2022年02月03日

ボクシング

「ウソのない世界 −−ひきつける野生の魅力」 「三島由紀夫全集31」 新潮社 1975年

p170〜
 「ボクシングは、いろんな美名をつけようとすればつけられるが、人間の闘争本能をもつとも露骨に出したスポーツで、それ以外のものではない。興趣もまたそこにはじまりそこに終わる。

 それだから低級だといへばそれまでだが、その代わりボクシングのいいところは、そこに僞善がない。妥協がない。文明社會のゆるすかぎりにおいて、闘争本能のもつとも純粋に高揚され、一方が意識を失ふまで戰はれる。そこに、現代の文明社會で失われたさう快な野生がむき出しになつている。

 もちろん、試合には、力と同時に、あらゆる知能が動員される。しかもその知能が完全に力によって統制されてゐるところは、どのスポーツも同じだが、ボクシングには、もう一つ、ほんものの血が加はる。…こんなスポーツは他にない。
 ボクシングのいい試合を見てゐると、私はくわうくわうたるライトに照らされたリングの四角の空間に、一つの集約された世界を見る。行動する人間にとつては、世界はいつもこんなふうに單純きわまる四角い空間に他ならない。世界を、こんがらがつた複雑怪奇な場所のように想像してゐる人間は、行動してゐないからだ。そこへ二人の行動家が登場する。そしてもつと單純化された、い幅、もつとも具體的で同時にもつと抽象的な、疑ひやうのない一つの純粋な戰はれる。さういふときのボクサーには、完全なる人間とは本来かういふものではないか、と思はせるだけの輝きがある。もちろん觀客は、不完全な人間ばかりだ。

 ボクシングの美しさに魅せられると、いい試合を見てゐるときは、確かにさう感じる。そして文明などといふものが人間をダメにしてしまつたことがしみじみわかるのである。」
(<初出>朝日新聞・昭和三十八年十二月八日)

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ウソのない人間の行為。
posted by Fukutake at 08:48| 日記