というものに一切をあずけることでもある。プラトンはプロタゴラスに反対して、人間が誰でも万物の尺度となるのではなくて、知識ある人間だけが尺度になるのだと言い、更に、「神こそが万物の尺度である」と言ったが、つまりは存在価値の源泉は人間を超越したところにあるということであろう。

 古代の目的論と近代の目的論との大きな相違は、近代のそれが人間中心であり、いかにも擬人的であるのに対して、プラトンやアリストテレスの目的論は、存在そのもののうちに完成と目的を求め、人間を万物の目的などにはしなかったことにあるのではないかと思う。人間はそれ自身が目的なのではなくて、やはり他の目的の下にある存在となるのである。つまり全存在について、あるいは生物進化のようなものだけに限って考えるとしても、そこには存在と価値との差別と階層、あるいは段階があることを認め、その尺度や目的となるものが別にあることを認めるのだけれども、しかしその目的や尺度をただちに人間とはしないような、そういう目的論が可能であり、それがプラトンやアリストテレスの目的論であったということである。
 そしてその目的なり源泉なりを神とするとしても、それは必ずしもキリスト教神学の神に結びつく必要はなく、あるいはプロティノスなどの新プラトン派の哲学と考えてもよく、場合によってはもっと別に考えても良いことになるだろう。」

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posted by Fukutake at 08:24| 日記

長寿

「小さな悪魔の背中の窪み ー血液型・病気・恋愛の真実ー」 竹内久美子 新潮文庫

 長生きする人 p159〜

 「(作家は長生きが多くないようだ、しかし)井伏鱒二氏(一九九三年七月十日没、九五歳)の長寿などは貴重な一例だと思っていたが、よくよく考えて調べてみると、どうもそういうことではないことがわかってしまった。氏は元々、画家志望だったのである。
 広島県の中学(旧制)を卒業した井伏氏は、画家になるべく日本画家の橋本関雪の門を叩いている。だが、入門を許されず、やむなく早稲田大学の予科へ入学、同大学文学部へ進み、文学を志した。「山椒魚」の原型となった「幽閉」を書いたのはこの時期である。それでも画業への望みは捨て難く、文筆活動の傍ら美術学校へ通った。文筆が忙しくなるにつれ、しばらくは絵を忘れていたが、還暦を迎える少し前に虫垂炎で入院した。このとき「自分の一番やりたいことは、絵を描くことだった」と改めて気づき、再び画塾へ通い始めたのである。六十の手習いとも言える訳だが、この画塾通いは六年間も続いたという。世間で認められたのが文筆家としてであり、画家としてではなかった。それが井伏鱒二という人の本質のようである(そういえば同じく長生きの武者小路実篤氏も、色紙などに簡単な絵を多数残しておられる)。

 画家と生物学者の共通項は何だろう。それは、子どもに特徴的な性質を大人になってもまだ持ち続けているということではないだろうか。人にはお絵描きに夢中になったり、壁や床にまで落書きをして親を困らせる時期がある。ところがたいていの人はその楽しみをいつしか忘れ、面倒臭いとか服が汚れるから嫌だなどと感じ始めるのである。画家や生物学者というのは、いつまでもその楽しみを忘れない人々、大多数の人間に比べ非常にゆっくりとした展開で大人になっていく人々と言えるのではないだろうか。彼らの長生きの秘密はそのあたりにあるような気がするのである。

 しかしそうはいうものの人間は、それ自体が既に長生きの動物なのである。動物界全体を見渡してみても、これほどの長寿は珍しい。デズモンド・モリスは『年齢の本』(日高敏高監訳、平凡社、ちなみに私も翻訳の作業に関わっている)という面白い趣向の本の中で、人間についての話題とともに動物の長寿記録というものを載せている。その中で人間の最長寿者(泉千代氏。本が書かれた当時まだ存命で一一八歳だった。氏は百二十歳で死去)に勝ったのは一五二歳+αのカメだけである。(αはそのカメが捕らえられた時の年齢が不明であったため)。類人猿についてみてみると、アメリカのフィラデルフィア動物園で飼われていたオラウータン、グアスの五九歳という記録が最高である。類人猿は野生の状態では五〇歳くらいが上限であると思われる。

