「現代語訳 論語」宮崎市定 岩波現代文庫 2000年
顔淵第十二 仁について p185〜
「279 顔淵が仁とは何であるかを尋ねた、子曰く、私心に打ち勝ち、普遍的な礼の精神に立ちかえるのが仁だ。殊に主権者は一日だけでも私心に打ち克って礼に立ちかえるなら、天下の人民はその一日中、その仁徳になびくものだ。仁は個人の心がけの問題だ。相手によって変わるものではない。顔淵曰く、もう少し詳しい御説明を願います。子曰く、礼に違うことは見ようとするな。礼に違うことは耳を傾けるな。礼に違うことは口に出すな。礼に違うことに身を動かすな。顔淵曰く、回に出来るかどうかわかりませんが、仰ったとおりに努めて見たいと思います。」
「280 仲弓*が仁とは何であるかを尋ねた、子曰く、家の門を一歩でたらば、いつも大切な賓客を接待するような張りつめた気持ち、人民を使役するにはいつも大切な祭祀を執行するような厳粛な態度。自分の欲しないことは、人に加えてはならない。一国の人民から怨まれることなく、一家の使用人から怨まれるようなことをしない。仲弓曰く、雍には出来るかどうかわかりませんが仰ったとおりに努めて見たいと思います。」
「281 司馬牛が仁とは何かを尋ねた。子曰く、仁者はその言葉が遠慮がちでつかえるものだ。曰く、言葉がつかえるくらいのことで仁と言えますか。口先だけで出来ることではない。それを軽く言うこと自体、言葉がつかえない証拠だな。」
「282 司馬牛が教養ある君子とは何かと尋ねた。子曰く、君子というものは憂えることなく、懼れることのないものだ。曰く、憂えることなく、懼れることがない位で、すぐそれを君子と言えますか。子曰く、(問題はその前提にある。)内心に反省して一点も疚しい所のない人であって始めて、何も憂えることなく、何も懼れることのない人であるうるのだ。」
仲弓* 孔門十哲のひとり。仲弓は字、その人格の高さから「南面すべし」と孔子がたたえたほどである。
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