「井伏鱒二全集 第十二巻」 筑摩書房 昭和四十年
築山 p474〜
「先々月、備前の閑谷學校を見物して、歸りにその谷筋から別の谷筋に入つて或るお寺に寄つた。道案内してくれた人の話では、この寺は室町時代の創建で、有名でも何でもないごく平凡な寺であるさうだ。訪ねて行つた目的は、私の方はここの川の釣状況を知ることで、道案内してくれた人の方は、お寺の住職と親しいから庫裏でコップ酒をよばれることであつた。
住職はコップ酒を出してくれ、晝間の酒を飲まない私のために書院の戸を明けて庭を見せてくれた。いい築山であつた。住職に聞くと、いつごろ造られた築山か知らないといつた。私は古い庭を見るときの自分の常套で、この築山は構圖的にいつて三角形・逆三角形の構圖の取りかたをしてゐるかどうだらうと思つた。ところが、その構圖を如實に見せすぎてゐた。但、三角形・逆三角形といつても、繪畫藝術の方では別に何か適當な名稱を使つてゐるのだらう。私は正式な名稱を知らないから假にさういつて置く。つまり畫布を一つの矩形と見て、その横の一つを邊の中點から對應する邊の両端に線を引いて三角形をつくり、その底邊の両端から對應する邊の中點に向けて線を引いて三角形をつくる。畫布の面に三角形と逆三角形をいつぱいに描くわけである。線は二箇所で交差する。これにもう一つ三角形を重ねると、また幾つか交差する點が出来る。その點を追ひ線に沿ながら、樹木や岩や池の水岸の石を配置する。廣重の五十三次やセザンヌの油繪などによく見る構圖の取りかたである。岸田劉生の切通しの繪や、木立を配した小道の圖にも取入れてあつた。ルネッサンスの頃の繪にも取入れてある。
備前の寺の築山はその構圖が、はつきりわかりすぎるやうに造られてゐた。三角形・逆三角形がそのままそこに見えるやうであつた。これは造園藝術の昔からの方式かも知らないが、それでは雪舟の造つたといふ築山はどうだらうか。
いつか私は山口縣の川棚温泉に泊つて、翌朝早く裏のお寺の雪舟作といはれる庭を見に行つた。池のほとりに若い尼さんが佇んで朝のお祈りをあげてゐた。その向こうの高みのところでも、若い尼さんが合掌しながら祠に向つてゐた。私はお祈りの邪魔をしてはいけないと思つて宿へ歸つたので、庭のことでは何の印象も残つてゐない。
それから三年か四年して、文藝春秋の催しで石見に行つたとき雪舟の作つたといはれる庭を二箇所で見た。その一つは庫裏の座敷に坐つて見た。これは大體において三角形・逆三角形の構圖であつたやうに思ふ。芝生のところのモミヂの古木が枯れてゐたが、立つてゐるのは線の交叉してゐる位置ではなたつた。枯れたら枯れてもいいのではないかと思つた。そのころ私は、それほど雪舟の庭はセザンヌの構圖と同じだと獨りできめてゐた。原形はさうであつた筈だと思つてゐた。別に根據があつてのことではない。」
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2022年03月29日
孫氏の兵法
「中国人物列伝」冨谷至・木田知生編 恒星出版 2002年
「孫子の兵法」湯浅邦弘 p79〜
「孫武・孫臏の兵法は、巧みな用兵術という点に共通の特色があるといえそうである。それでは、この孫子の兵法を伝えるとされてきた『孫子』や、銀雀山漢墓から出土した『孫子兵法』『孫臏兵法』の内容は、これらの伝承と合致するのでああろうか。
これまで長く『孫子』の兵法と呼ばれてきたのは、十三篇からなる『孫子』である。この『孫子』に思想の根幹は、おおむね次の三つの主張に集約されるであろう。
兵とは国の大事なり、死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり、(計篇)まずこれは「兵(戦争)」とは何かという基本認識を示したものである。ここでは、戦争が国家の「存亡」や人の「死生」に直結する最重要事であるとされている。そこで前提とされている戦争は、一度会戦で雌雄を決し、講和の締結によって終結するという比較的小規模な戦争ではない。この言は、敗北がそのまま国家の滅亡を意味するような大規模な戦争を前提としているであろう。