 類人猿と比べ、いったい人間はどのような理由で寿命を延ばしてきたのであろう。

 ネオテニー(幼形成熟)という言葉をご存知だろうか。平たく言えば、子どもらしさを残しながら大人になるということである。そのネオテニーが人間では驚くほど強力に起きている。類人猿などと比較してみると、それは非常によく理解される。特徴は、毛深くない、アゴが小さい、頭が大きくて丸い、肌がきめ細か、頭髪がしなやか。しばしば泣く、強情、我儘、人見知りをする(シャイ)、内気、好奇心旺盛、想像力豊か、空想の世界に遊ぶ(放心癖、うわの空)、思考が柔軟である…。その結果、子ども時代が長く、静的成熟までの期間が長いということになる。多分その長さが寿命という人生全体の長さをも引き延ばしていると考えられるのである。」

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posted by Fukutake at 08:18| 日記

2022年04月29日

知らせ

「現代民話考 5」 松谷みよ子 ちくま文庫 2003年

死の知らせ p201〜

 「山形県東置賜郡。小佐家の今井五ヱ門さんの貞助さん、夜おそく帰宅して寝ようとしたら、茶の間から上段の方へ白装束した一人の女が行く様子、今頃あまりの不思議さに、妻の名を呼んだら寝床でお父さまかという、また子どもの名を呼んだが、これにも返事があった。そのうち、その白装束の女は上段から窓のところへ行ってかき消えた。そして仏前のキンの音は二度ばかり鳴った。人の気配は上段へ行ったはず、またキンの音、かさねがさねの不思議さにたまらなくなり寝床にもぐり込んだ。すると「今晩は、今晩は」という人の音、起きてみれば親類の某という女の死んだ知らせだった。

 東京都練馬区東大泉。昭和五十六年。隣家のおばあちゃんが病気で入院されていた。亡くなる二、三日前、私の家の仏壇のリンが鳴り、「あれっ」と思っていたら、丁度その頃、おばあちゃんが昏睡状態になった時だったようだ。お別れに来たのでしょうか。

 滋賀県近江八幡市。昭和三十九年か四十年の七月末頃のこと、母が昼頃、庭の草むしりをしていて、仏壇のリンが鳴ったのを聞いたのです。今頃誰もいないはずと、手を止めわざわざ見に行ったのですが、誰もいなかったそうです。それから四、五日して広島県の尾道にいる父の弟さんが亡くなられた知らせが入りました。やはり魂は親元に帰るというのは本当なんでしょうか。

 昭和十六年か十七年のことであるが、夜中にふと気がつくと、ちょうどひもでもつけて戸をひっぱってでもいるように、カラカラッ、カラカラッと音がした。
 ふつうの客なら、声をかけガラッと表戸をあけるものだが、その時はまったく違う音だったので、おきてみると、こんどはたたみの上を帯でも引きずってゆくように、スルスルッ、スルスルっという音がした。
 はてな、と思った時、奥の仏だんの鉦がカンカンカンと三度鳴ったので、身体中がジョジョっとなった。その時、今来たのはじさまだとわかった。
 やがてこんどは、シュルシュルとまた、たたみの上を帯を引きずるような音がしたかと思うと、こんどはスタスタと大急ぎであるく音がきこえ、下の墓の方角にむかって遠のいて行った。その足音は、ぞうりの音ではなくて、ちょうどうちわで地面をあおぐような音だった。
 お盆の最中で、畑中岩美のひこばばの弟の畑中八十助じさまが、八十三歳で死ぬ前に岩美宅に寄ったタマシだったという。」

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posted by Fukutake at 10:55| 日記