「人生の知恵 −省察と箴言」 ラ・ロシュフコー 吉川浩(訳) 角川文庫
p84〜
「一人の人間を知るより、人間一般を知る方が、まだ楽なのだ。
われわれの欲しがっているものの正体が、すっかりわかってしまえば、なんとしてでも欲しいものなど、ほとんどなくなってしまうのだが。
たいていの女が友情に冷淡なのはなぜか。ひとたび恋の味を覚えたら、いかにも友情は不味いのだ。
友情においても、恋愛の場合と同様、人は、知っていることより、知らないことのおかげで幸せなのだ。
われわれは、自分の直したくない欠点を、何かともったいぶる。
老いた狂人は、若い狂人よりも、さらに狂っている。
弱さは、悪徳以上に、美徳と相反する。
恥辱や嫉妬の苦痛が、かくも辛いのは、虚栄心もこれに耐える力を持たぬからだ。
一歩一歩そこへ導かれて行ったのでもなく、自分の方から望んでそこまで昇りつめたのでもなく、運が突然、われわれに思いがけなく地位を恵んでくれたりすると、まずたいてい、そこでしっかり足をふんばり、その地位を占めるにふさわしい格好を整えたりはできぬものだ。
われわれが、他の欠点を克服するにつれて、今度は、うぬぼれがのさばってくる。
才能ある馬鹿ほど、厄介な馬鹿はいない。」
------
クルーグマン先生
「そして日本経済が世界の希望になる」 ポール・クルーグマン PHP新書
「恐慌型経済」p146〜
「二〇〇八年に金融危機が起こったあと、私は『世界大不況からの脱出』(早川書房)で、世界経済は恐慌に陥ったというわけではないが、恐慌そのものの復活はないにしても、そこで『恐慌型経済』のかたちが現われ、一九三〇年代以降はみられなくなった問題が表出している、と述べた。
恐慌型経済とは、この数十年間で初めて、経済の需要サイドにおける欠陥、つまり利用可能な生産能力に見合うほどの十分な個人消費が存在しないことが、世界経済の足かせになっている、ということである。本から一部を引用しよう。
「世界は今、一つの経済危機から次の経済危機へと綱渡りをしている状態である。それらはすべて、需要が十分でないというきわめて重大な問題をはらんでいる。一九九〇年代初頭以降の日本、九五年のメキシコ、タイ、マレーシア、インドネシア、韓国、二〇〇二年のアルゼンチン。そして二〇〇八年では世界のほとんどの国々が次々と景気後退を余儀なくされ、何年にも及ぶ経済成長を一時的であれ台無しにせざるを得なくなった。しかも従来の政策対応では、まったく効果がないといえるのだ。再び経済の生産能力を活用するために、いかに需要を十分に刺激するかが決定的な問題となった。これこそ恐慌型経済の再来である」
そこで私はケインズ政策の重要性を説いた。これまで以上にケインズの考え方が妥当性を増していたのである。
景気を回復させるためにできることは何でも行なう、という精神で、危機に対応しなければならない。そこで行ったことがもし十分でなかったなら、信用が拡大しはじめ、経済全体がその拡大が広がるまでさらに多くを実行し、それとは違う施策も打つべきである、と述べたのだ。
われわれが産業革命以降、百五十年以上の歴史から学んだことは、残念ながら危機を放っておくと、さらなる大きな苦痛を生み出す可能性がある、ということだ。一つの金融機関が傾けば、それが他の金融機関にも伝播していく。悪影響が伝染するのである。
一九三〇年代に起こった金融危機は、ニューヨークのきわめて小さな銀行から始まった。そこからスタートしたドミノ現象はきわめてリアルなもので、取り付け騒ぎへと発展する。その取り付け騒ぎのなかでみなが同じ資産を売り、資産価値は崩壊した。そこでは財政難に陥っていない金融機関さえも突然、同様の状態に陥ってしまったのだ。」
----
何でもいいから、不況脱出(需要創造)の方策を取れ! 増税など論外。
「恐慌型経済」p146〜
「二〇〇八年に金融危機が起こったあと、私は『世界大不況からの脱出』(早川書房)で、世界経済は恐慌に陥ったというわけではないが、恐慌そのものの復活はないにしても、そこで『恐慌型経済』のかたちが現われ、一九三〇年代以降はみられなくなった問題が表出している、と述べた。
恐慌型経済とは、この数十年間で初めて、経済の需要サイドにおける欠陥、つまり利用可能な生産能力に見合うほどの十分な個人消費が存在しないことが、世界経済の足かせになっている、ということである。本から一部を引用しよう。
「世界は今、一つの経済危機から次の経済危機へと綱渡りをしている状態である。それらはすべて、需要が十分でないというきわめて重大な問題をはらんでいる。一九九〇年代初頭以降の日本、九五年のメキシコ、タイ、マレーシア、インドネシア、韓国、二〇〇二年のアルゼンチン。そして二〇〇八年では世界のほとんどの国々が次々と景気後退を余儀なくされ、何年にも及ぶ経済成長を一時的であれ台無しにせざるを得なくなった。しかも従来の政策対応では、まったく効果がないといえるのだ。再び経済の生産能力を活用するために、いかに需要を十分に刺激するかが決定的な問題となった。これこそ恐慌型経済の再来である」
そこで私はケインズ政策の重要性を説いた。これまで以上にケインズの考え方が妥当性を増していたのである。
景気を回復させるためにできることは何でも行なう、という精神で、危機に対応しなければならない。そこで行ったことがもし十分でなかったなら、信用が拡大しはじめ、経済全体がその拡大が広がるまでさらに多くを実行し、それとは違う施策も打つべきである、と述べたのだ。
われわれが産業革命以降、百五十年以上の歴史から学んだことは、残念ながら危機を放っておくと、さらなる大きな苦痛を生み出す可能性がある、ということだ。一つの金融機関が傾けば、それが他の金融機関にも伝播していく。悪影響が伝染するのである。
一九三〇年代に起こった金融危機は、ニューヨークのきわめて小さな銀行から始まった。そこからスタートしたドミノ現象はきわめてリアルなもので、取り付け騒ぎへと発展する。その取り付け騒ぎのなかでみなが同じ資産を売り、資産価値は崩壊した。そこでは財政難に陥っていない金融機関さえも突然、同様の状態に陥ってしまったのだ。」
----
何でもいいから、不況脱出(需要創造)の方策を取れ! 増税など論外。
posted by Fukutake at 08:20| 日記