「小林秀雄全集 第十一巻」− 近代繪畫 − 新潮社版 平成十三年
近代繪畫 ゴッホ p363〜
「ゴッホの書簡集を初めて讀んだ時、漠然とゴッホといふ衝動的な畫家を考へてゐた私を、一番驚かせたのは、彼の批判力の細かさと鋭さとであつた。發狂も、この力を鈍らす事は出来なかつた。と言つただけでは足りない。發狂は却つて、この力を異常に冴え渡つた病識となし、彼の生存を支えるに至つた事は、前に述べた通りである。セザンヌは制作の中心觀念を「感覺」と呼んだが、ゴッホの強い主觀にあつては、さういふものは、寧ろ「感情」とか「情熱」とか呼ばれるべきものだつたであらうが、彼も亦セザンヌの様に、さういふものの實現は、自然と相談づくでなければ不可能である事を、頑強に信じ續けたのである。
併し、ゴッホには、セザンヌの忍耐も時間も缺けてゐた。自然から出發すべきか、自分のパレットから出發すべきか、といふ問題は、技法の上では、デッサンと色彩との、鋭く對立する矛盾となつて、この短命を豫感した性急な畫家には、現れた様である。麥の黄金色に、彼の心が、いよいよ高鳴れば、埃にまみれ、色褪せた、取るに足らぬ雑草の線が、彼の葦ペンを否應なく惹きつける。ゴッホといふ人間を、恐らく最もよく理解していた弟のテオは、兄を評して「彼は彼自身の敵であつた」と言つてゐる。「まるで彼のなかには二人の人間が棲んでゐる様だ。優しい細かい心を持つた人と利己的な頑固な人と。二人は交る交る顔を見せる」とテオの言ふ通り、結末は一人が一人を殺す事に終わつたのである。
テオは、ゴッホの畫家としても天才を、最も早くから確信してゐた人だ。では、ゴッホの天才とは、傑作とは何か。やはりこれは別人のものではない。獨白の様式に達したゴッホの繪は、奔放な色彩だけで出来てゐるのではない。色とデッサンとの格闘によるのである。彼の傑作を眺めてゐると、彼の明察は、両者の矛盾による緊張を希つてゐたといふ風にさへ思はれて来る。絲杉の緑と黒とは、デッサンに絡みつかれて、身を捩ぢりながら、果てしない天に向ふ様だ。色は畫面の到るところで線に捕へられ、苦し氣に、圓や弧や螺旋や渦巻きのアラベスクを作る。彼は言ふ。「僕は、いつも自然を食べて、待つてゐる。誇張してみる事もあるし、モチフを變へてみる事もある。
併し、結局、繪全體を發明して了ふといふ事は決してない。それどころか、繪は、自然の中で、縺れが解けて、自ら出来上つて現れて来る」。縺れが解けるとはどういふ事か。自然との戰ひに終りはない事を、彼はよく知つてゐた。もし彼の仕事に成功があつたとしたら、恐らくそれは彼の探究や努力と區別する事の出来ぬものだつたであらう。私の眼の前に、自ら現れて来るアラベスクの縺れは、解ける機を決して知らない様である。それは複雑で、謎めいてゐて、そのまま抗し難い効果で輝く。その奏でる強いリズムは、鳴り止まず、私は、もう何を聞いてゐるのかわからない。影も遠近も雰圍氣もない、この平坦な色の渦巻きには、底のない不思議な奥行きが感じられ、見る人は其處に落ちる。
かつて、ゴッホについて書いた動機となつたものは、彼が自殺直前に描いた麥畠の繪の複製を見た時の大きな衝撃であつた。…これは、もう繪ではない、彼は表現してゐるといふより寧ろ破壊してゐる。この繪には、署名なぞないのだ。その代わり、カンヴァスの裏側には、「繪の中で、僕の理性は半ば崩壊した」という當時の手紙の文句が記されてゐるだろう。彼は、未だ崩壊しない半分の理性をふるつて自殺した。だが、この繪が、既に自殺行爲そのものではあるまいか。」
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ゴッホは彼自身の敵であった。