「困ります、ファインマンさん」 ファインマン 大貫昌子訳 岩波現在文庫
科学の価値とは p336〜
「ほとんどの人間は戦争が大嫌いです。今日の私たちの夢は平和にあります。平和なときにこそ人類は自分の持つ大きな可能性を充分に育てることができるのです。とはいえ未来の人間は、その平和すら善にも悪にもなり得るものだということに気付くかもしれません。平和な時の人間は退屈のあまり酒におぼれるかもしれず、その飲酒がせっかくの人間のもっているはずの能力を充分にのばせなくしてしまう大問題にふくれあがるかもしれません。
明らかに平和というものは、多くの人の夢見る禁酒節制、物質的力、コミュニケーション、教育、正直さなどの理想と同じく偉大な力です。昔の人に比べると今の私たちは、制御していかなくてはならない力をずっと多く手にしており、それを昔の人より少しはうまくコントロールができるようになっているかもしれませんが、それにしても人間の達成した成果の混乱ぶりを考えると、私たちが能力をもっているはずなのにできないでいることの方が、まだまだ圧倒的に多いのです。
これはいったいどうしたことでしょう? なぜ私たちは自分を克服することができないのでしょうか?
それはさっきあげたような偉大な力にも能力にも、それをどのように使うべきかというはっきりした使用法がついていないからです。この物質世界のしくみや性質についての膨大な知識の積み重ねを例にとってみても、人は自然のその性質自体には何の意味もないことを悟るのみです。科学は直接には善も悪も教えてくれません。
過去何千年もの間、人間はたえず人生の意味を理解しようとつとめて来ました。そして私たちの行動に何らかの意味や指針が与えられると、これによって偉大な人間の力が解き放たれることを悟りました。そのためすべてのものの意味についてありとあらゆる指針や解答が提供されてきました。ところがどうでしょう。その解答はまったく千差万別で、一つの解答を提案したものは、他の解答を信奉する者の行動に怖じ気をふるうといったありさまです。怖じ気をふるうと言ったのは、反対する者の見地からすれば、それは人類の偉大な潜在能力を、およそ見当違いで窮屈な袋小路に向けて注ぎこむことになってしまうからです。事実こうして間違った信念から生みだされた数々の恐ろしいできごとの歴史を通して、哲学者たちははじめて人間の驚くべき無限の能力を認識したのでした。私たちの夢は、開いた通路、開いた扉をみつけだすことです。
この世のすべてはいったい何を意味しているのでしょうか? 人間存在の神秘を解きあかすには何を言ったらいいのでしょうか?
昔の人々が知っていたことだけでなく、彼らは知らなかったが現在の私たちは知っていることも全部含めて、すべてをよくよく考えてみるとき、私たちは実は何も知ってはいないのだということを改めて正直に告白すべきだと私は考えます。
しかしこれを告白することによって、おそらく私たちは開いた通路をみつけだすことができるはずなのです。」
(原文)
「”what do you care what other people think?” Richard P. Feynman
p246〜
Nearly everyone dislikes war. Our dream today is peace. In peace, man can develop best the enormous possibilities he seems to have. But maybe future men will find that peace, too, can be good and bad. Perhaps peaceful men will drink out of boredom. Then perhaps drink will become the great problem which seems to keep man from getting all he thinks he should out of his abilities.
Clearly, peace is a great force- as are sobriety, material power, communication, education, honesty, and the ideals of many dreamers. We have more of these forces to control than did the ancients. And maybe we are doing a little better than most of them could do. But what we ought to be able to do seems gigantic compared with our confused accomplishments.
Why is this? What can't we conquer ourselves?
Because we find that even great forces and abilities do not seem to carry with them clear instructions on how to use them. As an example, the great accumulations on understanding as to how the physical world behaves only convinces one that behavior seems to have a kind of meaninglessness. The sciences do not directly teach good and bad.
Through all ages of our past, people have tried to fathom the meaning of life. They have realized that if some direction or meaning could be given to our actions, great human forces would be unleashed. So, very many answers have been given to the question of the meaning of it all. But the answers have been of all different sorts, and the proponents of one answer have looked with horror at the actions of believers in another- horror, because from a disagreeing point of view all the great potentialities of the race are channeled into a false and confining blind alley. In fact, it is from the history of the enormous monstrosities created by false belief that philosophers have realized the apparently infinite and wondrous capacities of human beings. The dream is to find the open channel.
What, then, is the meaning of it all? What can we say to dispel the mystery of existence?
If we take everything into account- not only what the ancients knew, but all of what we know today that they didn't know - then I think we must frankly admit that we do not know.
