「中国人物列伝」冨谷至・木田知生編 恒星出版 2002年
「孫子の兵法」湯浅邦弘 p79〜
「孫武・孫臏の兵法は、巧みな用兵術という点に共通の特色があるといえそうである。それでは、この孫子の兵法を伝えるとされてきた『孫子』や、銀雀山漢墓から出土した『孫子兵法』『孫臏兵法』の内容は、これらの伝承と合致するのでああろうか。
これまで長く『孫子』の兵法と呼ばれてきたのは、十三篇からなる『孫子』である。この『孫子』に思想の根幹は、おおむね次の三つの主張に集約されるであろう。
兵とは国の大事なり、死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり、(計篇)まずこれは「兵(戦争)」とは何かという基本認識を示したものである。ここでは、戦争が国家の「存亡」や人の「死生」に直結する最重要事であるとされている。そこで前提とされている戦争は、一度会戦で雌雄を決し、講和の締結によって終結するという比較的小規模な戦争ではない。この言は、敗北がそのまま国家の滅亡を意味するような大規模な戦争を前提としているであろう。
兵とは詭道なり。故に能にして之に不能を示し、用にして之に不用を示し、…其の無備を攻め、其の不意に出づ。(同)
次にこれは、戦争の基本的性格を「詭道(いつわりの方法)」と規定するものである。こうした戦争認識は、佯北、伏兵、餌兵、挟撃、側面作戦など多彩な戦術と密接な関係にある。また国家間の連合や駆け引きなどが通常化した世相を背景としているであろう。「佯北の計」によって魏軍を撃破した孫臏の故事は、まさに詭道の典型であった。また、詭道を成功させるには、情報の収集と分析が不可欠である。『孫子』にも『孫臏兵法』にも、「用間(スパイの活用)」に関する論があるのは、このためである。
さらに、この軌道に関連して、「謀攻(謀略による攻撃)」を重視する思考が見える。
夫れ用兵の法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るは之に次ぐ。…是の故に百戦百勝は善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。故に上兵は謀を伐ち、其の次は交を伐ち、其の次は兵を伐ち、其の下は城を攻む。(謀攻篇)
用兵の目的は「国」と「軍」を「全うする」ことにある。将軍の面子や美学のために、国や軍を滅ぼしてはならない。だから、直接的な軍事力の行使はできるだけ避け、攻略・戦略の段階で「戦わずして」真の勝利を得よというのである。逆に、多くの兵力を投入し、長期消耗戦とならざるをえない戦い、特に城攻めは「下」策とされている。「百戦百勝」が最善ではないとされるのも連戦が勝敗のいかんにかかわらず国力の消耗を招くからである。」
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干戈を交える前に勝つ奇策を考えろ。国を破るは次善の策。