兵とは詭道なり。故に能にして之に不能を示し、用にして之に不用を示し、…其の無備を攻め、其の不意に出づ。(同)
次にこれは、戦争の基本的性格を「詭道(いつわりの方法)」と規定するものである。こうした戦争認識は、佯北、伏兵、餌兵、挟撃、側面作戦など多彩な戦術と密接な関係にある。また国家間の連合や駆け引きなどが通常化した世相を背景としているであろう。「佯北の計」によって魏軍を撃破した孫臏の故事は、まさに詭道の典型であった。また、詭道を成功させるには、情報の収集と分析が不可欠である。『孫子』にも『孫臏兵法』にも、「用間(スパイの活用)」に関する論があるのは、このためである。
さらに、この軌道に関連して、「謀攻(謀略による攻撃)」を重視する思考が見える。
夫れ用兵の法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るは之に次ぐ。…是の故に百戦百勝は善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。故に上兵は謀を伐ち、其の次は交を伐ち、其の次は兵を伐ち、其の下は城を攻む。(謀攻篇)
用兵の目的は「国」と「軍」を「全うする」ことにある。将軍の面子や美学のために、国や軍を滅ぼしてはならない。だから、直接的な軍事力の行使はできるだけ避け、攻略・戦略の段階で「戦わずして」真の勝利を得よというのである。逆に、多くの兵力を投入し、長期消耗戦とならざるをえない戦い、特に城攻めは「下」策とされている。「百戦百勝」が最善ではないとされるのも連戦が勝敗のいかんにかかわらず国力の消耗を招くからである。」
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干戈を交える前に勝つ奇策を考えろ。国を破るは次善の策。
「孫子の兵法」湯浅邦弘 p79〜
「孫武・孫臏の兵法は、巧みな用兵術という点に共通の特色があるといえそうである。それでは、この孫子の兵法を伝えるとされてきた『孫子』や、銀雀山漢墓から出土した『孫子兵法』『孫臏兵法』の内容は、これらの伝承と合致するのでああろうか。
これまで長く『孫子』の兵法と呼ばれてきたのは、十三篇からなる『孫子』である。この『孫子』に思想の根幹は、おおむね次の三つの主張に集約されるであろう。
兵とは国の大事なり、死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり、(計篇)まずこれは「兵(戦争)」とは何かという基本認識を示したものである。ここでは、戦争が国家の「存亡」や人の「死生」に直結する最重要事であるとされている。そこで前提とされている戦争は、一度会戦で雌雄を決し、講和の締結によって終結するという比較的小規模な戦争ではない。この言は、敗北がそのまま国家の滅亡を意味するような大規模な戦争を前提としているであろう。
兵とは詭道なり。故に能にして之に不能を示し、用にして之に不用を示し、…其の無備を攻め、其の不意に出づ。(同)
次にこれは、戦争の基本的性格を「詭道(いつわりの方法)」と規定するものである。こうした戦争認識は、佯北、伏兵、餌兵、挟撃、側面作戦など多彩な戦術と密接な関係にある。また国家間の連合や駆け引きなどが通常化した世相を背景としているであろう。「佯北の計」によって魏軍を撃破した孫臏の故事は、まさに詭道の典型であった。また、詭道を成功させるには、情報の収集と分析が不可欠である。『孫子』にも『孫臏兵法』にも、「用間(スパイの活用)」に関する論があるのは、このためである。
さらに、この軌道に関連して、「謀攻(謀略による攻撃)」を重視する思考が見える。
夫れ用兵の法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るは之に次ぐ。…是の故に百戦百勝は善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。故に上兵は謀を伐ち、其の次は交を伐ち、其の次は兵を伐ち、其の下は城を攻む。(謀攻篇)