But, in admitting this, we have probably found the open channel.」
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日露戦争と暗殺
「夏目漱石と戦争」 水川隆夫 平凡社新書 2010年
漱石と日露戦争 p197〜
「漱石の蔵書に『安重根事件公判速記録』(一九一〇年三月二十八日 満洲日日新聞社刊)があります。東北大学附属図書館漱石文庫所蔵の同書には、「材料として進呈 夏目先生 伊藤好望」という贈呈者からの書き入れがあります。伊藤好望は、満鉄が経営していた満州日日新聞社の社員、伊藤幸次郎のペンネームです。彼は、満韓旅行前の八月十七日に中村是公の紹介で漱石宅を来訪したり、旅行中に大連で漱石に講演を依頼して承諾させたりしています。「材料として進呈」とあるのは、『門』に「夫が帰宅後の会話の材料として、伊藤公を引合に出す」とあるのを読んで、『門』の「材料として進呈」するという意味をこめたもんでしょう。
安重根の第一回公判は、一九一〇(明治四十三)年二月七日に旅順の関東都督府高等法院で開かれました。以後連日開廷されて、十日の第四回公判で検察官の論告・求刑(死刑)がおこなわれ、十二日の第五回公判で弁護人の最終弁論と被告による最後の申立てがありました。そして、結審から二日後の二月十四日に、安重根に死刑の判決が言い渡されました。なお、死刑の執行は三月二十六日でした。『公判速記録』は、公判中の裁判官・検察官・弁護人・被告・証人など関係者のすべての発言を記録したものです。
漱石がこの書をどれほど読んだのかよくわかりませんが、私は、「どうして、まあ殺されたんでせう」という御米の疑問は漱石の疑問でもあり、少なくとも安重根の最後の申立ての部分は読んだのではないかと推測しています。
安重根は申立ての中で、検察官や弁護人は、被告は伊藤公の施政方針や日露保護条約を誤解していると言われたが自分は決して誤解していないこと、日本天皇のロシアに対する宣戦の詔勅には東洋の平和を意地し韓国の独立を強固ならしむる旨があったので、韓国人は日本を信頼し希望をもったが、伊藤公の施政の誤りから今日の悲境が生まれたこと、日韓保護条約は伊藤公が韓国の宮中に参内し脅迫によって締結させたものであり、その後も、皇帝を廃位し、義兵や農民などを多数虐殺したこと、自分は伊藤公を私的な感情によって殺したのではなく、義兵として戦い、捕虜としてここに来ているのだから、本来は日本人だけに裁かれるのではなく、国際公法、万国公法によって審判を受けるべきであったことなどを述べています。『公判速記録』に接したことは、どれほどかはわかりませんが、漱石の朝鮮認識の深まりをもたらしたものと思われます。
『門』執筆中の五月二十五日に、宮下太吉が爆発物製造の容疑で松本署に逮捕され、六月一日には、湯河原で幸徳秋水と管野スガが逮捕され、六月三日にその記事が各紙に出ました。大逆事件と呼ばれる無政府主義者や社会主義者の大弾圧事件のはじまりでした。」
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漱石と日露戦争 p197〜
「漱石の蔵書に『安重根事件公判速記録』(一九一〇年三月二十八日 満洲日日新聞社刊)があります。東北大学附属図書館漱石文庫所蔵の同書には、「材料として進呈 夏目先生 伊藤好望」という贈呈者からの書き入れがあります。伊藤好望は、満鉄が経営していた満州日日新聞社の社員、伊藤幸次郎のペンネームです。彼は、満韓旅行前の八月十七日に中村是公の紹介で漱石宅を来訪したり、旅行中に大連で漱石に講演を依頼して承諾させたりしています。「材料として進呈」とあるのは、『門』に「夫が帰宅後の会話の材料として、伊藤公を引合に出す」とあるのを読んで、『門』の「材料として進呈」するという意味をこめたもんでしょう。
安重根の第一回公判は、一九一〇(明治四十三)年二月七日に旅順の関東都督府高等法院で開かれました。以後連日開廷されて、十日の第四回公判で検察官の論告・求刑(死刑)がおこなわれ、十二日の第五回公判で弁護人の最終弁論と被告による最後の申立てがありました。そして、結審から二日後の二月十四日に、安重根に死刑の判決が言い渡されました。なお、死刑の執行は三月二十六日でした。『公判速記録』は、公判中の裁判官・検察官・弁護人・被告・証人など関係者のすべての発言を記録したものです。
漱石がこの書をどれほど読んだのかよくわかりませんが、私は、「どうして、まあ殺されたんでせう」という御米の疑問は漱石の疑問でもあり、少なくとも安重根の最後の申立ての部分は読んだのではないかと推測しています。
安重根は申立ての中で、検察官や弁護人は、被告は伊藤公の施政方針や日露保護条約を誤解していると言われたが自分は決して誤解していないこと、日本天皇のロシアに対する宣戦の詔勅には東洋の平和を意地し韓国の独立を強固ならしむる旨があったので、韓国人は日本を信頼し希望をもったが、伊藤公の施政の誤りから今日の悲境が生まれたこと、日韓保護条約は伊藤公が韓国の宮中に参内し脅迫によって締結させたものであり、その後も、皇帝を廃位し、義兵や農民などを多数虐殺したこと、自分は伊藤公を私的な感情によって殺したのではなく、義兵として戦い、捕虜としてここに来ているのだから、本来は日本人だけに裁かれるのではなく、国際公法、万国公法によって審判を受けるべきであったことなどを述べています。『公判速記録』に接したことは、どれほどかはわかりませんが、漱石の朝鮮認識の深まりをもたらしたものと思われます。
『門』執筆中の五月二十五日に、宮下太吉が爆発物製造の容疑で松本署に逮捕され、六月一日には、湯河原で幸徳秋水と管野スガが逮捕され、六月三日にその記事が各紙に出ました。大逆事件と呼ばれる無政府主義者や社会主義者の大弾圧事件のはじまりでした。」
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posted by Fukutake at 08:03| 日記