卑弥呼は神功皇后

「宮�ｱ市定全集　２１　日本古代」　宮�ｱ市定　岩波書店　１９９３年

ヤマトと邪馬台　p２６７〜

　「大和朝廷の勢力が橿原附近の本拠から北上、奈良平野一帯に拡張するに従い、ヤマトなる名も現在の大和一円を蔽うようになったのは自然である。この名を聞き伝えた中国人は。これを邪馬台、邪靡堆などの文字をもって移写した。もっともこの漢字はヤマトなる日本音を移すに不適当だという議論もある。しかももともと中国の古代の史書の記述は甚だルースなものであり。別に深く日本語の性質を研究した上ではなく、単に印象によって書写したに過ぎない。この時代の中国人の厳密なるトランスクリプションの原則を求めるのは、そもそも無理な注文ではあるまいか。
　邪馬の二字が、ヤマトの音を書写したとする点までは、何人も反対せぬであろう。問題は台、または堆が果たして、トなる音を写し得るか否かにあるであろう。
　私は現今の国語学者の研究がどのような結論に達しているか知らないが、どうも日本語というものは、語尾をはっきりと発音しない性質があるのではないかと思っている。例えばアリマス、と言うときに最後のスをSUとはっきり発音することは極めて稀で、大ていはSだけである。

　単語の場合においても、例えば野菜のトマトを、文字通りに英語のtomatoのように発音することは案外少なくて、むしろ仏語のtomatoeのように発音する方が多いのではあるまいか。もちろんこれはアクセントをどこにおくかによって異なってくるが、日本語においてはまだアクセントの法則が確立していないように見受けられる。
　ヤマトを発音する場合も全く同様である。最後のトがt しか響かぬとすれば、外国音を移すには極めて不便な漢字をもってする場合、台であろうが、堆であろうが、t の子音さえ合えばそれ以上は問わぬでもよいと思われる。私はこのような理由で、邪馬台も邪靡堆も等しくヤマトなる日本語を書写したものと考えたい。
　邪馬台問題は必然的に、卑弥呼問題と関連する。私はこれもやはり神功皇后と一致せしむべきものと考える。神功皇后は『古事記』に、

　　オキナガタラシヒメノノミコト

と記されているが、私は卑弥呼、すなわちヒミコは、ヒメノミコトの省約とする説がよいと思う。これも単に機械的な省約ではなく、アクセントのおかれた
ヒメのヒ とミコトのミ だけが採用されて、ヒミコなる三字が残ったものとして説明がつく。

　もっともヒメノミコトなる名は神功皇后と不可分の関係にあった武内宿禰（タケシウチノスクネ）らしい人物が、「魏志」倭人伝に登場する、それは卑弥呼女王の使者として、載斯烏越が、帯方郡に派遣されたとある記事である。載は戴の訛とせる説に従えば、戴斯タイシはタケシの訳として通ずる。この場合もケにはアクセントがなく、軽く発音されたとすれば説明がつく。されば烏越はウチであろう。烏の呉音ヲチである。特に越は日本読みで越前、越後中のエチになるのは、語尾のチが強く響いたためであろう。
　日本語の発音については、実のところまだまだ問題が多いであろう。我々はこの点については甚だ大まかで、作家の文章などを見て、字面の感じだけで名文だなどと感心したりするが、実際はそれを朗々と読みあげてみ、それを耳で聞いた上でなければ本当のことは言えぬのではあるまいか。

　中国人が日本語を漢字で写す際にも問題があるが、今度は日本において日本語を漢字を用いて書写する場合にもまたこれらに劣らず困難な問題が起こる。例えばヤマトを写すに、日本古代史家は意を取って、倭なる文字を用いたがこれは甚だ不用意であった。何となれば日本においてはヤマトは、現今の大和国一円を指すに用いるのが主で、日本全体を総称するまでは十分熟していないのである。然るに中国においては倭と言えば、日本の総名であり、従って倭王、倭国王と言えば統一日本の王を指した。『後漢書』見える倭国王師升、「魏志」倭人伝に見える倭女王卑弥呼がそれである。これに対して倭の中の一国に邪馬台国があり、これは奴国、竹斯国などと対等の存在である。そして倭王の治所が邪馬台であった。日本の古記録においてヤマトと倭とを同一に取り扱ったことが、古代史に対する理解を混乱させて現今に至っていると考えられる。」

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快刀乱麻