用兵の目的は「国」と「軍」を「全うする」ことにある。将軍の面子や美学のために、国や軍を滅ぼしてはならない。だから、直接的な軍事力の行使はできるだけ避け、攻略・戦略の段階で「戦わずして」真の勝利を得よというのである。逆に、多くの兵力を投入し、長期消耗戦とならざるをえない戦い、特に城攻めは「下」策とされている。「百戦百勝」が最善ではないとされるのも連戦が勝敗のいかんにかかわらず国力の消耗を招くからである。」
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干戈を交える前に勝つ奇策を考えろ。国を破るは次善の策。
posted by Fukutake at 07:51| 日記
2022年03月28日
ゴッホの狂気
「小林秀雄全集 第十一巻」− 近代繪畫 − 新潮社版 平成十三年
近代繪畫 ゴッホ p363〜
「ゴッホの書簡集を初めて讀んだ時、漠然とゴッホといふ衝動的な畫家を考へてゐた私を、一番驚かせたのは、彼の批判力の細かさと鋭さとであつた。發狂も、この力を鈍らす事は出来なかつた。と言つただけでは足りない。發狂は却つて、この力を異常に冴え渡つた病識となし、彼の生存を支えるに至つた事は、前に述べた通りである。セザンヌは制作の中心觀念を「感覺」と呼んだが、ゴッホの強い主觀にあつては、さういふものは、寧ろ「感情」とか「情熱」とか呼ばれるべきものだつたであらうが、彼も亦セザンヌの様に、さういふものの實現は、自然と相談づくでなければ不可能である事を、頑強に信じ續けたのである。
併し、ゴッホには、セザンヌの忍耐も時間も缺けてゐた。自然から出發すべきか、自分のパレットから出發すべきか、といふ問題は、技法の上では、デッサンと色彩との、鋭く對立する矛盾となつて、この短命を豫感した性急な畫家には、現れた様である。麥の黄金色に、彼の心が、いよいよ高鳴れば、埃にまみれ、色褪せた、取るに足らぬ雑草の線が、彼の葦ペンを否應なく惹きつける。ゴッホといふ人間を、恐らく最もよく理解していた弟のテオは、兄を評して「彼は彼自身の敵であつた」と言つてゐる。「まるで彼のなかには二人の人間が棲んでゐる様だ。優しい細かい心を持つた人と利己的な頑固な人と。二人は交る交る顔を見せる」とテオの言ふ通り、結末は一人が一人を殺す事に終わつたのである。
テオは、ゴッホの畫家としても天才を、最も早くから確信してゐた人だ。では、ゴッホの天才とは、傑作とは何か。やはりこれは別人のものではない。獨白の様式に達したゴッホの繪は、奔放な色彩だけで出来てゐるのではない。色とデッサンとの格闘によるのである。彼の傑作を眺めてゐると、彼の明察は、両者の矛盾による緊張を希つてゐたといふ風にさへ思はれて来る。絲杉の緑と黒とは、デッサンに絡みつかれて、身を捩ぢりながら、果てしない天に向ふ様だ。色は畫面の到るところで線に捕へられ、苦し氣に、圓や弧や螺旋や渦巻きのアラベスクを作る。彼は言ふ。「僕は、いつも自然を食べて、待つてゐる。誇張してみる事もあるし、モチフを變へてみる事もある。
併し、結局、繪全體を發明して了ふといふ事は決してない。それどころか、繪は、自然の中で、縺れが解けて、自ら出来上つて現れて来る」。縺れが解けるとはどういふ事か。自然との戰ひに終りはない事を、彼はよく知つてゐた。もし彼の仕事に成功があつたとしたら、恐らくそれは彼の探究や努力と區別する事の出来ぬものだつたであらう。私の眼の前に、自ら現れて来るアラベスクの縺れは、解ける機を決して知らない様である。それは複雑で、謎めいてゐて、そのまま抗し難い効果で輝く。その奏でる強いリズムは、鳴り止まず、私は、もう何を聞いてゐるのかわからない。影も遠近も雰圍氣もない、この平坦な色の渦巻きには、底のない不思議な奥行きが感じられ、見る人は其處に落ちる。
