2022年02月13日

欲望という名の電車

「欲望という名の電車」 テネシー・ウィリアムズ 小田島雄志訳 新潮文庫

p49〜

 「ブランチ これでも私、若いころには男のかたの情熱を少しはかき立てたものよ。いまはごらんのとおりだけど! (輝くようにほほえみかける)ご想像できるかしら、この私もかつて ー 魅力的と思われた時代があったなんて?
スタンリー いまだって悪かないぜ。
ブランチ お世辞の一つも言ってくれるかと期待したのに。
スタンリー そういうばかなまねはしないことにしてるんでね。
ブランチ ばかなーまね?
スタンリー 女にむかってきれいだのどうのってお世辞を言うことさ。人に言われなきゃあ自分がきれいかどうかわからんような女には、まあお目にかかったことがないね、おれは、実際以上にしょってるような女には、まだお目にかかったことがないね、おれは。実際以上にしょってる女ならいるがね。昔つきあってた女の子で、しょっちゅう「あたしグラマーでしょ、グラマーでしょ」って言うのがいた、おれは言ってやったよ、「だからどうなんだ」ってね。
ブランチ そうしたら、その人、なんて?
スタンリー なんにも。はまぐりみたいに口をつぐんじまったよ。
ブランチ それでお二人のロマンスは終わったの?
スタンリー それで二人のおしゃべりが終わった、それだけのことさ。そういうハリウッド型グラマーに迷うやつもいるが、迷わない男だっているんだ。
ブランチ あなたは後者に属するのね。
スタンリー そうさ。
ブランチ どんな魔女のような女だって、あなたを迷わせることはできそうにもないわ。
スタンリー そりゃあ ーそうさ。
ブランチ あなたは単純で、率直で、正直で、それに少うし原始的なほう。だからあなたの気をひくには、女はどうしても ー (あいまいな身ぶりをしてことばをとぎらせる)
スタンリー (ゆっくり)スパッと ー手の内をさらすしかない。
ブランチ (ほほえんで)ええーええー手の内をね … たしかに、この人生にはつかみどころのないあいまいなものが多すぎるわ。私は強い、大胆な色、原始的な色彩で描く絵描きが好き。ピンクやクリーム色は好きになれない、人間もなまぬるい人は嫌いだったわ。だから、ゆうべあなたが帰ってらしたとき、胸のなかでつぶやいたのー 「妹が選んだ相手は男のなかの男だわ」ってーもちろんそれ以上私にはわかるはずないけど。
スタンリー (わめく)もうたくさんだ、ばか話は! 」

ブランチは、「欲望」という名の電車に乗って、「墓場」という電車に乗りかえて、「極楽」というところにやってきた。
posted by Fukutake at 07:15| 日記

森茉莉へのオマージュ

「本取り虫 ー本を読むのをやめられないー」 群ようこ 筑摩書房 1994年
 
森茉莉  p65〜

 「私は森茉莉の本、特にエッセイのファンである。『贅沢貧乏』は何度読み返したかわからない。どういうきっかけで彼女の本を読むようになったのかは記憶にないのだが、読み始めたら最後、途中で本を手から離すことができなくなった。とにかく一ページ目から、彼女の世界にひきずりこまれ、ちょっとやそっとでそこから抜け出られなくなった。もちろん友だちにも『贅沢貧乏』を勧めた。ある人は私と同じように彼女の世界にどっぷり浸かるようになり、ある人は憐憫の情をあらわにした。
「かわいそうね、森茉莉って。鴎外の娘でお嬢さん育ちだったのに、歳をとって貧乏暮らしをしていたんでしょう。中年をすぎて、ああいう生活をしなきゃならないなんて辛いわね」

 私はこのときほど、さまざまな考えを持った人がいるのを実感したことはなかった。かつてはお屋敷に住み、身のまわりの世話をしてくれる女性たちがいたような暮らしをしていた森茉莉が、ボロアパートの六畳ひと間で生活しているのを、その友だちは哀れだと思った。そしてこうはなりたくない、とも語ったのだ。きっとこのような人は、森茉莉の読者にはならないだろうし、なれない。世間でいうところの、いい暮らし。地位も名誉も財力もあって、人にうらやましがられる生活、それは多くの人々が望んでいるものなのだろうが、森茉莉という人は、そんなこととは全く関係ないところで生きていた。だから私は彼女のことが好きなのだ。

 『贅沢貧乏』は、親と同居していた学生のころは、ひとり暮らしのお手本として、ひとり暮らしをするようになってからは、心の慰めになった。この本の核になっているのは、「自分」を好きになる気持ちである。他人にどうみえるか、他人にどう思われるかという自分ではなく、「自分がやりたいように生きている自分」の姿があるのだ。当時、私は何かといえば人の目が気になっていた。細かいことでいえば、「こんな服を着たら、みんなに笑われるんじゃないか」「ヘアスタイルを変えたいけれど、妙な格好になったらどうしよう」といったことであり、ひとり暮らしをしていて、他人にだらしがない、きちんとしていないなどと思われたら困ると、いつも他人に自分がどうみえるかをぴりぴりと考えていた。その前に、
「自分はどうしたいのか」
 と思ったりはしなかったのだ。

 そんなとき、森茉莉の本を手にとると、肩の凝りがほぐれていくようだった。友だちがいったように、たしかに世間の水準、彼女の生いたちからすれば、情けない毎日かもしれない。しかし、本の中の彼女はとてものびのびしている。私は彼女ののびのびした生き方のおすそわけをもらって、自分のとがった神経を癒していたのだ。」

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posted by Fukutake at 07:07| 日記