「近代能楽集」 三島由紀夫 より「熊野」(抜粋) 新潮文庫
(三島節に酔う)p212〜
「…ユヤ ブランコに乗っている子供たちの肩に散った花がいくつもまとまって、又落ちる。子供たちにはそれが嬉しいんです。誰にも構いつけられない子供には、花が構ってくれることが。
宗盛 むしょうに子供子供というが、さては日頃の宗旨を変えて、子供が欲しくなりでもしたのか。
ユヤ ごらんなさい、小さな女の子が、あれは子供のころの私だわ。針箱から盗んで来た糸と針で、ああして散った花びらを一つ一つかがっている。でも手は遅く、花びらは薄く、花の首飾りができるまでには、きっと日が暮れてしまうでしょう。
宗盛 それより首飾りができるまでに、花びらは腐ってしまうだろう。
ユヤ 桜の下のベンチには、若い恋人同士がいますわ。花の天蓋に濾(こ)された光りが、お互いの頬を柔らかく見せ、抱き合ったら、そのまま融けてしまいそうな心配から、耳にはブランコの陽気な叫びや、蜂の重たい羽音をききながら、いつまでも、顔を見つめ合ってじっとしているんだわ。
宗盛 若くてその上貧乏だというので、ロマンチックになるより仕方がないのだ。
ユヤ あら花びらだと思ったら蝶々! 男のほうの黒い髪にとまったわ。ポマードでべたべたの髪だったら、蝶々もいやがるでしょうに、きっとあの人の髪はかすかな香油だけで、自然な野原のような匂いがするんだわ。
宗盛 安ポマードを買う余裕もなくって、女の髪油のあまりを貰って、撫でつけているんだろうよ。
ユヤ あら、女のほうが気がついて、手をのばしたら、… あら、蝶が翔(かけ)ったわ。あの蝶もきっと女蝶で。行きずりの女の顔が、恋に盲(めく)らになっている男の心にも、つかのまの影を落とすように、若い男のしなやかな黒い髪に、ほんの一刷毛(ひとはけ)の鱗粉を落として行ったんだわ。
宗盛 蝶にまでやきもちをやく、あんな細君を持った男の将来。俺はそういう男をいっぱい知っている。野心の遂げられない空しさと、細君に愛されているという情ない自信とで、人生の小匣(こばこ)をいっぱいにしてしまい、腑抜けの中の腑抜けになるのだ。
ユヤ 本当にきれいな桜の満開。花がたくさんの影を畳んで、あらたかな日ざしのなかで、一枝一枝が花の泉の盛り上がるような勢いを見せ、そのあいだにはなまめかしい黒い枝々。
宗盛 哀れなものだ。哀れな貧しい花だ。
ユヤ (空を見上げて)まあ、知らない間にあんな黒い雲が。
宗盛 (これも空を仰ぎ)ちぇっ。言わんことじゃない。
ユヤ 公園のほうはまだあんなに日が当っているのに。 …おや、翳りだしたわ。桜の急に色を失くした。白いお葬いの花のようになってしまった。砂場に黒い点々が。雨だわ。私の桜が、あんなに雨に濡れてしまった。(じっと見ているうちに泣き出す)…」
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恍惚となる三島の世界。