かつて、ゴッホについて書いた動機となつたものは、彼が自殺直前に描いた麥畠の繪の複製を見た時の大きな衝撃であつた。…これは、もう繪ではない、彼は表現してゐるといふより寧ろ破壊してゐる。この繪には、署名なぞないのだ。その代わり、カンヴァスの裏側には、「繪の中で、僕の理性は半ば崩壊した」という當時の手紙の文句が記されてゐるだろう。彼は、未だ崩壊しない半分の理性をふるつて自殺した。だが、この繪が、既に自殺行爲そのものではあるまいか。」
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ゴッホは彼自身の敵であった。
近代繪畫 ゴッホ p363〜
「ゴッホの書簡集を初めて讀んだ時、漠然とゴッホといふ衝動的な畫家を考へてゐた私を、一番驚かせたのは、彼の批判力の細かさと鋭さとであつた。發狂も、この力を鈍らす事は出来なかつた。と言つただけでは足りない。發狂は却つて、この力を異常に冴え渡つた病識となし、彼の生存を支えるに至つた事は、前に述べた通りである。セザンヌは制作の中心觀念を「感覺」と呼んだが、ゴッホの強い主觀にあつては、さういふものは、寧ろ「感情」とか「情熱」とか呼ばれるべきものだつたであらうが、彼も亦セザンヌの様に、さういふものの實現は、自然と相談づくでなければ不可能である事を、頑強に信じ續けたのである。
併し、ゴッホには、セザンヌの忍耐も時間も缺けてゐた。自然から出發すべきか、自分のパレットから出發すべきか、といふ問題は、技法の上では、デッサンと色彩との、鋭く對立する矛盾となつて、この短命を豫感した性急な畫家には、現れた様である。麥の黄金色に、彼の心が、いよいよ高鳴れば、埃にまみれ、色褪せた、取るに足らぬ雑草の線が、彼の葦ペンを否應なく惹きつける。ゴッホといふ人間を、恐らく最もよく理解していた弟のテオは、兄を評して「彼は彼自身の敵であつた」と言つてゐる。「まるで彼のなかには二人の人間が棲んでゐる様だ。優しい細かい心を持つた人と利己的な頑固な人と。二人は交る交る顔を見せる」とテオの言ふ通り、結末は一人が一人を殺す事に終わつたのである。
テオは、ゴッホの畫家としても天才を、最も早くから確信してゐた人だ。では、ゴッホの天才とは、傑作とは何か。やはりこれは別人のものではない。獨白の様式に達したゴッホの繪は、奔放な色彩だけで出来てゐるのではない。色とデッサンとの格闘によるのである。彼の傑作を眺めてゐると、彼の明察は、両者の矛盾による緊張を希つてゐたといふ風にさへ思はれて来る。絲杉の緑と黒とは、デッサンに絡みつかれて、身を捩ぢりながら、果てしない天に向ふ様だ。色は畫面の到るところで線に捕へられ、苦し氣に、圓や弧や螺旋や渦巻きのアラベスクを作る。彼は言ふ。「僕は、いつも自然を食べて、待つてゐる。誇張してみる事もあるし、モチフを變へてみる事もある。
併し、結局、繪全體を發明して了ふといふ事は決してない。それどころか、繪は、自然の中で、縺れが解けて、自ら出来上つて現れて来る」。縺れが解けるとはどういふ事か。自然との戰ひに終りはない事を、彼はよく知つてゐた。もし彼の仕事に成功があつたとしたら、恐らくそれは彼の探究や努力と區別する事の出来ぬものだつたであらう。私の眼の前に、自ら現れて来るアラベスクの縺れは、解ける機を決して知らない様である。それは複雑で、謎めいてゐて、そのまま抗し難い効果で輝く。その奏でる強いリズムは、鳴り止まず、私は、もう何を聞いてゐるのかわからない。影も遠近も雰圍氣もない、この平坦な色の渦巻きには、底のない不思議な奥行きが感じられ、見る人は其處に落ちる。
かつて、ゴッホについて書いた動機となつたものは、彼が自殺直前に描いた麥畠の繪の複製を見た時の大きな衝撃であつた。…これは、もう繪ではない、彼は表現してゐるといふより寧ろ破壊してゐる。この繪には、署名なぞないのだ。その代わり、カンヴァスの裏側には、「繪の中で、僕の理性は半ば崩壊した」という當時の手紙の文句が記されてゐるだろう。彼は、未だ崩壊しない半分の理性をふるつて自殺した。だが、この繪が、既に自殺行爲そのものではあるまいか。」
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ゴッホは彼自身の敵であった。
posted by Fukutake at 07:15| 日記